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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
終章
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運命、交わりし時

 

 やがて焔獄鬼の手が、神楽の体を包み込む。


 それはまるで……抱擁、のようであった。


「……神楽……」


 初めて、呼ばれた、名。


 あまりに切なく、あまりに苦しく、けれどあまりに……温かい、声で。


 その切なさと温かさに導かれるように、神楽は、そっと、自分を包み込む鬼の手に、自身の手を重ねた。


 闘争と殺戮を好む、と謳われる筈の手は、声音と同じくらい、何故か、とても暖かくて。


「……受け入れない訳が、ないだろう」


 重ねる手を、腕ごと焔獄鬼に絡ませて。

 神楽は、静かに、何処か淋しそうに、呟いた。


「私は聖の子であり……お前は、父の唯一の友。私がお前を、拒否する理由など、ない」


 この、瞬間。


 神楽は、思った。

 思って……しまった。


 聖が作った、あの“優しい世界”で。

 出逢っていたのが焔獄鬼であったなら。


 人間の“あの人”より先に、この鬼と、出逢っていたなら。


 恋をした相手は――きっと。


 そんな……滑稽で、哀れで……とても、浅ましい、ことを。


「焔獄鬼……」


 そしてそれは多分、予感、だった。


 名無しの男と初めて逢った時。

 洞窟で、焔獄鬼と初めて対峙した時。


 神楽の心の中に、何か……どうしても、名前が付けられない違和感ともどかしさが、ほんの微かに、揺らめいていたから。


「……私達は……何処で、何を間違ったから……こんなに、出逢うのが遅くなってしまったんだろう……」


 思わず、呟いた。


 どうして、もっと、早く、思い出さなかったんだろう。


 忘れていた訳ではなかった、けれど。


 ただ、妖としての命が始まった瞬間、人間への殺意が全身全霊を支配して。


 人間達を殺した後は、底のない虚無感ばかりに支配されて。


 そこから抜け出せた後は、ただひたすらに、無意味で傲慢な剣ばかりを振るって。


 妖であるが故に静かに生きられないというなら、妖となってしまったことを嘆くのはもうやめる。


 不死であるが故に何処の世でも生きられないというなら、何処の世に頓着するのももうやめる。


 どういう命でも生きられないというなら、この命に名など要らない。


 そうやって全てがどうでも良くなって、どうとでもなる戦い方を、生き方を、死に方を繰り返して。


 何故かふと、思い出したのだ。


 父がよく話していた、“寒い寒い大地に置き去りにして来てしまった、唯一の友”の存在を。


 父が、神楽の夫になどと馬鹿げた夢を語っていた、その相手を。


「でも……今、じゃなかったら……また、逢えないまま、だったのだろうな」


 きゅ、と、焔獄鬼の腕に絡み付かせた腕に、少しだけ力を込めて呟いた。


 ――その時。

 突然、焔獄鬼の体が眩い光に包まれた。


「っ!!」


 あまりの眩しさに、神楽は咄嗟に抱き着くように焔獄鬼の手に絡めていた腕に力を込めた。


 だが、その瞬間、その焔獄鬼の腕が忽然と消える。


 突然の事態に、咄嗟に神楽の胸の内に去来したのは、混乱と動揺、そして、微かな恐怖。


 ――けれど。


 光が収まり、反射的に強く閉じていた目を、開けた、時。


 ふわり、体が再び何かに包まれる。


 未だ漂う死臭から守るように、打ち消すように、鼻腔を擽る嗅ぎ慣れた匂い。


 逞しい胸板と、背中に回った両の腕。


 ――覚えが、ある。

 戦いの最中、幾度もこの腕に守られて、この腕に包まれた。


「――神楽」


 耳元で聞こえたのも、聞き慣れた、声だった。

 違うのは、以前と比べて、声音に力強さと、迷いや怯えが、ないこと。


「……すまなかった。おぬしの父上を、守れなくて」


 目を閉じる。


 こんなつもりでは、なかった。


 けれど……こうなってしまっては、仕方がない。


 誤った選択をした、と分かっていても。


「そして……今まで、おぬしを、独りにして。おぬしが全てを失くした日、側に、居なくて」


 それが誤った選択だったと気付いた頃には、いつだって、遅くて。


「だが今度こそ……守る」


 それでも引き返せないのだと思い知った時には、いつだって、遅くて。


 でも、たとえ、誤った選択しかしていないのだとしても。


 ――やがて焔獄鬼が体を離し、二歩程下がって、その場に膝を折った。


「――聖は、我が唯一の友であったが、同時に……我にとっては師であり、主にも等しき存在であった」


 伏せた目を、そっと閉じて、祈るように、静かに。


「聖亡き今、我がこの命と魂の全て捧ぐべきものがあるとするなら、それは……聖の子であるおぬしを置いて他になし」


 故に、と言葉を切って、顔を、上げる。


「使ってくれ。元より我が望みは、それだけだ」


 誠実で、とても必死な瞳が、神楽を見つめた。その奥に、切ない輝きを、押し隠して。


 神楽は一瞬だけ、苦し気に瞳を揺らして、だがすぐに、目を閉じた。





 突き刺さった刀の前で、二人は足を止めた。


 崩れた岩壁、それでもその刀だけは、歪みも折れもせずに、変わらずそこに突き刺さっている。


 百年前、聖が焔獄鬼を守る為に張った結界、その、基点。


 焔獄鬼から瘴気が消え、結界も消えた今、その刀はもはや本当にただの刀。


 神楽は、酷く淋しそうに、その刀を見つめて。

 やがて、意を決したように、更に刀との距離を詰める。


「……父様……」


 父は、常に、何かを、誰かを守るために必死だった。


 こうして自分が妖としての本能から逃れ、人間達を愛さずにはいられなくなったのにはきっと意味がある。


 自分の力では守れるものが限られてしまっても、出来る事がほんの僅かしかなくても。


 妖としての力で、自分が守りたいと願うものを、自分が愛したもの達の大切なものを、守れるのならば。


 ――この刀は、そんな父が知り合いの刀工に打たせた、“矛盾の刀”


 如何なる攻撃をも防ぐ強力な結界を生み出す力を持ち、如何なる結界をも破ることが出来る程の攻撃力を誇る、稀代の名刀にして妖刀。


 父の願いを、理想を支える、武具。


 父、聖は、それを焔獄鬼を守り続けるために、いつか目覚めた焔獄鬼と共に生きるために、ここに結界を維持する術具として残していった。


 今――この刀を抜くということは、父の願いを、夢を、理想を、今度こそ葬るのと同じ。


 躊躇いが、ない訳じゃない。


 たとえば……今この瞬間から、戦いを捨て、焔獄鬼と二人、何処か安らかな場所でもう一度、父が作ろうとした世界を、築き直すことが出来たなら。


「父様……お許し下さい」


 胸に去来した迷いを、神楽は、そう、硬く呟いて、追い払う。


 そうして、刀の柄に手を伸ばして――掴む。


 渾身の力を込めて、深く突き刺さっていた父の刀を、引き抜いた。


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