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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
一章
5/61

 

 これには流石に神楽も目を瞠り、息を呑んだ。


 何が起こったのか、咄嗟に分からなかったけれど、見ると、今し方まで高笑いしていた筈の妖怪が、舌と両腕、更に尻尾を根元から切り落とされて地面に倒れ伏し、苦痛に呻いていた。


 神楽は思わず信じられないものを見るような目で、地面に転がった妖怪を凝視する。

 神楽の目でさえも、この刹那で何が起こったのか、見えなかった。


 呆けている間に、神楽を貫いた妖怪の尻尾は、妖力を失い砂塵となって消えた。


 無理矢理痛みを追い遣ったさっきとは、違う。

 この時、神楽は本当に、痛みを忘れた。


「――大丈夫か!?」


 掛けられた声に、目の前に庇うように立つ背に、状況の整理が追い付かない。


 ――否。


 単に、ひょんな事から旅路を共にすることになった男が、無謀にも戦いに割って入って来ただけ、ならば。


 神楽とて半ば混乱することはなかったかもしれない。


 神楽を驚かせたのは、例の名無しの男が突然現れた事、ではなく。

 妖怪の体を、切り裂いた、事。


 もっと言うなら、その方法が――素手、であった事。


 顔を半分だけ振り向かせて、男は神楽の様子を見遣って、苦し気に目を顰める。

 美しい薄桃の着物が、真っ赤に染まっている。

 額には冷や汗の珠が浮いていて、呼吸が少し浅い。


 そんな彼女に、男は身の内から湧き上がる怒りを、抑え切れなかった。


 未だ伏したまま、悶え苦しむ妖怪を敵意と殺意の籠った眼差しで見下ろして――両腕を、顔の前に構える。


 正確には、鋭く尖らせた、両手の爪を。


 それはさながら、一つ一つが刃のようだった。


 親指から小指に至るまで、正確に、確実に急所を捕らえれば間違いなく命を奪える程の。

 異形の者を一度でも見たことがある者ならば、彼の爪をこう例えただろう。


 まるで妖怪か鬼の爪だ、と。


 だがしかし、彼の指も爪も、先程までは確かに人間のものだった。

 命を奪える程に尖ってもいなければ、禍々しくもなかった。


 更に言うなら……見間違いでなければ今、彼の爪は、彼の意志で伸びたり尖ったりしたように、見えた。


「お前……」


 硬い声で神楽が呟く。

 だが、男はそれに答えることなく、妖怪へ向けて地面を蹴る。


「おのれ……! おのれぇええぇえ!!」


 妖怪も男の追撃に気付き、怒号を上げながら再び尻尾を再生させる。

 倒れたまま尻尾の刃を繰り出す妖怪だったが、男はそれを躱す素振りさえ見せず、足を止めない。


 どころか。


「ぎゃああああああ!」


 信じられない事に、男は正面から爪で尻尾を受け止め、そのまま尻尾を裂きながら速度を落とすことなく妖怪へ突進する。


 耳を劈くような悲鳴が響く中、男はあっという間に妖怪との距離を詰める。

 そうして、妖怪のすぐ側まで辿り着いた瞬間、男はもう片方の爪を突き出して、妖怪の首元辺りを貫いた。


 更に、彼は尻尾を裂いた右手を振り被り、そちらは妖怪の腹部を貫く。


「――死ね」


 低い呟きが、妖怪の、神楽の頭に直接届く。


 ぞく、と背筋が凍るような、声だった。


 思わず神楽が身を強張らせた、次の瞬間。


 男は妖怪の体を押し開くように両腕を力任せに振るった。


 容赦なく、無残に、両断され切り裂かれた蛇であり蜥蜴であった妖怪は、今度こそ、悲鳴を上げる間もなく、砂塵となって虚空へ消えた。


 男が構えを解くと、両手の爪も元の人間と同じ形に戻った。


 少し浅い呼吸が短い間隔で繰り返され、半ばぼんやりと地面を見つめる琥珀色の瞳は、敵が居なくなって尚、酷く冷たい。


「……おい」


 そんな、触れたらあっさりと誰彼構わず命を奪いそうな背中に、神楽は静かに声を掛ける。

 すると彼はびく、と肩を震わせて、弾かれたように神楽の方を振り向いた。


「っ、神楽」


 焦ったような声で神楽の名を呼び、彼は慌てて神楽の側に駆け寄る。

 未だ木の幹に寄り掛かったままの彼女を覗き込んで、男は明らかに狼狽えてみせた。


 数秒前とはまるで別人のような、様子だった。


「大丈夫か……っ? すぐに手当てを……」


「……いい。問題ない」


「問題ない訳がなかろう……! 出血も酷いし……とにかく傷口を見せてみろ」


 言いながら男は無遠慮に神楽に手を伸ばしたけれど。

 その手は、神楽に掴まれて、阻まれた。


「おい……」


 確かに、傷の手当ての為とは言え、男が女の着物に触れたりましてや(はだ)けさせようとするのは無礼千万だが、かといって放置するというのを見過ごす訳にもいかない。


 そう思って他意はない事を説明しようと口を開いたが――


「手当ては、必要ない」


 無機質な声音で言いながら、神楽は自分で着物を開いてみせたのである。

 予想外の行動に、男は堪らず目を泳がせてしまったけれど。


「……っ、な……」


 刹那。

 目の前で起こった事に、半ば、絶句する。


 ――ともすると気絶か、最悪死に至っていてもおかしくない程の傷が。


 あと僅かずれていたら危なかった傷が。


 みるみるうちに、消えていく。


 まるで――時間を、巻き戻すように。


「……か、ぐら……お前……」


 神楽に掴まれたままの右手が、微かに、震えた。


 それは、恐怖か、驚愕か、はたまた――今目にした光景を受け入れる事を、心が拒否しているのか。


 掴まれていない方の手を伸ばす。

 未だ露わにされたままの柔肌に向けて。


 神楽は拒まなかった。


 傷があった筈のそこに触れても、痛みに顔を歪めることも、無礼者、と罵ることも……羞恥に頬を染めることも。


「だから、言っただろう」


 代わりに、彼女は言う。


 何処までも静かに。

 何処か、呆れたように。なのに、何処か諦観のようなものを、滲ませて。


「私を、その辺の女と一緒にするな、と」


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