英雄の真実
村で一番病状が重いのは、銀次の父親だった。
そこそこに体格も良く丈夫な体をしていたが、病に冒された途端にみるみるうちに体力を失っていき、全盛期に比べて体つきも衰えてしまったという。
運ぶのに少々手間取りそうではあったが、病の蔓延と感染を少しでも食い止める為には、やはり、神楽が運ぶのがいいだろう。
抱えて飛べば多少は楽だし。重さは変わらないけど。
銀次の家は畑から一番近い場所にあった。
大人二人が一緒に住むには少々手狭な外見だが、名無しの男曰く、長老宅の次に頑丈な家屋らしい。
成程、住んでいる者達の風貌から言っても納得だった。
神楽は、そんな屈強だけど小さな家屋の戸を半ば無遠慮に開いて――
「……、!」
中の様子を見て、思わず小さく息を呑んだ。
「……お前」
少し苦しそうな寝息を立てる男の傍らに、彼の表情を覗き込むようにして座る名無しの男。
まさかここに先に来ているとは思わなかったので、神楽は不覚にも驚愕を隠せない。
「……この者と……男の患者は我が運ぶ」
「………」
「お前は女子供を運ぶといい。その方が患者達にとっても都合が良かろう」
素っ気なく言いながら、名無しの男は銀次の父を肩に担ぎ、神楽の横を通り過ぎる。
相変わらず、目は合わそうとしない。
「……私に気遣いなど無用だと言った口で、随分と親切なことだな」
寝込みを襲おうとした男が何を、と何だか可笑しくなって嘲笑交じりに神楽は吐き捨てる。
「――勘違いをするな」
男は振り向かない。神楽も勿論、振り向かない。
互いに背中を向けたまま、男もまた、吐き捨てた。
「お前を気遣っての事ではない」
男は気付かない。無意識に、銀次の父の体を支える手に、悔し気に力を込めていることに。
「誰が……お前を気遣うものか」
そうして彼は、銀次の父を抱えて、空に飛び上がる。
彼の姿が見えなくなると、神楽は小さく溜息を吐き出して。
次の重病人が居る家へと向かった。
名無しの男が、森の中を一人歩く神楽を見掛けたのは、焔獄鬼の封印が解かれて十日目の昼間。水汲みの帰りだった。
薬草か山菜でも摘みに行く途中かとも思ったが、それにしてはそれを入れて運ぶ籠等は持っておらず、しかも向かっている先は焔獄鬼の洞窟の方向だったから、不思議に思わないではいられなかった。
気配を殺し、素早く彼女との距離を詰めて、追跡する。
焔獄鬼に会いに行くのだろうか。だが、そうであるとしたら一体、何の用で?
考えたとこで分かる筈もない疑問を、心中でぐるぐると繰り返す。
そうしながら進んでいると、突然、彼女が道を逸れた。
焔獄鬼の洞窟がある方ではなく、全く違う場所へと向かい始める。
尾行がバレたのかと一瞬冷やりとしたが、そう言う訳でもなく、神楽は最初からそちらに向かっているのだと分かった。
(一体、何処へ……)
洞窟と川以外の場所に行ったことがない男は、ますます訝しく思う。
更に彼女は、森の奥へ奥へと進んで行って――不意に、視界が開ける。
「……、!」
そこは、丘だった。
切り立った崖の先には、墓と思われる土と石。
古くはない。寧ろ新しい。
一体誰の……。
そう思いながら無意識に一歩、足を踏み出した時。
ぱき、と小枝を踏んでしまった。
「………」
咄嗟に体を跳ね上がらせて下がったけれど、振り向いた神楽は、名無しの男がそこに居ることに、別段驚く風でもなく。
何事もなかったかのように、再び墓に向き直った。
「……それは、誰の、墓だ……?」
何も言わないので別に居てもいいんだろう。
そう都合良く判断した男は、少しだけ恐る恐る彼女に近付き、問うた。
「――仁兵衛」
「、!」
「ここから、鬼神村が見えるだろう? 琴の意向だそうだ」
言われて男は、水桶をそっと足元に置いて、自らも墓の側に歩み寄る。
確かにそこから、鬼神村が一望出来た。
天気が良いせいだろうか。
結界が消え、貧困と飢餓で困窮している筈の村は、それなのにここから見下ろすととても穏やかで、静かで、心が和む。
気持ちが少し楽になったような気さえ、して来る。
ふと、隣の神楽を見遣って――男は小さく、息を零した。
村を眺め、仁兵衛の墓を見つめる目が――とても、淋し気で、切なげ、だったから。
あまりに切なくて、胸の奥が、一つ、音を立てた。
一方で、あまりの無防備さに、これは好機だと思った。
今なら――殺せる。
そうして、両の爪を妖力で尖らせて……けれど。
持ち上げることさえ、出来なかった。
「っ……」
男は居た堪れない気持ちになって、神楽から目を逸らす。
「――聖、は」
そして考えるより先に、言葉を唇から滑り落としていた。
「聖は……お前の父上は……どんな方、だった」
何かを耐えるような名無しの男の声音に、神楽はそっと彼を見上げる。
随分久し振りに、この男の顔をちゃんと見たような気がした。
「……今となっては、記憶も曖昧だ」
答える必要はない、と思った。
この男にとって聖が何であったのか、聖にとってこの男が何であったのか。
ひと欠片さえ思い出せないうちは、聖の事を語る意味などないと。
だが、神楽もまた、考えるより先に言葉を紡いでいた。
否定でも拒絶でもなく、父親について、純粋に、飾らぬ言葉と気持ちで。
「憶えているのは、その優しさと……愚かなまでの人間愛」
与えられたものが、何であったのかを。
「人を愛し、人を慈しみ、人として生きて死ぬことをひた願い、それを生涯の生き甲斐であり誇りだと、よく、言っていた」
「……、大袈裟だな。人を愛することも、人として生きて死ぬことも、わざわざ願う必要もあるまい。人間であるのなら当然の道筋だ」
「……そうだな。だが……父には、それが一番難しい事であり、尊ぶべき事だった」
どういう意味だ、と問おうとして、違和感に気付く。
その違和感を優しく包み込むような目で、神楽は、言葉を続けた。
「――父は、人間ではなかったから。人間ではないのに、人間を愛してしまった、愚かな異端の妖だったから」




