パートリッジ別邸
ニコールによれば、ドネロン伯爵邸で劇が上演されるのは三日後、青の曜日の午後なんだって。
といっても使用人たち全員が一気に観るわけじゃない。先々週あたりから順繰りに観劇の順番が来ていて、ニコールはたまたま今週の青の曜日に振り分けられていたってことらしい。
そうだよね。全員が観劇のために休んだら、邸内の業務が滞っちゃうもんね。
でも、思うんだ。
もし既にニコールが劇を観終わっていたら今回の計画は成り立たなかったなあって。そう考えると「母上のお導き」って言葉がしっくりくる。天に行っても僕たちのことを見ていてくれてありがとう、母上……。
「では、グレアム坊ちゃま。青の曜日になりましたらパートリッジ家の別邸へうかがいますね」
僕はハッとした。
そうか、ニコールは僕が別邸に滞在してると思ってるんだ。
どうしよう。僕は別邸じゃなくて宿にいる。
本当のことを言ったら「なんで?」って怪しまれるかな。
「あっ……いや、うーんと……と、当日は、僕が直接ドネロン伯爵のところまで行くよ」
これなら安心だと思ったのに、ニコールは首を傾げた。
「当日は女性の格好をしていただくので、私がお手伝いするつもりでいたのですが。坊ちゃまだけでは難しいですよね?」
「それは……その……」
僕は女装に慣れてるから大丈夫だよ、なんて言うわけにはいかないよね。
「姉上に聞きながらなんとかしてみるよ。姉上ならちゃんと僕を女性に仕立ててくれるはずだからね。大丈夫だよ。パートリッジの別邸にだって侍女はまだいるんだから」
……多分ね。少なくとも春先にはまだいたから、今もまだいるはず。
「そんな不安そう顔しなくても大丈夫だよ。姉上が“最高の淑女”だってことはニコールも聞いてるよね?」
ちょっと苦しいかなって思ったけど、ニコールは少し迷って「そうですね」ってうなずいてくれた。
「エレノアお嬢様にお任せしていたらきっと大丈夫ですね!」
って笑うから、僕は安堵半分、罪悪感半分だよ。
それでは青の曜日に、って手を振るニコールと別れて、僕はそのまま宿へ戻った。もちろん、また時間をかけて歩いてね。
まずは目的が一つ果たせそうでよかった。
だけど、ただ待っているだけじゃもったいない。
せっかく王都に来たのだから少しでも何かを探ろうと思って、僕はあらかじめ考えていた行動をしてみることにした。つまり翌日、パートリッジ別邸へ向かってみたんだ。
昨日でちょっと懲りたから、今日の僕は栗毛馬に乗ってる。気まぐれな馬だけど調子良く歩いてくれてるのは、ご褒美の果物を期待してるせいかな。
でもハジケモモは高いんだよ。市場で食べる僕の一食ぶんと同じくらいの値段がするんだ。……別の果物で許してくれないかなぁ。駄目かなあ……。
なんて考えながら歩いてるうち、通り沿いには高い鉄柵や手入れの行き届いた植え込みが連なり始めた。行きかう人の服装もなんだかパリッとしてる。貴族の屋敷が並ぶ辺りに入ったんだ。
馬車の車輪が響く音も一定で整然としてるように思えるのは、石畳が綺麗なせいかな。そのせいかもしれないけど、王都の喧騒がなんだか遠のいたように感じられた。
我がパートリッジ家の別邸はもう少し奥の方にある。
僕が最後にここへ来たのはまだ春の浅い時期、サラの教師をするって決まったあとだ。女装用のドレスやカツラを揃えたり、姉上から化粧の仕方を教わったりするために滞在した。
あのとき僕は「パートリッジ家は借金で傾いたし、王都の別邸もずいぶん荒れてるだろうな」って思った。
だけど想像とは違ってびっくりしたんだ。
正直に言ってパートリッジ本邸はどこか荒んでるというか、廃墟にも似た空気感が漂っている。見た目はまだなんとか威容を誇ってるんだけど、手入れの行き届いてない感じは隠し切れないし、人の気配だって薄いし。
だけど別邸はそうじゃなかった。左右に翼を広げたような建物は崩れた場所がどこもなくて、白い壁だって十分に綺麗だった。
さすがに門を入ってすぐの庭には植物の姿が無かったけど、あれはきっと庭師を解雇したせいだろうね。でも最低限の手入れはされてるみたいで、荒れ果ててるわけじゃなかった。森みたいになってしまったパートリッジ本邸の庭園とは大違いだったよ。
正直なところ意外だったな。
本邸の状態を考えたら、別邸も同じようになってるはずだと思ったのに。
あれからまた少し時間は経ったけど、どうなってるんだろう。
そう思いながら到着してみた僕の目の前に建っている別邸の姿は、数か月前とほぼ変わっていなかった。
僕は別邸を見上げながらぽつりと呟く。
「不思議だなあ……」
パートリッジの本邸はゆるやかに荒廃が進んでる。だけど王都の別邸は、どうして現状を維持できてるんだろう。
大きさの差かな。本邸は別邸よりもずっと大きいから、その分だけ維持費もかかる。同じ金額を使うなら別邸が有利なのは当然だもんね。本当に同じ金額なのかどうかは分からないけど。
どうなってるのか気になるし、帰ったら老執事に頼んで帳簿を見せてもらおう。
なんて考えてたら、背後から低い声がした。
「おい、君。ここで何をしている?」
振り返ると、馬に乗った二人の男性がこちらを見てる。揃いの紺の外套……王都の守備兵だ。そうか、この辺を警備してるんだね。
どう取り繕うか悩みながらも、逃げる意思のないことを示すために僕は馬から降りる。
「僕は怪しい者ではありません。この辺りを少し歩いていて……」
二人の守備兵のうち、年かさの方が少し首をひねった。
「ふむ。もしかすると、主人について地方から上がってきたばかりの者だな? 珍しくて屋敷を眺めてたんだろう?」
「え? あ、そうです」
せっかくなので肯定させてもらうと、兵士はふっと笑った。
「分からんでもない。王都の貴族街は立派だからな。だが長居してると怪しまれるぞ。用がないなら早めに戻りなさい」
「はい、気をつけます!」
深々と頭を下げると、去って行きながらもう一人の兵が「どうして地方民だと分かったんですか?」なんて年かさの兵に聞いてる。そしたら、年かさの兵は答えたんだ。
「訛りがあったからな」
ぐああああー! ぼ、ぼ、僕、訛ってたんだ!
あんまりパートリッジ本邸から出ないもんなあ……。
それに、貴族だと思ってもらえなかったのは、服のせい?
布地が薄くなった袖回りを引っ張って、僕はがっくりとうなだれながら栗毛馬に乗った。
とりあえず、宿へ戻ろう。
守備兵がいるなら、『パートリッジ別邸の玄関前に待機して、どこかの貴族から届く招待状を受け取る』は、中止したほうが安全そうな気がする。
せっかくドネロン伯爵の屋敷に入れる機会を得たんだから、青の曜日まで大人しく待っておいたほうが安全だよね。
宿へ戻る途中、市場で買った安い『ホシタマブドウ』を馬の口元に差し出したけど、栗毛馬はぷいっと横を向いて『ハジケモモ』の前で動かなくなった。
結局僕はまた馬のために『ハジケモモ』を買って、自分のお昼ご飯は残った『ホシタマブドウ』ですませることに。……うう……お腹空いたよ……。




