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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
一章
9/61

鬼の眠りを守る者

 

 □□□



(ここか……)


 長老の言っていた山の中腹辺りに、その洞窟はあった。


 入口に少々草臥れた鳥居と注連縄。

 一目見て分かる、“最強の悪鬼”が眠る場所だった。


 神楽は鳥居に近付き、そっと手を翳す。

 手だけ鳥居を潜らせるが、特に何かの力で阻まれる、ということはなかった。


 仮にも悪鬼を封じている場所なのに、ちょっとこれはお粗末ではないのか、と一瞬思ったけれど、手を引っ込めてすぐ、違和感に気付いた。


 僅かな間、手に力が入らず、びりびりと痺れるのだ。

 手を握ったり閉じたりするのでさえ、微かに痛みを覚える程に。


 そこで神楽は二歩程下がって、もう一度洞窟と鳥居を見上げる。

 これも、結界の一つのようだった。


 張ったのは恐らく、悪鬼を封印した聖という男。


 今は手が痺れただけで済んだが、このまま洞窟の奥まで足を踏み込めば、どれ程の負荷が掛かるか分からない。


 手が痺れる程度の力か、手だけだったから痺れで済んだだけなのか。


 神楽は眉を顰めて洞窟の奥を半ば睨む。

 ――と、その時。


「……、!」


 背後で、唐突に現れた妖気が五つ。


 一つ一つは小さい、が、妖気に混じる敵意と殺意がより一層辺りの空気を凍て付かせる。

 神楽は鉄扇を構えて、振り返る。


 ――前方に一つ、右舷に一つ、左舷に一つ。そして。


「!」


 上空に、二つ。

 気付いて見上げた先、二つの影が真っ直ぐ神楽目掛けて落ちて来る。


 神楽は咄嗟に右に飛び退いて、更にあと二歩、後ろに下がる。


 鳥居のすぐ目の前、上がる砂塵は徐々に鎮まっていき、その向こうに見えた二つの影は――狼、だった。


 ぐるるるるる、と牙を剥き出しにし、殺気を神楽に向ける狼達を合図に、それまで身を潜めていた狼達も姿を見せる。


「……悪鬼の眠りを守る番犬か」


 辺りを一気に支配したのは、敵意と殺意、そして、妖気。

 彼等はただの狼ではなく、狼の姿をした妖怪、妖狼(ようろう)だった。


「何者だ」


 鳥居を、洞窟を背に庇うようにして立つ狼が、寒気を覚える程の低い声で神楽に問う。


「我等の鼻は誤魔化せん。貴様、人間の姿を取った妖だな? 焔獄鬼の洞窟に何の用だ」


 別段、妖怪である事を隠している訳でも誤魔化している訳でもなければ、そもそも人の姿に変化などしている訳でもなかったが、神楽はそれについて訂正も否定もしなかった。


「別に……ただ、見に来ただけだ」


「見に来た、だと?」


「悪鬼が封じられ、その瘴気で以って平穏を守られているこの場所を。見に来ただけだ」


「そのような戯言、信じられると思うてか!」


 狼がそう叫ぶと同時に、他の狼達も更に殺気を膨れ上がらせる。


「去れ。さすれば見逃してやる」


 警告を発する狼に、けれど神楽は何ら動じることなく立ち上がり――構えていた鉄扇を、仕舞った。


 狼達は、そのまま神楽が踵を返して去っていくものだと思ったが。


「妖狼の長よ」


 神楽は真っ直ぐ鳥居の前の狼と目を合わせて、言う。


「私を――焔獄鬼に会わせては貰えぬか?」


 予想だにしなかったばかりか、到底信じ難い言葉を。

 狼達の間に動揺が奔る。


「断る」


 だが、真っ先に我に返り、今までで一番鋭い声で狼の長はきっぱりと告げた。


「やはり貴様、焔獄鬼の首を獲らんと参った妖か!」


 長の咆哮と共に、他四匹の狼達が一斉に飛び掛かる。


 妖であるが故にその足は野生の狼より速く、解き放たれた妖気は野鳥達を怯えさせて一斉に飛び立たせる程に大きく。


 だが、神楽はその場から微動だにしなかった。


「っ、……」


