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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
四章
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命の使い道

 

「いずれにしろ助かった。重ねて礼を言う」


「要らん。我は特に何もしておらぬ。あの娘が無傷だったのは、我の姿を見て人間共があっさり腰を抜かして逃げて行ったが故だ」


「だが、届けてくれただろう。あの子を。そのまま放置しておけば良かったものをわざわざ。それも……あの子が濡れて体を壊さないように庇いながら」


 ほんの少しからかうような目で神楽が言えば、焔獄鬼は一瞬押し黙る。

 その様子に、再び村人達がざわついた。


「……くだらん」


 誤魔化すように吐き捨てて、焔獄鬼は背を向け、歩き出す。


 薄暗く不気味な森の奥へと歩みを進める赤黒い背中を、村人達は呆然と見送っていた、けれど。


「お……鬼神様ぁ!!」


 突然、お文が大声で焔獄鬼を呼び、転がるようにその場に深く平伏する。


 無論、それで焔獄鬼が足を止めることはない。


 去り行く背中はどんどん遠ざかっていくけれど、お文は構わず声を上げる。


「有難う……! 有難うございました!! この御恩は一生忘れません!!」


 泣き声交じりの礼の言葉は、果たして、焔獄鬼にちゃんと届いたか、定かではなかったが。


 彼女の感激と安堵が伝播したのか、他の村人達も次々とその場に座り込み、平伏する。


「やっぱり……あの方は悪鬼なんかじゃなかったんだ」


「そうだ……紛れもない鬼神様だ……!」


「あんな方をあろうことか殺すべきだと言ってたなんて……何て罰当たりな……!」


 崇拝の対象を見失っていた彼等にとって、それはこれ以上ない程の僥倖だった。


 焔獄鬼の封印が解かれたと知るや否や、滅するべきと血気に走った銀次も、己の過去の言動を恥じるように涙ぐみながら頭を垂れ、歓喜に沸く村人達を見遣って琴と菖蒲は互いに微笑み合い。


 神楽も密かに、そんな彼等の姿に安堵の息を零した。


 これで、無駄な争いの火種が一つ消えた。


 ただ一つ、気掛かりな事があるとすれば。


 神楽はちらりと、権蔵達三人の方を見遣る。


 彼等も一応は皆に倣って焔獄鬼の去った方に向かい平伏していたが。

 上げられた顔は、三人共、困惑と狼狽だった。





 小さな格子窓から、形のいい三日月が見えた。

 先程までの豪雨が嘘のように、雲一つなく晴れ渡っている夜空。


 心細くも優しく浮かぶ月を見上げて、神楽は湯船の中で息を零した。


「――居るのか」


 ふと、神楽は小窓の向こうに声を掛ける。

 確かに感じる人の気配。


「ああ」と聞こえた短い返事は、名無しの男のものだった。


「本当に来たのか。不要だと言っただろう」


 呆れた声でそう言えば、薪を窯にくべる音の後で、とても不機嫌そうな声が返って来る。


「あの卑怯者共が押し入って来るやもしれん」


 彼の言う卑怯者共、というのは、権蔵達三人組の事だった。


「たとえ押し入って来ても、何の問題もない。湯が血で汚れるが、それは後で沸かし直せば良いし」


 といっても貴重な水で沸かした風呂だ。

 神楽とて、今夜は村へ来て初めての湯浴みである。


 つい先程までは、琴を始め村の女達が二、三人ずつ交代で入っていた。

 順番としては最後であったが、残った湯はまだ別の用途で利用出来る。


 自分のせいで無駄にしてしまうのは忍びないから、襲撃を受けてもちゃんと湯船からは出なくては。


「ちゃんと湯船からは出ても攻撃は躱さぬ、とは一体どのような茶番だ」


 余程あの権蔵達の事が信用ならない上、気に喰わないらしい。


 名無しの男は、一連の行方不明事件が落ち着いて、神楽と共に仁兵衛宅に戻った際、突然、神楽の腕を掴んで眉間に深く皺を刻んで言った。


『これより先、我はお前の側を決して離れぬことにする』


 特に、絶対的に無防備にならざるを得ない時間、入浴時と睡眠時は必ず、と。


 一瞬神楽は思わず間の抜けた顔をしてしまったが、すぐさま持ち直して、「要らん」と言った。


 が、彼は引かなかった。頑として、神楽がどんなに不要と言っても聞かなかった。


 何をそんなにムキになっているのか分からないが、傷を負っても殺されても全て無に帰す者を気に掛けるなどという無駄な時間を過ごしてどうするつもりなのか。


 溜息を零すと、神楽は小窓の真下まで移動して、戸板越しに彼に背を向けた。


「私の事より、自分の心配をしろ。未だ何も思い出せていないのだろう」


「それこそどうでも良い。生きる術も、戦う術も、この体と頭に叩き込まれている」


「どうでも良くはない。このままでは一生、元居た場所へ戻れなくなるぞ」


「……構わん。我はもう、この命の使い道を決めた」


 からん、と薪をくべる音が身近に聞こえる。


 決意に満ちた声音。


 ……一瞬、だけ。ほんの、僅か、ほんの、微か、だけ。


 胸の辺りが疼いたような気がしたのは、気のせいだろうか。


「己を知らぬ者が、安直に命の使い道など、決めるものではない」


 誤魔化すように、追い遣るように、神楽は低い口調で言う。


「お前がどんな妖なのかは知らないが、そこまで人の姿を完璧に模せるということは、或いは、父と同じように人の世に紛れて生きていたのかもしれぬ。その目的が人との共存であるか、はたまた人を騙して虐殺する為かは分からないが……もし前者であったなら、お前を待つ者も在ろう」


 たとえ後者であったとしても、それもまた妖として当然の営み。

 責めるつもりも、はっきりしないうちから阻むつもりもない。


 だが、可能性としては低くても、もし、本当に前者であったとしたら。


 帰れる場所があるなら、帰った方が良い。


 帰れる場所があるということは、そこで、待っている者が居るということでもあるからだ。


 もう帰れない、待つ者もない神楽とは、違う。


「――そんなに、我が側におっては都合が悪いか?」


 ややあって聞こえたのは、少し、淋し気な声、だった。




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