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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
一章
6/61

鬼が守る村

 

 子豚を助けた後、神楽は先程の妖怪に惨殺された村娘を、そっと抱き上げた。


「……どうするのだ?」


 未だ何処か呆然としている男を一瞥することなく、横を通り抜けた瞬間、男に問われる。


「このまま村に連れて行く。この娘こそ、村の住人に間違いないだろう」


 答えながらも、神楽は足を止めない。

 男は少々慌ててその背を追った。


 再び黙々と歩き始める二人だったが、間に流れる空気は先程と一変して重く冷たい。


 ――見間違いでは、なかった。


 確かに、明らかな深手だった神楽の傷が、彼の目の前で時を戻すように跡形もなく消え去った。

 まるで、攻撃を受けた事実そのものが、最初から無かった事のように。


「お前は……人間ではない、のか」


 己の目で見たことであるにも関わず、どうにも俄かには信じ難くて、男は重い声で神楽の背に言った。

 彼女の足はやはり止まらない。振り向きもしない。けれど。


「それを言うなら、お前もだろう」


 淡々と、全く驚きもしていないような口調で返された。

 男は自身の右手を持ち上げて、じっと手の平を見つめる。


 ――何もかも、無意識だった。


 女の足にしては、人間の足にしては速過ぎる神楽の後を必死に追って、漸く追い付けたと思った先では、彼女が蛇とも蜥蜴ともつかない気持ち悪い妖怪に薙ぎ倒されていて。


 左胸には刃を突き刺されて、神楽の表情は明らかに苦しそうで。

 その光景を目にした瞬間、体中の血が滾り、力が漲った。


 助けなくては。神楽を。

 倒さなくては。あの屑妖怪を。


 そう、強く思った瞬間。男は、彼の妖怪の体を、自身の爪で切り裂いていた。


 戦いが終わり、自分の両手に付いた妖怪の血を眺めて一番戸惑い、困惑したのは、他ならぬ彼自身だったかもしれない。


 半ば恐怖さえ覚えた刹那、爪は人のそれと同じ形に戻った。


「……妖怪……なのか……我は……」


 持ち上げた右手を握り締める。

 信じられない、と思う反面、そうなのかもしれない、と妙に納得している自分が、居る。


「少なくともただの人間ではないのだろう。私と同じように」


「……嫌に冷静なのだな。行きずりに拾った男が妖であるやもしれぬと申すに。呑気に会話して呑気に歩いておるが、記憶のないふりをして、貴様の首、後ろから獲ろうと窺っておるやもしれぬぞ」


