切望
「――……もう良い。もう、疲れた」
言葉通り、本当に、疲れ切った様子で。
とても、悲しそうな、声で。
やっと、正気に戻ったのだと、聖は安堵した、けれど。
「聖……我を、滅せよ。お前なら……それが出来るだろう」
守る為に最強の力を授かって生まれた。
守り続ける為に異形の姿で生まれた。
けれど……実際、本当に守りたかったものが何か、ずっと分からなかった。
「お前になら――否、お前に、我は、滅ぼされたい」
それが分かって、いつか、側で守り続けようと誓った、矢先。
その相手に、刃を向けてしまった。
慈鬼として認めてくれた唯一の存在を、裏切って、傷付けた。
守る為の力で――闘争と殺戮を行った。
もはやこの命に、生きる価値は、ない。
だから、どうか。
「――やれ、聖。我が友として、お前にはその責任が、ある」
狡い言い方をして、促した。
苦しそうに、抗うように首を振る友の背を、押したかった。
けれど。
目をぎゅっと閉じて、唇を噛み締めていた聖は、やがて、深く深く息を零して。
泣いているような、笑っているような、分からない顔で、聖は言った。
「そんな事、出来る訳、ない」
でも。
「でも……見逃す、訳にも、いかない」
だから。
聖は、持っていた刀を持ち上げて、正眼に構える。
「だから、中途半端な解決策を、取らせて貰う」
刀の刀身を、光が包む。
その光は天空を貫き、未だ燃え盛る山を一瞬で包み込む。
光の幕が全てを覆った時、今度は、聖は刀を地面に思い切り突き刺した。
地面を光が伝い、その光は焔獄鬼を足元から覆う。
呼応するように、地面から岩や石が浮き上がり、吸い寄せられるように焔獄鬼の体に集まっていく。
「“最強の慈鬼”焔獄鬼。これよりお前を、この地に封印する」
地響きの中、炎は光の中で消え、殺された者達全ての魂が黒い光の玉となって、焔獄鬼の周りに集う。
「この地はお前の瘴気と、殺された者達の無念や怨念で満たされた。それら全てを浄化し、再びこの地が清浄なる地となって蘇るまで……山の主たるお前は、眠りに就く」
冷淡に聖は告げる。
何と手緩いことを、と、反論する暇はなかった。
光に、岩や石に覆われていく程に、意識が、聖の声が遠退いていく。
「お前の瘴気は、俺のこの刀で浄化する。浄化された瘴気が、この地を守る。焼き払われた大地は、浄化されたお前の瘴気で、長い年月を掛けてきっと蘇る」
無駄だ、と薄れゆく意識の中で思った。
そんなことをしても、どうせ、人の世は、人間達は、繰り返す。
自分が、生きている、限り。
「それが何十年、何百年後になるかは、分からない。でも……焔獄鬼」
伏せられていた聖の顔が、そっと、上げられる。
彼は――笑っていた。
とても、悲しそうに。でも、とても優しい微笑みで。
両の目から、涙を零しながら。
「もし、お前が目覚めた時、俺が生きていたら」
――やめろ。
目覚めたくない。
目覚めてなど、いけないのだ。
分かっているだろう。だから、そんなことを、願うな。
「その時は……その時こそは、俺の村に来い。そして、その時こそ、一緒に生きよう」
そんなことをしたら、お前の優しい世界は、きっと。
だから願うな。優しい夢を、望みを、抱かせるな。
「そんでその時、あいつが……神楽が良い女に成長して、添い遂げる相手も居なかったら」
馬鹿か。
居るに決まっているだろう、そんな奴。
お前の子だ。将来はきっと美しく、素晴らしい女へと成長する。
「……頼むぜ、焔獄鬼」
光が、収束していく。
「――待っているからな」
その言葉を最後に。
焔獄鬼は、長い眠りに、就いた。
□□□
――神楽の脳裏に、情景が、浮かぶ。
燃え盛る炎に包まれる、生き物達の姿。
生きている者も、死んでいる者も、容赦なく飲み込む地獄の業火。
どれ程やめてくれと叫んでも、助けてくれと喚いても、命を狩る刃は不気味に煌めき続けて、血を浴びる。
だがそれは……焔獄鬼が語る百年前のこの山の情景、ではなく。
何の因果か偶然か、それと酷似した場面を実際目の当たりにした、神楽自身の、記憶の断片。
「――多分、我は、願ってしまったのだ。眠りに就く直前に」
今まで如何なる表情も見せなかった琥珀色の瞳が、不意に、切なげに、淋しそうに、揺れる。
「もし、聖の望み通り、いつかこの身が封印から解かれた時、奴がまだ存命であったなら……その時、我に温もりをくれた聖の愛娘に、出逢うことが出来たなら。――側で、永劫、守る役目を担えるなら」
真っ直ぐ見つめて来るその瞳に、熱が灯る。
「聖が作った優しい世界で、穏やかに、幸福に生きるおぬしを、守っていけたなら」
その、願いの残骸が――あの、名無しの男。
目覚めたくない。目覚めるべきではない、と思いながら、それでも――逢いたい、と、願わずにおれなかった焔獄鬼の、ただ一つの切望。
「愚かしく、滑稽な、願いだ……人間として生きよと願い育てられた娘が……鬼の我を受け入れる筈もないと分かっていながら」
でも、それならそれでも、良かったのだ。
たとえ神楽の視界に、自分の存在が一度でも入ることがなくても。
一生言葉を交わすことがなくても。
彼女が、人間として生きて、人間として死ぬその時まで。
近くもなく遠くもない、そんな、もどかしい距離で、ずっと、見ている、だけでも。




