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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
一章
3/61

その女、全てに於いて奇妙

 

 雪山の中を二人、黙々と歩いた。

 神楽が前を歩き、男が後ろを付いて行く。


 雪は上がり天候は回復したものの、根深く積もった雪はまだ解けるには相当の時間がかかりそうだった。


 時々、木々に積もった雪が、重い音を立てて地面に落ち、ふと足元を見れば、溶け掛けの雪の合間に小さな草花が顔を覗かせている。


 見るもの全てがこの世に於いて当たり前過ぎる風景であるが、男にはやはり、この辺りの景色に見覚えはない。


 この先の村の住人かもしれない、と神楽は言っていたが、何となく彼は違うような気がしていた。


 ふと、前方を歩く神楽の背中を見遣る。


 自分の素性もさることながら、男は目の前の少女についても気になって仕方がなかった。


 見れば見る程、彼女は不思議な女だった。

 否、不可解な女、という方が適切かもしれない。


 貧しい農民が纏うような襤褸ではなく、それより随分上質な薄桃の着物、肩口まで伸びた艶やかな黒髪、言葉遣いは乱暴で尊大、だが、立ち居振る舞いは気品に溢れ。


 更に言えば、あの末恐ろしいまでの整った顔立ち。

 どれもが、彼女が“普通の女”ではない事を示していた。


「……神楽、と言ったな。不躾だが、そなたは一体何者なのだ?」


 黙々と進む背中に問い掛ける。

 答えてくれないかも、と思ったが、神楽は振り向かないまま会話に応じてくれた。


「何者、という程の者でもない。ただの放浪者だ。一人で気の向くまま、心向くままにあちこち旅をしている」


「我にはどう見ても、そなたが“ただの放浪者”には見えぬのだが。もしや、一国の姫君か、さもなくば大店(おおだな)の家出娘ではあるまいな?」


「そんな大層な女ではない。……そもそも、“女”というのも正しいか否か」


 最後の方は何故か酷く小さな声で呟かれて、男には聞き取れなかった。

 反射的に「何と?」と問い返したが、彼女は答えてくれなかった。


「それに、私に郷里(くに)はない。随分前に、焼き払われた」


「、……それは、戦で、か?」


「……そんなところだ」


 何処となく濁すように言われたが、男はそれ以上深く追究しなかった。


 ――時は乱世。人間同士が争い殺し合う世の中で、そういう事は然程珍しくはない。


「……、」


 そう考えた時、男はふと、自身の持つ知識が如何程のものかを垣間見た事に気付き、ちょっと驚いた。


 どうやら、忘れているのは自分の事だけで、頭や心に残る知識や知恵は多少は忘れずに残っているらしい。


 同時に少し安堵した。赤ん坊よりは些かマシである、という事実に。


「ところで、これから向かおうとしている村には、一体如何な用向きがあるのだ?」


「特別な用事はない。ただ、ちょっと見に行くだけだ」


「見に行く……とは、何を? 村の様子を、か?」


「大まかに言えばそうだが……それよりも――」


 その時。

 言葉の先を続ける前に、神楽が突然立ち止まった。


 僅かに身を固くし、視線を四方に巡らせて、辺りの様子を窺っている。

 明らかにそれは、何かを警戒している素振りだった。


 男は、どうかしたのか、と問うべく口を開き掛けたけれど、瞬間、自身も妙な気配を感じ取り、身構える。


 次いで、何処からとなく嫌な臭いが漂って来る。

 微かに嗅いだだけで胸焼けを覚え、吐き気さえ覚える臭気。


 それも、臭いは一種類だけでなく、もう一つ。

 こちらは――錆びた鉄の臭い。


 ――覚えが、ある。

 この臭気も、この異様な気配も、この胸糞悪い空気も。

 これは。


「――瘴気……」


 呟いた、刹那。

 神楽が横手の森に向かって駆け出した。


「っ、おい!」


 紛れもなくそちらは、瘴気を放つ“何か”が在る方向。

 男は咄嗟に神楽の背に向かって声を上げたが、彼女は止まることなく駆け抜けていく。


