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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
四章
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狂う歯車

 

 いつの間に近付いていたのか、焔獄鬼がすぐ側まで歩み寄っていて。


「我もつい今し方気が付いた。この山に、大規模な陣が張られておる。全ての気を、力を極端に抑え込む、封じ込めの陣だ」


「……何故、お前がここに」


「異な事を。我が(ねぐら)はすぐそこぞ」


 確かにそうだが、この鬼が自分の元へ来たことが純粋に驚きだった。


 この鬼は名無しの男を嫌煙しているようだったし、名無しの男もこの鬼がどうにも気に食わなかった。


「結界、とは違うのか」


「ああ。結界とはあくまで、内側に在るものを外敵から守るもの。封じ込めの陣は言ってしまえば逆に、外のものを内側のものから守る為のものだ」


「奴等……お前や我等の力を削いで一気に殲滅しようという魂胆か」


「この程度の封じ込めでは、差して何も変わらぬがな」


 言いながら、焔獄鬼は片手を翳す。


 名無しの男が思わず怪訝な顔をして……次の瞬間。


 ばりん! という音と共に何かが弾け飛んだ。


 驚いて名無しの男が身を乗り出せば、二人の視線の先、原の外れが一瞬だけ眩く光り、何かがばらばらと崩れ落ちる。


 考えるより先に駆け寄って、それが何かを確かめてみれば。


「これは……」


「独鈷、だな」


 そう、そこには。

 砕かれて粉々になった独鈷が、転がっていた。


「恐らくはそれが陣の基点だろう。これ程の山を覆う為の陣ならば、他にもいくつか設置されておろうな」


「……、」


「聖の娘に報せに行け。こちらは引き続き我が探る故、お前はあの娘と合流後は二人で行動するが良い」


 淡々と指図すると、焔獄鬼はとどめのつもりか独鈷を完全に粉砕した。


「待て」


 次いで、とっとと次の場所へ移動しようとする赤黒い巨体の背中を、名無しの男が呼び止める。


「一つだけ、お前に訊きたいことがある」


「……何だ」


「お前は以前、我に“不要だ”と言ったな。あれはどういう意味だ」


「……何の事だ」


「惚けるな。貴様が目覚める直前、我の頭の中に直接声を送り込んだだろう。我に、“去れ”“お前は不要だ”と。あの場でそのような真似が出来たのは貴様しかおらぬ」


「………」


「答えろ。あれは一体どういう意味だ。我は――貴様の何だ」


 無自覚にも何処か切羽詰まったような声で、名無しの男は焔獄鬼に詰め寄る。


 正直この鬼とはあまり関わりたくなかった。


 神楽と穏やかに会話する姿も見ていて何だか気持ちが良くないし、そうでなくとも何故だか自分の中に、この鬼に対する拭い切れない嫌悪感がある。


 だというのに、この鬼の側に行くと何故か……心の奥底を刺激されているような、何かを誘引させられているようなじれったい気分にもなる。


 とにかく名無しの男は、焔獄鬼と関わりたくないと思う反面、焔獄鬼なら、自分の事を何か知っているのではないかという、漠然とした確信があった。


「……影法師」


 やがて、背中越しに聞こえたのは、そんな、答えだった。


 やっぱり意味が分からなくて、名無しの男は更に声を荒げようとした、けれど。


 焔獄鬼は話は終わりだとばかりに大股で歩き去っていく。


 名無しの男はそんな焔獄鬼の赤黒い背中を見つめて、ただ、呆然とするしか、なかった。





 影法師。


 その言葉の意味を、名無しの男は一人、ひたすら考える。


 否。その言葉が焔獄鬼の口から紡ぎ出された瞬間――男は、胸の内に何かがすとん、と落ちて来たような、妙な感覚に襲われた。


 そして先程からずっと、心の奥底で、何かが、誰かが、繰り返す。


 まさか、と。きっとそうだ、と。


 そう考えれば辻褄が合うのだ。


 もし――本当に、そう、であると、したら。


 ぎゅ、と拳を握る。


 それでも名無しの男は、そんな訳がない、と自分で自分の心を否定し続けた。


 だって、もし、本当にそうなら……もう、神楽の側に、居られなくなってしまう。


 それが、堪らなく、恐ろしい。


 焔獄鬼は名無しの男を“不要だ”と言った。


 ならばこのまま、記憶など戻らず、出たかもしれない答えに目を逸らして、ずっと、何一つ持たぬ無名の妖のままでいれば。


 名無しの男は自身の腹の辺りを片手で摩りながら、憔悴した笑みを浮かべる。


 そうだ。本当はもう、彼は自身の記憶などどうでも良いと思っていたのだ。


 ここへ来て、全ての真実に辿り着くことに何の意味や価値がある。


 それで、神楽を失うくらいなら。

 彼女の側に居られなくなるくらいなら。


「――名無し」


 暗く重い思考に足を取られ掛けた、その時。


 突如、背後から声が掛かる。

 思わずびく、と肩を震わせながら立ち止まり、振り向いてみれば、そこには、銀次が立っていた。


「……、どうしたんだよ、名無し。なんかめちゃくちゃ顔色悪いぞ? 具合でも悪いのか?」


「、……いや……何でもない……大丈夫だ。それより、お前こそどうした? 畑は良いのか?」


 無理矢理いつもと同じ表情と声音を作って問い返す。


 すると銀次は「ああ、そうそう」と少々慌てた様子で言って、名無しの男の手を少し強引に引っ張った。


「ちょっと来てくれねえか? 村の奴等が向こうで小田原の兵士みたいな人影を見たって言っててよ」


「……分かった」


 言われて名無しの男は当初の目的を思い出して、何も疑うことなく引っ張られるまま銀次に付いて行く。


 ――名無しの男は気が付かなかった。


 彼の手を引く銀次の手が、僅かに、微かに、怯えたように震えていたことを。


 急かす彼の顔が、真っ青だったことを。


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