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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
三章
33/61

少しずつ

 

 ――深夜。


 慣れない作業に疲れ果てた村人達が、深い眠りに就いた頃。

 神楽もまた、一人になった客間で就寝していた。


 月のない闇だけが支配する新月の夜。

 久し振りにまともな食事をした村人は、僅かな希望と幸福の中で、誰一人その不穏な気配に気付く事はない。


 足音も、気配も、何もかもを消し去って。


 彼は――つい一昨日まで使っていた部屋の前まで辿り着く。


 障子を開けて、中に入り、後ろ手で障子を閉めて、眼下に横たわる、無防備な女の寝顔を、酷く冷めた目で見下ろした。


 名無しの男は、一つ、深く深く息を吐き出して、右手を持ち上げ、爪を尖らせる。


 どうしても……どうしても、彼は、感情を、抑え切れなかった。


 ――許せない。

 そう、強く、思う。


 聖を……殺した、この女妖怪が。


 ――許せない。


 理由を問うても決して言おうとしないばかりか、お前には言う必要はない、と宣ったその傲慢さが。


 でも――分からない。


 どうして自分はこんなにも、怒りを抑えられないのか。

 どうして自分はこんなにも、許せなくて苦しいのか。


 怒りや苦しさは、憎悪へと変換されていく。


 そしてその憎悪はきっと、この女妖怪を殺せば消えるんだろう。


 怒りの理由が分からなくても、苦しさの意味が分からなくても。


 終わらせてしまえば、それこそ、関係ない。


 もううんざりだ。


 この女に、振り回されるのは。


 きっと、自分なら――彼女を、殺せる。


 根拠のない確信だった。だが男は、そこにひと欠片の疑いさえ抱かなかった。


 どっ、どっ、どっ、どっ、と、鼓膜が破れんばかりに一つ一つの鼓動が大きく、五月蝿い。


 それを誤魔化すように、彼は今度は深く深く息を吸い込んで、止める。


 そして。


「――……っ!!」


 躊躇なく、一気に、爪を神楽の喉元目掛けて突き出した。


 ――……だが。


「……っ、……」


 男の爪は、神楽の喉を、裂いては、いなかった。


 あと、ほんの僅か。

 あと、もう一押し。


 たったそれだけで、彼は神楽の命を奪える。


 怒りを、苦しみを、憎悪を、この胸から追い払うことが出来る筈、なのに。


「……、!」


 手を、動かそうと力を込めようとする、のに。


 ――動かない。

 まるで、見えない何かに阻まれているかのように。


 ……否。

 彼の心が――神楽を殺す事を、拒絶、していた。


 それは、命を救われた恩故か。

 或いは、数日行動を共にした為に、気付かず心に生まれていた情故か。


 殺したい。殺してやりたい。

 殺さなくては、いけない、のに。


 ――出来ない。

 殺せない……殺したく、ない。


 ――男は、爪を、人の形に戻した。

 そうして、手を震わせたまま、引っ込める。


 その時。


「っ、」


 神楽が、静かに、目を、開けた。


 男の気の乱れを感じ取って起きたのか。


 否。

 恐らく、最初から。


 責めるでなく、怒るでなく、ましてや驚くでもなく。

 ただじっと、真っ直ぐ男を見上げる神楽の瞳は、何故か、酷く、優しくて。

 

 気が付いたら、男は、部屋から逃げるように立ち去っていた。






 雨が降らないのに、村人達の表情はここ数日で随分明るくなった。


 窮状は変わらない。


 雨も降らなければ畑も枯れたまま、病の床に臥せっている者達の病状も変わらず、ただ、今日を生き延びられるかどうか不安を抱えながら生きる。


 それでも彼等の表情が明るいのは、気持ちが前を向き始めているからなのだろう。


「今日から長老宅を診療所として開放する。重病の者は一番奥の仁兵衛殿の部屋に、比較的軽症の者は客間に。怪我人は他の空いている部屋に。男達は、病人の居た家を清掃し、女達は交代で診療所の応援を。診療所には私と琴が常駐し、常に彼等を看るようにします」


「へぇ……いいのかい、琴?」


「ええ。神楽様が、特に病状が酷い人達は隔離して看病した方がいいから、って」


「けど、それじゃあお前が感染しちまうんじゃ……」


「重病人の看病は私が行います。琴には、それ以外の患者を引き受けて頂きます。――私なら、感染しても平気ですから」


 神楽の言葉に、村人達は複雑そうに目を伏せた。


 今後の事を話し合おうと行われた会議の場。


 集まった年若い村人達と、少し離れた場所に名無しの男。


 窮状も変わらず、鬼も目覚め、結界は切れ、試練に次ぐ試練という他ない状況に在って、ここへ来て彼等の目は、生気に溢れていた。


「よし、じゃあ病人達を運ぶか!」


「待って」


 少々暗くなった雰囲気を吹き飛ばすように、銀次が立ち上がりながら声を上げるも、神楽がすかさず片手を上げて引き留める。


「何だ?」


「貴方方は軽症の人達を運んで。重病人は私が運ぶ」


「……いや、しかしそれは……」


「気遣いは無用。もう分かっているだろう。それに、今ここで貴方方まで感染されるのは避けねばならない」


「……、」


「運ぶ時は念の為綺麗な布で口を覆い、終わったら念入りに手を洗え。本当は全身水浴びをして着物も替えた方が良いが、水を贅沢には出来ない。それから、病人達の家の清掃は、運んだ者とは違う者が行い、やはり終了後は念入りに手を洗え。良いな」


 言って神楽も立ち上がり、歩き出す。


 残った男達も互いに顔を見合わせて、誰が誰を運ぶか、誰が清掃に入るかを早々に話し合い、それぞれ散った。


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