 色々と困惑する要素はあるが、何より一番驚いたのは、彼女のその脚力と速度だった。

 明らかに、人間の、それも、女の足で出せる速さではない。


「何なのだ……あの娘は……」


 呆然と呟く男の言葉に、応えられる者は無論、誰もなかった。





「――くくくく……っ! ぐ、っふふふふふふふ!」


 不気味な笑い声が、白銀に染まった世界に低く悍ましく響く。


 ――それは、蜥蜴(とかげ)とも蛇とも付かぬ姿だった。


 蜥蜴というにはあまりに巨体過ぎ、蛇というには垂れ下がった舌が平たくも極太で。

 目はぎょろりとしているが、口の端から覗く牙はさながら鬼の牙程も鋭い。


 言うまでもなくそれは、異形なる者。

 人々が“妖怪”と呼ぶ、悍ましき者だった。


 彼等は生き物を主食とし、特に生きた人間の血肉を好む性質があった。

 そうして、今、彼の妖怪の前に在るのは――ほんの数秒前に切り裂き絶命させた、一人の女の亡骸、だった。


「ぐふふふふ……久々の御馳走だぁ……!!」


 妖怪は涎を大量に垂れ流しながら、殺した女の亡骸に歩み寄る。

 その時。


「びぎゃっ!」


 突如、妖怪の眼前に舞い降りた影。

 何かが現れた、と妖怪が思った次の瞬間には激痛が顔面を奔り、妖怪は耳障りな悲鳴を上げていた。


 斬られたのだと直感的に悟り、妖怪はそこを手で押さえる。

 斬られた場所は右目。深く裂かれて、瞼を開けている事さえもはやままならない。


「誰だ!?」


 怒りと痛みのまま、血塗れになった手を振り回しながら叫ぶ。

 無事だった左目が捉えたのは――薄桃の着物を着た人間の小娘、だった。


「あぁん……?」


 妖怪が左目を不機嫌に顰めて見遣った先で、女の亡骸を庇うように立った神楽は、手にしていた得物を体の前で構える。


 初対面の男に“奇妙な女”と評された彼女は、得物まで奇妙だった。


 見る者が見れば、“くだらぬ玩具だ”と揶揄するだろうそれは、扇だった。


 無論ただの扇ではない。要に鮮やかな飾り紐が括られていて、一見美しく優美に見えるけれど、それは見た目と反して容易く生き物の命を脅かす立派な武具。


 即ち、鉄扇であった。


 しかし、ただの鉄扇で妖怪に傷を負わすことなど本来は不可能である。

 妖怪は眼前の美しくも奇妙な女を舐めるように眺めて、やがて、にぃ、と不気味な口元を更に不気味に歪めた。


「何だ貴様。もしや、妖怪退治屋とかいうイカれた奴か?」


 神楽は答えない。

 妖怪退治屋というのは、その名の通り妖怪退治を生業とする者達である。


「うひひひひ! そんな子供の玩具みたいな武器で、この俺を斃せると思ってんのかぁ?」


 妖怪は何処までも神楽を嘲笑う。

 対する神楽はやはり、じっと妖怪を見据えるばかりで、何も答えない。


「今日は運が良いなぁ! そこに転がってる女よりもっと美味そうな女がのこのこやって来てくれるなんてよ!! そうだなぁ……お前は逆に生きたまま喰っちまおうかな……その澄ました顔がどんな風に歪んでくのか……くく! 想像しただけで勃っちまいそうだぜ!」


 だがそこで、漸く神楽が動いた。

 閉じたまま構えていた鉄扇を広げながら、腕を真横に一振りして、少し、身を屈める。


「――立つ、とは、怖気の事か?」


「はっ! 恐怖のあまりつまらねえ冗談――……」


 盛大にからかうつもりだったのだろう妖怪の言葉は、しかし、最後まで紡ぎ切ることなく、途切れた。


「!!」


 次の瞬間、またしても妖怪が悲鳴を上げる。

 妖怪は自分に何が起こったのか、咄嗟に理解出来なかった。


 確かに今、自分は目の前のイカれた小娘と話していた筈、なのに。

 確かに今、そこに居た筈の女が、忽然と消えていて。


 声を上げずにはいられない程の激痛を何とか堪え、妖怪は、自身の背後を半ば恐る恐る振り返れば。


 一瞬前まで眼前に居た女が、妖怪の尻尾を鉄扇で貫いていた。


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