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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
四章
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消えゆくもの

 

 銀次は、早く早くと言いながら名無しの男の腕を尚も強く引いた。


 少しずつ冷静さが戻って来ていた名無しの男は、そこで漸く銀次の様子がいつもと少し違うことに気付く。


 何か変だ、と思った時、彼が村や焔獄鬼の洞窟からどんどん遠い場所へ名無しの男を誘導していることにも気が付いた。


 胸に駆け抜けた一瞬の悪寒は、本能が発した警告。


 名無しの男は銀次の腕を力任せに引き、足を止めさせる。


「貴様……我を何処へ連れて行くつもりだ」


 銀次は答えない。振り向きもしない。


 そこで名無しの男は漸く、銀次が細かく震えていること、全身に汗が噴き出していることにも気付いた。


 瞬間、しまった、と思った。


「……悪ぃ、名無し……」


 目を瞠り、咄嗟に、左手の爪を尖らせる。


「けど、こう、しないと……」


 だが――遅かった。


「こう、しねえと……親父が、殺されちまうんだ……」


 いつも豪快に笑う、村の親父的存在の銀次の声が、酷く、怯えていた。


 弱々しい声と共に振り向かれた彼の顔は……恐怖と、絶望が色濃く映り、瞳からは次々と涙が零れ出す。


 刹那。


「――っ!!」


 衝撃が、襲う。


 背中から、とんでもない勢いで何かが突き刺さり、体を貫かれる。


「ご……ふ……っ!」


 喉の奥から競り上がって来たものを、抗えずに吐き出した。


 地面が、雑草が、赤く、染まる。

 何とか踏ん張る意識の中、自身の腹の辺りを見れば――槍が、名無しの男の体を串刺しにしていた。


 それも、ただの槍ではない。


 膝をがくりと折りながらも、柄に触れてみる。

 槍全体から流れ込んで来る、特殊な力。


 これは……対妖用の武器。


「銀、次……、貴様……!」


「あ……っ、ああ……!!」


 何があった、と問おうとした口から、またもや大量の血液を吐き出した。


 銀次は普段の豪気さからは信じられない程狼狽し、尻餅をついて後退る。


「――よくやった、銀次とやら」


 その時、彼の背後から嘲笑交じりの声が響く。


 木々の合間から姿を見せたのは、小田原家の武士達だった。


 人数は三人。どれも年若い男達だった。


 真ん中の男は酷く高揚したような表情を浮かべ、肩に担ぐように抱えていた人間を、半ば放り投げる。


 その人物は、村で今最も重病の銀次の父だった。


 血液と共に体の力がどんどん抜けていく中、それでも名無しの男は三人の男達を殺気の籠った眼差しで見遣る。


「や、約束だ……! 親父の病を治す薬をくれ……!! そんで、もう二度と村には手を出さないでくれ!!」


 銀次はなりふり構わず、真ん中の男の腰元に縋り付く。

 朦朧とする意識の中、名無しの男はそれだけで凡その事情を察した。


「……卑劣、な……!」


 このまま無様に倒れてはいけない。

 こんな卑怯な人間達の手に掛かって死ぬなどと、あってはならない。


 名無しの男は気力を振り絞り、槍を自身の体から引き抜こうとありったけの力を込めた。


 だが、槍から流れる力は名無しの男が力を込めれば込める程に増幅し、彼から妖力をも奪う。


 先程尖らせた爪は既に人の形に戻り、遂には、膝立ちさえもままならなくなり、名無しの男は倒れ込んだ。


 そんな銀次と名無しの男を冷たい眼差しで交互に見遣って。

 小田原の兵士達はにやりと不敵に笑う。


「ああ、いいぞ……ほら、受け取れ……!!」


 ――そうして、次の、瞬間。


 名無しの男の耳に届いたのは、肉を裂く気色の悪い音と。老人の、悲鳴。

 名無しの男の鼻を刺激したのは、血と、肉と、死の、臭い。


「……っぅあぁああぁぁああぁあぁ!!」


 次いで森中に響き渡る、銀次の断末魔。


「親父! 親父、親父……親父ぃいぃぃいい!!」


 もはや指先一つでさえ動かすのもままならなくなった体を、懸命に動かして、名無しの男は何が起こったのかを確かめる。


 霞む視界の向こう、見えたのは、銀次の父の体を持ち上げた兵士が、刀でその体を無残にも刺し貫いている姿と。


 その父の体に背中から抱き締めるように縋り付き、喉が裂けんばかりに叫ぶ、銀次の姿。


「何で……何で!! 名無しか神楽を連れて来れば、親父の病気を治す薬をくれるって……助けてくれるって言ったじゃねえか!! 村にも今後一切手を出さないって……それなのに何で!!」


 銀次は怒りと絶望に突き動かされるままに兵士に詰め寄る。


 彼を見つめる兵士達の目は何処までも暗く、冷たく。


 我を忘れ、混乱と慟哭の中にいる銀次は、今し方父を殺した男が、再び刀を振り上げたことにすら気が付いていなかった。


「やめろ……っ!」


 堪らず名無しの男が、掠れた声で叫んだ、けれど。


「……っ、!!」


 銀次の叫び声は――その瞬間に途絶えた。


 汚いものを見るような目で、兵士は銀次の体を放り投げ、父親の体を蹴り飛ばす。


「任務完了だ。一旦撤退する」


「はっ」


 待て、と呟いたが、もはやそれは声にすらならなかった。


 意識は確実に遠退いていくのに、そんな中でもどす黒い感情が湧き上がる。


 こんな――無様な事があって堪るか。


 背後から不意打ちを喰らい、たかだか槍一本引き抜く事すら出来ず、みすみす目の前で……二人の人間が、殺された。


 それも、たった三人の、若輩の兵士に。


「お……の、れ……!」


 怒りと憎悪に突き動かされて、名無しの男は地面を僅かに這う。


 だが……もう、限界は目の前だった。


(くそ……)


 瞼が、重い。

 目を開けていられない。

 呼吸が、出来ない。


「……ごめん……名無し……」


 声が、聞こえる。

 もはやその声が銀次のものであることさえ、分からない。


「親父、人質に、取られ、ちまって……言う事、聞いたら……親父の病、治す、薬、くれる、って……だから……俺……」


 懺悔の言葉は。もう、名無しの男には、届いて、いなかった。


「ごめん……ごめん……名無し……琴……菖蒲……神楽……」


 銀次の目から、一滴、涙が零れ落ちる。


 それが――最期だった。


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