 この短い時間で起こったあらゆる事に意図せず動じている男は、比べて全く狼狽えていない様子の神楽に少々の苛立ちと嘲りを交えて投げ遣りに言った。


 しかしそれにも、神楽はにべもなく言い放つ。


「それで私を本当に殺せるなら、好きにすればいい」


 まるで……自分の命も、男の正体にも、全く興味などない、とでも言いたげに。


 否。実際、興味はない、んだろう。

 男が妖であるのなら、後ろから命を奪うなど、卑怯でも何でもないし。


 だが男は、その神楽の態度が何故か……酷く、悲しい、と感じてしまっていた。


「……お前、一体誰の――」


 問うていいか分からずに躊躇していた問いを口に乗せる。


 だが、男がその言葉を最後まで言い終える前に。

 神楽がふと、足を止めた。


「――着いたぞ」


 何だろう、と不思議に思った時、神楽が静かに呟く。


 隣に並び、神楽と同じ眼下に視線を落とせば。

 小さな家屋が点在する集落が、そこにあった。





 村は、酷い、有様だった。


 田畑は枯れ、木々や植物が生えている様子もなく、家屋に寄り掛かるようにして寝転ぶ住人達はもはや半ば死体と区別が付かない。


 それでも何とか畑を蘇らせようと、枯れた土を必死で耕す農夫の姿があったが、彼等の鍬を振る力も弱々しく、いずれ力尽きてしまいそうだった。


 辛うじて歩き回れる住人達は、絶望と失意の表情でそんな彼等を一瞥しながら、覚束ない足取りで歩く。


 そんな中、突如として現れた神楽達は、一瞬で村人達の目を引いた。


 女物の羽織を羽織った男と、死体と思われるものを抱き抱えて歩いて来る女。

 村人達は警戒し、身を強張らせ、二人が通り過ぎていくのを不審な眼差しで見つめる。


「――もし」


 その時、一人の老人が二人に向けて声を掛けた。


「失礼じゃが、一体この村に何用ですかな?」


 神楽達は立ち止まり、話し掛けて来た老人の方をちらりと振り向く。


 皺が深く刻まれ、少し頭皮が淋しくなった老人だったが、着ているものは付近に居る住人達よりほんの少しだけ上質だった。


 疲労と失意が皺の数だけ色濃く見える顔立ちだったが、雰囲気はとても穏やかで優しそうな印象を受ける。


 神楽はきちんと彼に向き合うと、一つお辞儀をする。


「この方に見覚えは?」


 そうして抱えていた女の遺体をそっと彼に見せると、老人は息を呑み目を瞠った。

 持っていた杖を半ば放り投げるように振り落とし、遺体に縋り付くように駆け寄る。


「りん! りんじゃないか!」


「……やはり、こちらの住人の方でしたか」


「りん、りん! ああ……何と変わり果てた姿に……っ。一体、何があったのですか……! 何故、この娘がこのような……!!」


「山の中で妖怪に襲われたようです。私共が駆け付けた時には既に遅く……恐らくは、即死であったかと」


「そんな……っ」


「――長老、どうかしたのか?」


 目に涙を浮かべ、りん、と呼ばれた女の遺体の頬を両手で撫でる老人に、少しずつ他の住人達も集まって来る。


「……誰だ、こいつら」


 うち、一人の体格の良い男が神楽達を警戒の眼差しで睨み付けたが、長老と呼ばれた老人は目の淵を少々乱暴に拭って、集まって来た男達を叱る。


「これ、無礼があってはいかん。この方達は、りんの亡骸を親切に届けて下さったんじゃ」


「っ、亡骸、って……」


 長老の言葉に、男達の間に動揺が広がる。


「おい、嘘だろ……!? だって、今朝まであんなに……!」


「りん!」


 男達も神楽に抱えられたままのりんの亡骸を覗き込み、それぞれ絶句した。

 長老は杖を拾い上げると、もう一度目元を拭って、彼等に素早く支持を出す。


太郎吉(たろきち)、りんを(しず)婆さんの所に運んでやれ」


「あ、ああ……けど……」


「りんは今朝、静婆さんの薬草を採りに山に入った。そこで運悪く妖怪に襲われて……殺されてしもうたんじゃ……妖怪に襲われて亡骸が帰って来ただけでも、幸運だったと思わねばならん事じゃろうて……」


「……、」


「それもこれも、この方達のお陰じゃ。失礼があってはいかん」


 最後には少し厳しい口調で言うと、男達は少々罰が悪そうに二人から少し距離を取る。


「さ、太郎吉」


「へい……」


 太郎吉と呼ばれた男が少し戸惑いながら神楽の側に寄る。

 神楽は彼にそっとりんの亡骸を託すと、小さくお辞儀をした。


 そのまま、太郎吉は数人の男達と共にこの場を離れ、神楽達も何となくその背を暫く見送った。


「改めてお礼を申し上げます。りんを帰して下さって、有難うございます」


「いえ……こちらこそ、駆け付けるのが遅く、みすみすあの方を死なせてしまった事……お詫び致します」


「何を仰います……貴方方が来て下さらなかったら、あの子は今頃、骨も残さず妖怪に食い荒らされておった事でしょう。本当に、何とお礼の申して良いか……。ああ、申し遅れましたが、私、長老の仁兵衛と言います」


「ご丁寧にどうも。私は神楽と申します」


「……、失礼ですが、そちらのお連れの方は?」


 神楽に次いで名乗りもしなければ、先程から一向に口を開かない男を、長老は不思議そうな目で見遣る。


 男は罰が悪そうに俯き加減に長老から目を逸らし、一つ、ぺこりと頭を下げた。


「この者も、山の中で拾った。何があったか、これまでの記憶が一切なく、己の名前も分からぬ、と」


「まあ……それは……何ともお気の毒に……」


「ちなみに、長老様はこの男に見覚えは?」


「……さあ……少なくとも、この村の者ではございません」


「……そうか」


 名無しの男は右の拳を握る。

 自分がこの村の住人である筈がない。そんなことは山の中で妖怪と戦ったあの時から、既に分かり切っていた。


「さ、ここでは何です。私の家にお越し下さい。……見ての通りの村です。何のおもてなしも出来ませんが、お茶くらいは何とか……」


「いえ。それには及びません。それより長老様、伺いたい事があるのですが」


「は……何でしょう?」


 ふと、男も神楽の方に視線を移す。

 そういえば、何故この村を目指していたのか、何を見に来たのか聞いていなかったことを思い出して。


「――“焔獄鬼”、という名をご存知か?」


「!」


「……焔獄鬼……?」


 その名を聞き、長老は再び目を瞠り息を呑み、名無しの男は僅かに困惑を見せつつ神楽が紡いだ名を反芻した。


「かつて、この付近の地を荒らし回り、闘争と虐殺の限りを尽くし、“最恐最悪”と恐れられた鬼。この世で最も恐ろしく、この世で最も悍ましいと言われ、その力はこの世の如何な妖や、神でさえも滅する事は出来ぬと謳われる、正に“最強の悪鬼”」


 そこで、神楽が何故か、男の方をちらりと振り向いた。

 だがやがてすぐに仁兵衛の方に向き直り、言葉を続ける。


「その鬼が封じられ、浄化された瘴気により守られ育まれし村――鬼神(おにがみ)村とは、ここのことですね?」


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