★鏡よ鏡、私はだぁれ?
こちらの作品は冒頭部分を3ページのマンガにしていただいてます(作者:あニキ様)。
この話の一番下に掲載しておりますのでぜひご覧ください。
「イメージが湧きやすくなるので先にマンガを読んでから本文に行きたい」という方も大歓迎です。
その場合はスクロールしてくださいね。
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(イラスト:むなかたきえ様)
この世に魔法はないけれど、これから使うのは魔法みたいなもの。
シンプルながらも品の良いドレスに身を包み。
顔には流行りの化粧を施して。
襟には瞳と同じ紫のブローチを輝かせる。
長い金の髪を梳り、銀の髪飾りをつけたら。
ほら。
鏡の中で微笑んでいるのは誰?
王都でも「最高の淑女」と名高いエレノア・パートリッジ伯爵令嬢よ。
うん、大丈夫。ちゃんと綺麗。
これなら――。
「坊ちゃーん!」
大きな呼び声と同時に背後から「バーン! ガゴッ!」という音が響いて、僕は思わず振り返る。
「おおおおおい! その扉は……ああ……あーあーあー……」
無残に傾いた扉を見て僕は頭を抱えた。
何してくれちゃってんだよ、もう……。
「ありゃ。壊れちまいましたねえ」
「壊れちまいましたねえ、じゃないよ……」
「……坊ちゃん、泣いてます?」
「泣いてない!」
泣きたい気分ではあるけど。
鏡の前から立ちあがって確認してみると、壊れかけていた上の蝶番が完全にトドメをさされていた。
ああ、これはもう駄目だなあ。
まったく。部屋の主である僕がそっと開閉してたっていうのに、まさかメイドに壊されるなんて思わなかったよ。
たかが蝶番、されど蝶番。
うちは貧乏なんだから、もっと物を大事にして欲しいなあ、ホント。
「というか、今日はもう僕のことを『坊ちゃん』って呼ぶなって言ったろ?」
僕がじろりと睨むと、背の低い中年メイドはポンと一つ手を叩く。
「あやー、忘れてました。すみません、若旦那」
「若旦那じゃない」
「グレアム様」
「だから」
僕は大きくため息を吐く。
うちがまだそこまで貧乏じゃないときは、もっとちゃんとしたメイドもいたんだけどなあ。
何しろ金がないもんだから給金が払えなくなって、優秀な使用人たちはみんな他家に行ってしまった。おかげで今じゃ……いや、やめとこう。悲しくなるだけだから。
「いい? 今日の僕はグレアム・パートリッジじゃなくて、エレノア・パートリッジなの」
「おやおや、坊ちゃんったらもうボケちまったんですね。エレノアは坊ちゃんのお名前じゃなくて、坊ちゃんのお姉様のお名前ですよ」
メイドはワハハハハと笑いだす。
うん、ボケちまったのはそっちかな。
「僕が姉上のフリをする理由については、こないだから何度も説明してるよね」
「そうでしたっけ」
「……そうでしたっけって……じゃあなんで僕がこんな格好してると思ってるわけ?」
「趣味」
んなわけあるか。
僕は仕方なくもう一度説明しようとして、……やっぱりやめた。
今までだって覚えられなかったんだ、きっとこれからも覚えられないだろう。
「とにかく、今日の僕はエレノアだから。それだけ覚えておいて」
「わっかりましたー。エレノア様ですね。うん、さすがご姉弟。今日の坊ちゃんは確かにエレノア様にそっくりですよ!」
「本当に?」
「はいさ! 声はちょっと低いですけど、お顔はよく似てますし、髪の長さもおんなじくらいですし! いやー、すごいですね!」
「……この髪はカツラだよ」
僕の髪はもっと短いよね。
一日でこんなに長く伸びたらそれこそ魔法だよ。
でも「そっくり」と言ってもらえたので僕の気持ちは明るくなる。
そっか。
ちゃんと似てるんだ。
姉上のフリをするって決まってから必死に化粧の研究してよかったな。
ホッとした僕が少し頬を緩ませると、まじまじと僕を見ていたメイドは賞賛を声ににじませて言う。
「いやー、でも本当にすごいですねえ。本当の本当にエレノア様ですねえ。坊ちゃんがこんなにも女の人っぽくなれるのは、顔もですけど体格の問題もあるんでしょうねえ」
「そうだね、父上みたいにゴツイ体だったら無理だったよ」
「いえいえ、それだけじゃありません。何しろ坊ちゃんのお食事は量が少ないですからねえ。おかげで十六歳にしてはちっこくて細いわけですけど、まあ、それが良かったんだなあって」
途端に僕の笑いが引き攣った。
うるさい。
うちが貧乏すぎて食卓に並ぶ量が少ないだけだよ。別に好きで減らしてるわけじゃない。
……駄目だ、これ以上このメイドと話してたら僕の繊細な心が擦り切れてしまう。
さっさと話を切り上げるべきだと判断して僕は扉に手を掛けた。
蝶番は一つ壊れたけど、もう一つは健在だ。嵌め込み式の扉モドキだと思えばまだまだ使える。
「いい? 今度から僕の部屋に来たときは声掛けだけをして」
「ノックは?」
「いらない」
「開けるのは?」
「絶対に駄目。とにかく、二度と扉に触らないこと!」
はあ、という気の抜けた返事を聞きながら僕は扉を嵌め込み終え、鏡の前に戻る。
あー、マズイ。さっき頭を抱えたせいで額の部分がまだらになってる。直さなきゃ。
僕が慎重に白粉をはたいていると、扉の向こうからメイドがまた呼ぶ。
「あーのー。坊ちゃーん」
「だから坊ちゃんじゃなくてエレノア! 何? まだ僕に用があるの?」
「用があるのはアタシじゃありませんよ。モートさんて方です。すごいんですよぉー、ツヤッツヤでピッカピカの馬車を寄こしてくださってるんです」
僕の手から化粧用の刷毛がポロリと落ちた。
「……今、なんて言った?」
「坊ちゃんったらやっぱりボケちまったんですねえ。あのですね、モートさんて方のところから馬車が来たって言ったんですよ」
「先にそれを言ってくれええええええ!」
僕は白粉を机に放り出して室内を走る。うっかりそのまま開けようとした扉が、鈍い音を立てて再び外れた。