百年前の悲劇
「聖が、我を呼んだのだ。おぬしが産まれる予定であった日の、幾日も前に。突然、式を寄越して。“もうすぐ子が産まれる。見に来い”と。鬼である我が人里へ向かえば、悪戯に混乱を招く。最初は行く気はなかったのだが……あまりにもしつこいので、遠くから様子を見るだけだ、と返事をして、当日、おぬしらの村へ出向いた」
「……、」
「おぬしが産まれた直後、村は大いに喜びに沸いた。誰もが歓声を上げ、誰もがおぬしの誕生を祝福した。そうしてその日の夜中、村人達が寝静まった頃、近くの森に潜んでおった我の元に、聖がおぬしを抱き抱えてやって来た」
神楽には、無論、その時の記憶はない。
けれど――何故か、酷く、胸が、切ない。
「名を教えてくれた。母上の名を一字継いで、神楽、と。仲良くしてやってくれ、と言われた。時々神楽を連れて山に遊びに来るから、と」
神楽はそのことを、聖から聞かされてはいなかった。
ただ、今はもう会えなくなってしまった、とても大切な友人がいる、と。
いつか、会わせてやりたい、と。
「それから――いつか自分の村に来い、と。そしてその時、神楽が良い女に成長し、想う相手も出来ていなかったら……夫婦になれ、と」
そしてそれは……神楽自身、父から言われたことのある言葉でも、あった。
「……父が言っていた。焔獄鬼が人の姿を取ったら、きっと、お前に似合いのかなりの美形になると」
言っていた通り、“名無しの男”はかなり整った顔をした男だった。
あんな粗末な格好ではなく、きちんとした身なりで、きちんとした振る舞いをしていたら、鬼神村の独り身の女子達は、競って嫁になりたがっただろう。
そうでなくても、彼は常に神楽の側に居た。
もしかすると記憶がなくても彼は、それこそ本能的に、そうしていたのかもしれない。
「くだらん冗談は止せ、とその時は笑い飛ばしたが……あの男が何処まで本気であったかは知らぬ」
何処まで、どころか本気も本気だったのだろう。
実際神楽は、幾度となく聖から、『お前の夫は是非とも焔獄鬼に』と言われていた。
「だがおぬしが産まれて間もなく、我は――聖と袂を分かった」
悲しそうな声音に、神楽は焔獄鬼との距離を少し詰めた。
「……百年前、何があったのか。父は終ぞ教えてはくれなかった。一体……何があったのだ。互いに唯一の友だと言っていたお前達が……何故、刃を交わし、封じたり封じられたり……そんなことにならなければならなくなったのだ」
切なげに神楽が問えば、焔獄鬼も苦しげに一度目を伏せて。
「全ては――我という鬼が、存在するが故に」
握る拳を、震わせて。
「我が存在こそが、全ての元凶であり、過ち」
懺悔のようでありながら、声音に、確かに憎しみと恨みを孕ませて。
「……何が、あったの?」
そんな焔獄鬼に、神楽は重ねて問う。
口調を和らげて、何処か寄り添うように。
「――通らせて欲しい、と、言われたのだ。人間達に」
「通らせて欲しい……?」
「ああ」
□□□
――百年前の、まだ、この辺りに人里などなかった頃の事。
無二の友に子が産まれ、その祝いにと山を数日離れた後。
近くの平原で、小さな国同士による合戦が、行われようとしていた。
どちらの国の名も、焔獄鬼は憶えていない。
が、そこへの行軍に、どうしてもこの山を通りたいと、片方の国の将がわざわざ許しを乞うて来た。
その者、一目見れば分かる程の豪傑。
生やした無精髭さえも誇りと戦果の象徴のような風貌の男だった。
そんな男が、わざわざ焔獄鬼を探し出し、眼前に跪き、この山を通ることを許して欲しいと言った。
「そのようなこと、いちいち我に許しを請う必要などない。通りたければ通れ。但しこの山は妖の棲み処でもある。悪戯に奴等を刺激すれば、たちまち貴様等の命はないものと覚悟せよ」
すると将達は山に棲まう全ての命には一切手を出さぬことを約束して、言葉通り、山をただ通り過ぎて行った。
わざわざ鬼と対面し、行軍の許しを得ようなどと、人間にしては随分と殊勝であり、また変わった心構えをしているものだ、と、その時焔獄鬼は感心こそすれ、興味は持たなかった。
――だが。
それより一月後、夢にも思わなかった事態が起きた。
合戦が行われ、どちらの国が勝利したのかなど興味の外のまま、平穏で静かな日々を送っていた焔獄鬼達に襲い掛かった、悲劇。
それは――人間達の襲撃、だった。
襲って来た者達は……山を通らせて欲しいと願い出たあの人間達。
奴等は突如として山に攻め入り、山一帯に火を放った。
ただ通るだけだと言って合戦に臨んだ人間達。
本当にただ通って行っただけの人間達が、突然、武装して山に押し入り、火を放ち、動物達を、妖達を次々と殺していった。
焔獄鬼は怒りに震え、人間達を問い詰めた。これは一体何の真似かと。
すると人間は……丁重な態度で森を通らせて欲しいと言った彼の将は、いっそ寒気が奔る程の正義を湛えた目で、高らかに言った。
「鬼と妖の棲み処たるこの山を、人の世より排除する!!」
貴様等は存在自体が罪、存在自体が脅威。
多くの人間の命を喰い殺し、ここが屍の山と化す前に、山諸共全てを焼き払うのだ、と。
少なくとも焔獄鬼は、彼等が合戦に向かうべくこの山を通った時、兵の一人も襲ってはいないし、それは山に住まう他の妖達とて同じ。
だが彼等は、一度は殊勝な態度で焔獄鬼の前に跪いておきながら、手の平を返して、存在自体が自分達にとって脅威であるから排除しに来たのだという。
何も――誰も、殺してなどいない、のに。
如何に声を張り上げ止めろと叫んでも……奴等の虐殺は止まらなかった。
焔獄鬼は、怒りの余り我を忘れ……鬼の本能を、呼び覚ましてしまった。
そうして――悲劇が、惨劇と、なった。




