死さえも分かてぬ二人ならば
抱き締めるようにして両手で刀を握る神楽の隣に、焔獄鬼が並ぶ。
そうして彼女の手に、そっと自らも手を重ねて、刀を見つめながら亡き友に語り掛けた。
「――お前の願いも、かつて夢見た理想も、そして……“最強の慈鬼”としての誇りも、ここへ置いてゆく」
今の二人を見たら、聖は何と言うだろうか。
先程神楽の一瞬の迷いを察して、そうしたければそうすればいいだろう、と訴えるだろうか。
せっかく……漸く、こうして逢えたのだから、と。
――けれど。
「……焔獄鬼」
そっと、焔獄鬼の名を呟いて、神楽はもう一度彼と向き合う。
そうして、握っていた刀の柄を、彼の手に握らせた。
焔獄鬼の瞳が僅かに戸惑いに揺れる。
「お前が使え。私には、この刀は荷が勝ち過ぎる」
人としての命が消えて、妖としての命が始まった瞬間から、とうに、願いも幸福も、捨てた。
人の世でも妖の世でも生きられない命。
ならば――どちらとも戦い、どちらも殺せるこの力で。
戦いたい時に、戦う必要のある時に、戦いたい相手にだけ。戦う必要のある相手にだけ。
そんな傲慢な戦い方をする神楽に、この“矛盾の刀”は相応しくはない、から。
「……良いのか? 父上の大事な形見であろう」
「でも、お前にとっては友の大事な形見だ」
「……しかし……」
「使って欲しい。他ならぬ、お前に」
そう言いながら、焔獄鬼の手を包み込むようにして刀を押し付けると、彼は、やがて、自分の意志でしっかりと、柄を握った。
そして、顔の前に刀身を持ち上げて、改めて刀を上から下まで見つめる。
「……美しい。それに……心安らぐ輝きだ」
そんな刀に、これから血を浴びせることに、ほんの少し、罪悪感を覚えなくはない、けれど。
神楽を守るため、ならば。
きっと、聖も許してくれる。
根拠はないけど、何故か、そんな気がした。
側に置かれていた鞘を拾い上げる。
百年経って尚輝きを失わない刀身と、同じく百年経って尚煌めきと艶を失っていない鞘。
焔獄鬼は、鞘を腰に差して、片手で刀を握ったまま、神楽を抱き寄せた。
抗わず寄り添った彼女の体を、一層強く抱いて――刀を天高く振り上げる。
刹那。
焔獄鬼の塒だった洞窟は一瞬で弾け飛び、崩落した。
もはや人はおろか虫が入り込むことさえ敵わぬ程に崩れ落ちた洞窟、その瓦礫の山から、二度目の小さな爆音と共に球体が飛び出す。
寄り添い合う神楽と焔獄鬼を包み込み、浮かび上がるそれは、減速することなく更に上空へと上昇し、やがて、山や鬼神村が一望出来る位置で制止した。
球体の中に入ると余計に、地上がどれ程の死臭や無念、怨念に塗れ、淀んでいたか分かる。
そうでなくても眼下に広がる山は、森は、村は――もはや、死の大地と呼ぶに相応しい様相だった。
神楽の肩を抱く焔獄鬼の手が、耐えるように力が込められる。
これから彼が何をしようとしているのか、神楽には分かっていた。
「……未練は、断ち切れそうか」
労わるように、もう少しだけ身を寄せながら神楽が問えば、焔獄鬼は優しくも儚い笑みを浮かべた。
「……正直に申して、どうにも、胸がざわつく」
「……そうか」
「あの地は――奴との、思い出の地。そして……多分、我が、故郷、と呼ぶべき場所」
二度、負の連鎖に呑まれて汚された。
二度、そこにある命を守り切れなかった。
「叢雨も……死んでしまった」
「あの狼……?」
「殺したのは……我だ」
焔獄鬼が、苦し気に目を伏せる。
多分――殺したのは、焔獄鬼であって焔獄鬼でない存在だった、“彼”
神楽もまた、そっと目を伏せて、眼下に広がる山と、鬼神村を眺めた。
「これから、何度もある。そういう痛みも、そういう苦しみも。そういう……後悔も」
「……ああ」
「……引き返すなら今だぞ」
痛みを感じない妖怪であったなら、どんなに良かっただろう。
彼が、言い伝え通りの悪鬼であったなら。
人間がその甘っちょろい性質故に感じる、こんな痛みなど知らずにいられるのなら。
そんなことを、一瞬、思って。
神楽は気遣うように言って、僅かに焔獄鬼から身を離した、けれど。
他ならぬ焔獄鬼が、それを許さなかった。
「――もう、離さぬよ。離すべきでない手は、二度と」
一層強く抱かれて、悲しみを滲ませているのに悪戯っぽい笑みで言われて。
神楽は大人しく、再び彼の腕に身を委ねた。
そうして、彼もまたもう一度、眼下の故郷に視線を戻して――そっと、息を吐き。
刀を、ゆっくりと、眼下に向けた。
「――さらばだ。せめて、一瞬の終焉を。そして……願わくば、いつかの再生を」
決意と共に、決別と手向けの言葉。
瞬間、刀の切っ先に、光が収束していく。
小さな、眩い光の玉。
それは、然程大きく膨れることなく切っ先から離れ、ゆっくりと下降していく。
やがて、淀んだ森の中にその光が消えた――刹那。
山は一瞬にして、爆音と共に炎に包まれた。
白く眩い炎。百年前、聖が放ったものと同じ、妖力によって生み出された――浄化の光。
その炎は時間を掛けて、山や森に染み付いた無念や怨念を包み、浄化していき、やがてそれら全てが消え去った頃、消える。
その後暫くは、草木一本生えぬ枯れた大地が残されるが、大地を彷徨い、流れる自然の恵みが、生気と精気が、いつか必ず、彼の地を蘇らせてくれる。
死んでいった者達の魂も、浄化の光に導かれて、天に還り次の生を待つべく静かな眠りに就けるようになる。
――これが焔獄鬼の、山の主としての最期の務め。
願わくば、少しでも早く、この地に再び命が芽吹くように。
「……焔獄鬼」
舞い踊る炎をじっと見つめる焔獄鬼の名を、神楽がそっと呼ぶ。
心配して、くれているんだろうか。
そう都合良く思ったけれど、見下ろした彼女の目は、いつもと同じ、で。
交わした熱などなかったかのように。
それが、何だか逆におかしくて。
焔獄鬼は、ふっ、と何処か悪戯っぽい笑みを零して。
「行き先を。我が主よ。何処へなりともこの焔獄鬼、お供仕る」
その笑みが、吹っ切れたような顔だったから。
神楽は思わず間の抜けた顔になってしまった、けれど。
ややあって、一つ、呆れたような溜息を吐いて。
「取り敢えず、あっち」
と、投げ遣りに、適当な方向を指差したのだった。
完




