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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
終章
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秘めていた願い

 

「う、ぐぅぁあぁっ!」


 上がる血飛沫。普段の彼女からは想像も付かない程の悲鳴。


 恐らくは、彼女が死ぬまで、彼はこれを繰り返すだろう。


 それでも――神楽は、反撃しようとは、しなかった。


「……いいさ……お前には、私を殺す、理由がある」


 いつかと、同じ、言葉。

 慈しむように、労わるように。


「でも……私には、お前と戦う理由も、お前を殺す理由も、ない」


 我が子を宥めるように。

 神楽は、貪るように自分の肌に喰らい付く名無しの男の髪を、そっと、撫でた。


「ああ……だがそういえば、何故だろうな……私を殺す理由がある者など、この世にいくらでもいるのに」


 気が、遠退く。

 遂には、鉄扇が、手から滑り落ちる。


「潔く命を明け渡す気になれるのは、お前だけだ……」


 多分それは――その理由を、もう、神楽は、知っているから。


「……私を、殺したら、ちゃんと……在るべき場所に、帰るんだよ……」


 そうじゃないと、きっと、“あの人”が、悲しむから。


 ――囁いて、目を閉じた、刹那。


「――やはり、目覚めるべきではなかった」


 そんな、後悔と悲しみに満ちた声が、辺りに響く。


 思わず神楽が目を開けた瞬間。


 神楽の肌に噛み付いていた名無しの男が突然意識を失い、神楽の左胸に突き刺した刀と、彼の腹部に突き刺さっていた槍が弾け飛んだ。


 同時に、彼が着ている着物が一瞬でただの白い布となり、球体のようなものに体が包み込まれて、そのまま宙に浮く。


 球体は意志を持ったかのようにふわふわと浮遊して、やがて。


 何処からとなく現れた赤黒い巨体――焔獄鬼の側で制止した。


 朦朧とする意識の中、体は急速に再生していく。


 痛みが全身から消えれば、意識も霞んでいた視界も鮮明になっていく。


 焔獄鬼は、顔の左側に名無しの男を包む球体を浮かべたまま、ゆっくりと神楽に歩み寄った。


 彼の鬼の表情はよく分からない。

 如何な感情を持って神楽を見下ろしているのかも、分からない。


 それでも神楽は怯むことも動揺することもなく、痛みの消えた体で、立ち上がった。


「……無事、だったか」


 言葉を選ぶように問うたのは、焔獄鬼の方だった。

 まさかそんなことを訊かれるとは思っていなかったので、神楽は思わず軽く目を瞠った。


「……お前こそ」


 小さな苦笑交じりに返す。


 互いに、掛けるべき言葉ではないぞ、という皮肉のつもりだった。


 だが神楽は、薄っすら浮かべたその苦笑をすぐに消して、焔獄鬼の傍らに浮遊する名無しの男を見つめる。


「……死んだのか?」


 言って、この言葉もまた場違いであることに気付いた、けれど。

 焔獄鬼は嘲るでも皮肉るでもなく、短く、否、と答えた。


「元よりこの男に、生も死もない。命、という概念でさえも」


「……ではやはり、その男は……」


 少しだけ悲し気な声音で神楽が言ったとき、名無しの男の体が球体の中で淡い光に包まれる。


 そのまま、焔獄鬼の胸元まで移動して――次の瞬間。


 名無しの男の体は、吸い込まれるように、焔獄鬼の中へと吸収された。


 ――もし、今の場面を琴や菖蒲が目撃したら、驚愕のあまり言葉を失い、目を瞠っていたことだろう。


 つまり、皆が名無しと呼んでいた、記憶も名も、過去も何も持たないあの男は――


「……奴は……我が力の影法師」


 そっと目を閉じて、焔獄鬼は語る。

 抜けていた自身の一部をなぞるように、胸元に手を置いて。


「目覚めの直前――我が身の内から溢れ出て来てしまった、願いの残骸」


 悔いるように、その手を眼前でぎゅっと握り締めながら。


「あの男の名は――“最強の悪鬼”焔獄鬼」


 名乗りを上げるようでありながら、忌々しい名を吐き捨てるような声音で。

 焔獄鬼が告げた瞬間、神楽は痛みを堪えるように目を伏せた。


「……その様子だと、奴の正体に気が付いておったようだな」


「……ああ……」


「いつから気付いておった?」


「お前の洞窟の中で、父の死を知り、我を忘れて私に襲い掛かって来た時から、もしや、とは思っていた。父は多くの人間達に慕われ恩義を感じられていたが、妖には敵しかいなかった」


 妖の中で、聖を慕う者が居るとするなら、それは、この世でただ一人。


 噛み付かれた肌を撫でる。


 妖としての本能だけで神楽を喰い殺そうとした先程のあの一瞬でさえ、名無しの男からはやり切れない想いが感じられた。


「奴は何故、お前から離れたのだ。願いとは、何だ?」


 僅かに切なげに神楽が問えば、焔獄鬼は静かに息を零す。


「……聖と……そして……おぬしと、逢うことだ」


 そうして、その場に、そっと、膝を着く。


 まるで、家臣が主に傅くように、片膝を立てて、頭を垂れて。


「目覚めたくはなかった。それも本心だ。だが同時に――聖が作る“優しい世界”を守り、おぬしら親子と共に生きることが出来たなら、と……心の何処かで、願っていた」


「私達は、初対面ではなかったのか?」


「厳密には違う。おぬしの記憶には残っておらぬだろうが……我等が初めて出逢ったのは、おぬしが産まれたその日だ」


 焔獄鬼が言ったその事実に、流石に神楽は驚いて言葉を失った。


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