亀裂
眼前の男も、鍬を下ろして唇を引き結び、拳を握る。
極論と言えば極論ではあったが、神楽の言う事は本質だった。
「――……そうさな」
重苦しい沈黙の中、不意に、疲れ切ったような声が響く。
全員が振り向けば、杖を突きながら神楽達に歩み寄る老人が一人。
「最長老……」
鍬の男が呟く。
彼こそが、仁兵衛の父にして先代の長老、仁兵衛を陰で支えていた人物。
長老を引退後は皆から最長老と呼ばれながら、村の外れの小さな小屋で一人静かに余生を送っていた。
「仁兵衛も言っておった通り、我等は鬼神様や聖様に甘え切っておったんかもしれん。封印も結界も、人の為ではなかったと分かった途端、彼等に八つ当たりをするような事を言って……罰当たりな事じゃ」
「お祖父ちゃん……」
「のう、皆の衆。ここは、この方々を信じて、やれるだけの事をやってみんか? 鬼神様に我等を殺す意志があるなら、そもそも琴も菖蒲もこうして生きて戻って来てはおらんじゃろうて……」
最長老の言葉に、琴と菖蒲が笑みを浮かべて顔を見合わす。
村人達も同じように戸惑いながら互いに顔を見合わせ、目だけでどうするか相談していた。
その様子を確認した最長老は、少しだけ疲労の滲む笑みで神楽を見遣り、問う。
「お前さんの言う通りにすれば、村が蘇る公算が出て来るか?」
「……保証は出来ません。それこそ徒労に終わり、やはり最後には滅びる未来も有り得ましょう」
「世知辛い事じゃの……そこは嘘でも“きっと大丈夫だ”と言って下されば、踏ん切りが付かん奴等もやる気を出すじゃろうに」
「そうしていざ救われなかった時、貴方方は私に全責任を押し付ければ良いが、私は貴方方の為に無駄な責任を負う義理はない」
「良い奴なのか嫌な奴なのか、分からん性格をしとるな、お前さんは……」
神楽の冷淡な言葉を、最長老は何処か面白そうに笑った。
そうして、もう一度村人達の方を振り向いて、言う。
「皆の衆、神楽様の仰るようにな」
最長老は神楽と名無しの男に深くお辞儀をする。
すると村人達は、誰からともなく立ち上がり、二人を囲うように歩み寄った。
神楽の言う“出来る事”
それはつまり、村の復興だった。
壊れた家屋を整備し、足りぬ薬を補充し、水を確保する。
言う程簡単な事ではなかったが、神楽も名無しの男も、自らの妖力や知識を惜しみなく披露し、何とか村を蘇らせる為に注力した。
名無しの男は、村の男達を指揮して家屋の整備に当たり、神楽は女達を指揮して薬草の見分け方や簡単な薬の作り方、草木や虫の調理法などの伝授に当たった。
合間に怪我人や病人の治療にも当たり、二人は文字通り寝る間も惜しんで村中を回り続けた。
まだ一晩しか経っていないのに、失意に暮れていた昨夜が嘘のように、村人達は一生懸命働いた。
「――神楽様」
昼過ぎ。女達で作った昼食を村中に配っている最中、ふと、琴が神楽に声を掛けて来た。
「どうした」
「えっと……名無しさんがお戻りです」
名無しさん。そう言われて誰の事か瞬時に悟る。
未だに自分の名前を思い出せない名無しの男のことを、村人達は今日一日でいつの間にかそう呼ぶようになっていた。
琴が指差した先、空から名無しの男が下りて来る。
名前は思い出せないくせに、使える妖術はどんどん増えていた。
「どうだった」
「……焔獄鬼の洞窟の先に川があった。少々遠いが、数人で汲みに行けば数日分の水を運べるだろう」
彼には、森の何処かに川が流れていないか探しに行って貰っていた。
普段から鬼神の山には不用意に近付かないようにしていた琴達は、その川の存在を今初めて知った。
「水は私とお前で運ぼう。飛んで運べば簡単だし、時間も掛からない」
「……承知した」
「おいおい、水汲みくらい俺等がやるって。そっちのあんちゃんはまあともかく、女のあんたにそんな重労働させる訳にゃ……」
側で聞いていた男が、気遣うように言う。
鍬を持って鬼を殺しに行こうとしていた例の大男、名は銀次。
そんな彼を一瞥して、神楽は小さく息を零す。
自分の正体を知って尚、そんな風に気遣う彼が少しだけ、意外だった。
けれど、神楽が気遣い無用、と言うより先に。
「……その娘は女ではなく、妖怪だ。気遣いなど不要であろう」
名無しの男が、棘のある声でそう吐き捨てた。
琴も、銀次も驚いて、彼の方を振り向く。
神楽の事を一番気遣っていたのは他ならぬ彼の方だと思っていたので、今の発言に戸惑いを隠せないようだった。
だが、彼は神楽と一度も目を合わすことなく、土木作業の方へと戻って行った。
「……なんか機嫌悪いな、名無し」
その背を見遣って、銀次が心配そうに後を追う。
神楽はどうでも良さそうな顔で、彼とは反対方向に歩き出した。
彼は昨夜からずっと、神楽と目を合わそうとしない。
それだけでなく、昨夜は琴に申し出て例の客間から一人、出て行った。
理由は分かっている。
神楽が実の父である聖を殺した事、そして――その理由を、話そうとしない事。
「……お前は、父の何であったのだろうな」
歩きながら、神楽がぼそりと呟く。
酷く淋しそうなその声音は、誰の耳にも届くことはなかった。




