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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
四章
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信じる価値のないもの

 

 とん、と背中に微かに衝撃が伝わる。


 名無しの男もまた、壁に背を預けたのだと分かった。


「どうしても思い出せぬ過去の誰かより、我は――今、この手で守りたいと願う者の側に居りたいのだ」


 神楽、と静かに名を呼ばれる。


 淋し気で……それでいて、とても、切ない声音で。


「お前を守れるのは、我だけだ」


「……、」


「人が妖怪の心の臓を喰らわば、その者は喰った妖が宿す妖力を丸ごと引き継ぎ、不老不死の妖となる。だが……丸ごと引き継ぐと言っても、それは所詮、喰った者の器に見合う分だけだ」


 何が言いたい、と言い掛けて、でも、口を閉じた。


 ――別段、認めたくなかった訳でも、気付いていなかった訳でもない。


 彼は……未だ、己の名すら思い出せないこの男は。この、正体不明の妖怪は。


「お前は、誰かに、何かに何をされても死ぬことはない。が、それは決して、最強と同義ではない。最強の称号は、あのいけ好かぬ鬼だけのもの。お前の戦闘力は、我より遥かに劣っている」


 確認する必要がなかったから、今まで気にして来なかった。

 比べる事自体、確認する事自体、無意味だった。


 守って貰うつもりなど毛頭なかったし、敵を葬れるだけの力があるなら、それだけで十分で。


 自分は確かに並みの妖や人間の豪傑より遥かに強いけれど、そこに歓喜する気持ちもなければ、誇りに思ったこともない。


 ただの、無機質な、事実としての認識だった。

 それでもやはり、聖の妖力は、素質としてもそもそもの体付きとしても、神楽が全てを受け継ぐには余りあって。


 聖は強かったけれど。本当に、最強の妖と言って良いくらいに、強かったけれど。


 それ以上に、この名無しの正体不明の妖は、強い。


「更にお前は、己がその気にならなければ戦うことも、攻撃を躱すことさえもしないうつけ者だ。故に、お前がお前自身を守るつもりがないのなら――我がお前を守る」


 決意に満ちた声は何処までも力強く、そして曇りなく。


 己が何であるかを知るよりも、己が何を望むかを見据えて動く、という。


 自分の名前さえ分からず狼狽えていた頃とは、別人のようだった。


「……そうか、ならば覚えておけ」


 一瞬、だけ。


 胸の辺りが切なく疼いた、気が、した、けれど。


 神楽は、それに、気が付かない振りをした。


 ばしゃん、と。勢い良く湯船から立ち上がる。


「――男の口から出る“守る”という言葉程、いい加減で便利な言葉はない」


 名無しの男が息を呑んで、壁の向こうでこちらを振り向いたのが気配で分かった。


 だが神楽はそれも無視して。


「そんな易い言葉に引っ掛かるのは、穢れを知らない無垢で哀れな生娘だけだ」


 生憎私は、生娘ではないし、風呂一つで落とし切れぬ程の穢れを背負っている身だ、と。


 何処までも冷淡に呟いて。


 神楽は、湯殿から立ち去った。


 名無しの男は暫し呆然としていたけれど、やがて、深い息を零しながら再び壁に寄り掛かって座り込み、夜空を見上げる。


 きっと、かつて彼女が愛した人間の男も……彼女を守ると、言ってくれたのだろう。


 だが結局守れなかったから。守ってくれなかったから、彼女は全てを失い、人間としての有限の命さえも、失った。


 この時、名無しの男は。

 名も知らぬかつての神楽の恋人を、半ば呪った。



 □□□



「しくじったか」


 小田原の城。天守に於いて。


 城の主は重厚な、それでいて纏わり付くような声で呟いた。

 既に寝間着に着替え、両脇に女達を侍らせるその男こそ、この小田原家が城主。名を、小田原東秀(おだわらとうしゅう)


 見た目こそ小太りで女にだらしない様相ではあるが、一度槍を持ち戦場に立てば、幾多の兵士をその剛腕の下、一撃で薙ぎ倒す程の豪傑であった。


「は……申し訳ございません。よもやあの者達がかように腰抜けであったとは……」


 廊下に深く平伏しながら、家臣の一人が嫌味な声で言い、側に控えていた年若い兵士達がびくりと肩を震わす。


 見た目の歳こそ城主とそう変わらなさそうな彼は、小田原家一の家臣、宗玄(そうげん)


 ――鬼神村で、権蔵、林助、善吉と接触して来た男が彼だった。


「ふん。まあいい……妖を見たことはあっても、鬼などそうそう出くわすものじゃない。若い奴等にはさぞや脅威であったことだろう」


「恐縮でございます」


「それにしても厄介だな、その神楽とかいう娘といい、名無しの権兵衛といい……何より、焔獄鬼といい。妖が一所(ひとところ)に三匹。何かあれば、この小田原城下も只では済むまい」


 言いながら東秀は傍らの女官の尻を撫で回す。

 もう片方の手では長い顎髭を梳く様に撫でながら、何やら思案するように目を閉じて。


 しかしすぐに目を開き、厳格な声で宗玄に問うた。


「宗玄、例の者達は揃っておるか?」


「後一人、道中で起きた災害の為に到着が遅れておりますが、明日早朝には到着する予定です」


「そうか……まあ、あの手は妖共の化けの皮を剥がした時まで取っておくつもりだったが、致し方ない。そんな悠長な事を言っていられる相手でもなさそうだからな」


 そして東秀は立ち上がり、宗玄の眼前まで歩み寄った。


「残りの一人が到着したら、すぐに作戦行動に移れ」


「……、!」


「ちまちまとした小賢しい手段は止めだ。相手は日ノ本で最恐最悪と恐れられる悪鬼と、不死の体を持つ女妖怪、そして得体の知れぬ妖。小田原家が総力を挙げて、奴等を殲滅する。無論」


 そこで東秀は一旦言葉を切り、天守内に居る全ての人間を一人一人見回した。


 一人一人は一瞥程度である筈なのに、その視線は舐め回すように不気味だった。


「奴等を神だの恩人だの崇めている、鬼神村もだ」


「……宜しいのですか? 妖怪達さえ葬ってしまえば、連中も目が覚めるのでは?」


「よしんば目が覚めたとしても、あの村は既に病魔に冒され救う手立ての潰えた村だ。あの女達が消えれば、たちまち病が再び蔓延し、いずれこの城下にも広がってしまう恐れがある。我が小田原家の繁栄と防護の為、病に蝕まれた村は即刻隔離、排除する」


 若い兵士達が怯えたように顔を見合わせた。


 心臓の音が五月蝿いのは、妖怪達を退治せよと命じる城主の声が、あまりに豪気と自信と満ちていることへの高揚か、はたまた。


 城下を守らんが為とはいえ、力無き村を一つ排除せよと命じる城主の目が、あまりに冷徹で冷淡であるが故の恐怖か。


「あ、あの……女、子供も、で、ありますか……?」


 その恐怖を僅かでも取り払いたいと思った為か、或いは、自らの主にも少しは慈悲がある筈と思ったが故か。


 若い兵士の一人が、少々震える声で東秀に問う。


 東秀は、そんな彼を睨むように一瞥して。


「当然だ」


 と、低く、重く、吐き捨てた。



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