 あろうことか、一歩も動かずに四匹の狼達からの攻撃を真っ向から受ける。


 両肩、右腕、左足。


 噛み付かれたそこからは血が噴き出し、薄桃の着物を赤く染め、地面に血溜まりを作る。


「喰い殺せ!」


 狼の長が尚も咆哮を上げる。


 それに応えるように、神楽に喰らい付いた狼達は顎に更に力を加えて、神楽の血肉を食い破った。


 血飛沫が、狼達の体に、草木に降り注ぐ。


 狼達は一旦神楽から飛び退くと、ぐちゃぐちゃと気色の悪い咀嚼音を響かせながら喰い破った神楽の肉を喰った。


 どの狼も涎のように血を垂れ流して。この場に女子供が居合わせたなら、間違いなく失神する光景だった。


 当の神楽は、肉を食い荒らされて堪らず片膝を着く。

 けれど、彼女の目は先程と変わらず、無機質だった。


「無駄だ」


 そんな無機質な声のまま、何の温度も感情もない瞳のまま、神楽は呟く。

 次の瞬間、神楽の喰い荒らされた肌は、時間を巻き戻すように修復していく。


 狼達は息を呑み、狼狽える。


「貴様……!」


 狼の長が血を吐くように声を上げる。

 妖の世で生きる彼等には、今目の前で神楽の身に起こった事の意味が、考えなくてもすぐに分かった。


「貴様……人の世の最大の禁を犯しおったな!!」


 神楽は応えない。動じもしない。ただ佇んで、目の前の狼達を見据える。


「何をしておる! 今すぐその者の心の臓を抉り出し、喰い尽くせ!!」


 怒りか、高揚か、あるいは憎悪か。


 今まで冷静に言葉を発していた狼の長は、ここへ来て一際高い声を上げて他の狼達に檄を飛ばす。


 再び狼達は神楽に一斉に飛び掛かるが、今度は神楽はその攻撃を躱した。


 逃がすまいと狼達が追撃を仕掛ける。四方から襲い来る目にも止まらぬ攻撃に、けれど神楽はひたすら躱し続けるばかりで、反撃には出ようとしなかった。


 先程はいとも容易く喰らい付けたというのに、今は一撃すら当たらないことに段々と焦れて来た狼達は、徐々に妖気を昂らせ、更に鋭い速さで攻撃を仕掛けて来る。


 しかしどれ程速度を上げても、神楽を捕らえることは敵わず、遂に、狼達の足が止まった。


「おのれ、役立たず共が! 退け! 我が直々に跡形もなく喰らい尽くしてやる!」


 雄叫びと共に長の妖気がどんどん膨れ上がる。


 それは他の四匹のどれとも比べ物にならない程に強大で、禍々しかった。

 赤黒い光に包まれ、やがて長はその本来の姿を現していく。


 ――おぉぉおおおぉおん!


 咆哮は頭に直接響き、鼓膜を刺激し、腹の底を圧迫させる。


 それは、鬼程もある巨体だった。


 狼の長は一気に地を蹴り、神楽との距離を詰める。


 一撃目は前脚。大きく振り下ろされたそれを、神楽は難無く躱したけれど、飛び退いた刹那、尻尾で体を突き飛ばされてしまう。


「く、っ……」


 もろに受けてしまった攻撃に、神楽は大木に叩き付けられた。


 そこに、巨体となっても尚恐るべき速度で狼が迫る。躱そうともう一度飛び退いたが、それを読んでいたかの如く、容易く狼の前脚に捕まった。


 狼の長はそのまま、神楽の体を力任せに地面に叩き付ける。


 堪らず上がる悲鳴。反動で跳ね上がった神楽の体を、長は容赦なく踏み付ける。


 たった一撃でも全身の骨が砕けそうな程の衝撃。更に二度三度と繰り返される足蹴に、体中の臓物までもが悲鳴を上げる。


 それでも、神楽は攻撃に転じようとはしなかった。

 ただひたすらに、されるがまま、攻撃に耐え続ける。


「下衆が。口程にもない」


 地面の窪みが深くなり、神楽の呼吸が絶え絶えになり掛けた頃、狼の長が吐き捨てるように言った。


「今楽にしてやる」


 山全体の空気を凍らせる程の殺気を放ち、長の爪が妖力で以って更に研ぎ澄まされる。

 そうして、長が再び前脚を振り被って――落とす。


 だが。

 長の脚は、神楽を踏み付けてはいなかった。

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