まがりかえで通り
「寝ちゃった……」
翌朝になって目覚めた僕はガックリと肩を落とす。
しかも窓の外ではもう、ずいぶん陽も高くなっていた。
今日は早いうちに劇場へ行って、知ってる人に会えるかどうか探してみようと思ったんだけどな。
……とはいっても、パートリッジ本邸でずっと過ごしてる僕に王都の知り合いは多くない。だからあくまで「ちょっと劇場周辺を覗いてみて、運よく会えたらいいな」程度の考えだ。
「まあ……行くだけ行ってみようか」
部屋を出た僕はまず公衆浴場へ行き、汗を流してから劇場の並ぶ『まがりかえで通り』へ足を向けた。
この宿には来週まで泊まる予定でいる。今の僕が持っているのは財布などの貴重品のみ。必要のない荷物と、長距離を頑張ってくれた栗毛馬は宿に預けっぱなしだ。
宿屋の近くから『まがりかえで通り』までは辻馬車もあるみたいだけど、予算はできるだけ抑えたいから僕は歩く方を選んだ。馬に乗って行けば早いけど、今度は劇場の馬屋に預けるときにお金がかかるから……。
でも、王都内は想像以上に広かった。
地図ではさほど遠くなかったはずなのに、意外と時間がかかってしまって、僕が『まがりかえで通り』についたのは昼なんてとっくに過ぎてしまっている時間だった。
ふふふ、こんなこともあろうかと思って、僕は手前の市場通りで食事をすませておいたもんね。多少なりともお腹がふくれていれば、気持ちにも思考にも余裕ができるんだ。
『まがりかえで通り』は東側に小さな劇場が並んでいて、西側へ行くにしたがってどんどん建物が大きくなっていく。
僕が到着したのは東側だったから、まずは木造の小さな芝居小屋が肩を並べているのが目に入った。ところどころ塗装が剥げている部分もあるし、入口に吊るされた幕も日焼けして色褪せていたけれど、こうして非日常の界隈を目にするとやっぱりウキウキするね。
不思議なのは、思いのほか人が少ないなってこと。たまに人が出入りしてるところもあるけど、他のところは閑散としてる。食べ物や飲み物を売ってる店も暇そうだ。いい匂いだし、美味しそうではあるけど、やっぱりちょっとお高いからかなあ。よかった、市場通りで食べてきておいて。
なんて思いながら進んでたら、途中に立派な建物を見つけた。
まだ小さな建物が並ぶ区画だから、「立派」といっても大きいわけじゃない。ただ、他の劇場とは違って壁の色はくすんでないし、看板だって少しも欠けた部分がなかったんだ。改修でもしたのかな。花と蝶の意匠が描かれているのもお洒落だね。
ここはなにを上演してるんだろう?
そう思いながら入り口前の看板を見た僕は思わず立ち止まった。
書かれていた演目が、僕も知ってるものだったんだ。
――『約束の花束をあなたに』
そういえばサラが言ってたっけ。新人作家ロナ・エグディが書いた『約束の花束をあなたに』は最初、小さな劇場から始まったって。きっとここが最初に上演した劇場なんだ。
でも大人気になった『約束の花束をあなたに』はいま、大きな劇場で上演してるんじゃなかったっけ? どういうことだろう。
僕は劇場の前に立ってた係員らしき男の人に声を掛けてみる。
「すみません。『約束の花束をあなたに』はここで上演してるんですか?」
「はい、そうです」
中年の男性はにこにこしながら答えてくれる。
「ただしこちらで上演してるのは、若手役者たちによる“概要版”です」
「概要版?」
「作品の見どころをかいつまんでご紹介してるんですよ。上演時間も本編の三分の一くらいになってまして、そのぶんだけお安く観られるようにしています」
なるほど、そんなふうにしてるんだね。
せっかくだからちょっと観てみたいなと思ったんだけど、券を売ってるかどうか聞いてみたら係員さんは首を横に振る。
「概要版であっても『約束の花束をあなたに』は大人気で、この小劇場でも券は即売り切れになるんです。今は昼の部を上演中ですが、夜の部の券も既に売り切れてます」
彼によると、王都の劇場は大きさに関係なくどこも昼と夜の二回公演なんだって。で、券はどちらの部も早朝からの販売になるらしい。なるほどね。
「明日も夜明けごろから券を販売をします。よろしければいらしてみてください」
「ありがとう」
僕は係員さんにお礼を言って先へ進む。なるほどね、『まがりかえで通り』が閑散としてるように見えるのは、いまが昼の部の上演中だからなんだ。
ときどき人が出入りしてるのは遅れてきた人とか、途中からでもいいから見ようかなって立ち寄る人みたい。僕も「良かったらいかがです?」なんて声を掛けられた。席が空いていれば入れてくれるみたいだね。
僕がここへ来た目的は知り合いを見つけること。誰かに会って、夜会とか、茶会とか、他の人と交流できる場所に誘ってもらいたいんだ。
さっき係員さんから聞いた話から考えると、この時間に劇場の前へ行っても人は少ないだろうね。だけどもともと成功率の高い作戦じゃないからいいか、と思いながら僕は劇場の方へ歩き続けた。次のときの下見だと思えばいいかなって。
建物は次第に大きくなって、石造りの劇場が立ち並ぶようになった。周りの人たちの服装も少しずつ整ってきてる。さっきまでは普段着みたいな人が多かったけど、この辺りだと外套や帽子をきちんと着こなしてる人ばかりだ。……おかげで僕はちょっと肩身が狭い。
小さくなりながら先へ進むと、ついに大きな建物がそびえるようになった。
一番奥にあるのは、尖塔まで持った大きくて華やかな建物だ。白い外壁には大理石の柱が立ち並んでる。
さすがにあれは僕だって知ってるよ。このまがりかえで通りで最も大きい“王立劇場”だ。入口にはなんと衛兵の姿まで見える。
次に目立つのは、真紅の飾り幕を誇らしげに掲げた建物だった。どっしりとしていて、あちこちに蝶と花の意匠が――。
ん?
あの蝶と花はさっきも見た気がする。
僕は慌てて演目の看板を探……す必要は無かった。すぐ横に大きな文字でババーンと書かれてたからね。
『約束の花束をあなたに』
やっぱり。
移動先はこの劇場だったんだ。
でもなんで『約束の花束をあなたに』を上演してる劇場にはどっちも蝶と花があるのかな。あの話に花は出てくるけど、蝶は出てこなかったはずなのに。
花だから蝶ってこと? だったら蜂でもいいんじゃない? なんて余計なことを考えていた僕はふと気がつく。
蝶と花。
僕はどこかでこの意匠を見てる。
よくある組み合わせだから目にしやすいけど、そうじゃなくて、もっとこう……身近なところでというか……。
あ、分かった!
姉上から渡された髪飾りだ!
僕は通りの端に寄ってコッソリ髪飾りを取り出す。
手の中にある黄金の蝶と花は、目の前にある劇場のものと同じ姿だった。




