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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
二章
27/61

鬼の真実

 

 彼が何をしたのか。


 神楽でさえ、正確に捉えることは出来なかった。


 が、自身の状況は、一目で分かった。


「……っ、く」


 締め上げられる首。皮膚に食い込む鋭い爪。自身を憎悪と殺意で染まった瞳で睨む、琥珀色の瞳。


 容赦のない締め付けは、神楽の呼吸を奪う。


「か……神楽様!」


 琴の悲痛な声が響く。咄嗟に駆け出しそうになった琴と菖蒲だったが、瞬間、名無しの男が彼女達の方を振り向いて、動けなくなる。


「――何故だ……」


 骨が軋む音が、神楽と名無しの男の耳に届く。

 どんどん込められる力。普通の人間であれば、既に気絶するか事切れる寸前だった。


「何故……何故、あの男を殺した! それも、実の娘であるお前が! 何故!!」


「……、っ」


「答えろ神楽!!」


 神楽の首筋から、血が噴き出し始める。

 首の骨を折られるのが先か、首を落とされるのが先か。はたまた、このまま窒息するのが先か。


 ――それで本当に死ぬかどうかは、分からないけれど。


 痛みと苦しみのあまり閉じていた目を、何とか開けながら、神楽は他人事みたいに思う。


 そうして、右手を懸命に持ち上げて――そっと、名無しの男の手と、重ねた。


 無理に自分の首から彼の手を退かそうとするでなく、振り落とそうとするでもなく。


 ただ、本当に、手に手を重ねただけ。


 首を落とされる瀬戸際だというのに、抵抗らしい抵抗など一切せずに。


 力を緩めぬまま、男は瞳を戸惑いに揺らす。


「――お前、こそ……何をそんなに……憤っている……?」


「……っ、!?」


 何処か労わるように、言われて。

 瞬間、名無しの男は一気に我に返る。


 血の逆流音みたいな耳鳴りも、真っ赤に染まった目の前も、途端に、鎮まっていく。


 そうしてやっと、自分が何をしているのかを理解出来て。彼は、震え出した体で、何とか、神楽から手を離した。


「……我……は……一体、何、を……」


 譫言のように呟いて、酷く怯えた目で彼は自身の手の平を見遣る。


 爪先に、手の平に、こびり付いた神楽の血。

 震えていても鮮明に残る、神楽を締め上げた感覚。


 恐怖、という一言で安易に片付けられない程に、男は自らの行いにただ戦慄した。


 恐る恐る神楽の方を見る。首筋の傷はすぐに消えたけれど、締め上げた男の手の痕はくっきり残った。


「あ……」


 とにかく詫びねば。


 そう思って震える唇を開いたけれど。

 男が声を発する前に、神楽はふい、と男から目を逸らして、彼に襲い掛かられた拍子に落としてしまった鉄扇を拾い上げる。


「殺したいのなら殺せ。お前が、我が不死の理すらも覆せる程の力を有しているのなら、言う程難しくはないだろう。だが、今は待て」


「……、っ」


 神楽は何処までもいつも通りだった。


 つい今し方まで自身を苦しめ、殺そうとしていた相手に、何の感情も示さず、何の反撃も仕返しをしようともせず、殺したいなら殺せ、とさえ宣う。


 何処までも淡々と、いっそ寒気すら覚えるくらい無機質に。


 男はもはや、愕然とした表情で神楽を見つめるしかなかった。


 怒るでもなく、悲しむでもなく。ましてや、怯えるでもなく、彼を突き放すでもなく。

 普通だったらこの状況、絶望して然るべきなのに。


 彼女は――命の危機でさえ、どうでもいい、と言うのか。


「焔獄鬼」


 神楽は、父親が封印した鬼の名を不意に呼ぶ。


「父、聖が張った結界は既に効力を失っている。そうだな」


 琴と菖蒲が、背後で息を呑んだ。


「父が張った結界は、お前が封じられて尚も放たれ続ける瘴気を浄化し続け、その浄化された清浄なる気で以って、この地を、この地に生きる全ての命を守る為に張り巡らされたもの。お前の瘴気が強ければ強い程、それはより強く、より清しいものとなる」


 鬼は応えない。

 あちこちの岩壁に亀裂の走った体で、色も温度も宿さぬ冷たい岩の目で、それでも、じっと彼の鬼は神楽を見下ろし、言葉を聞いている。


「“鬼”であるなら、眠っていようとも瘴気は放出され続ける。死なない限り、妖から瘴気が消えることなど有り得ない」


 名無しの男も、神楽の後ろで息を呑んだ。


 彼には、神楽が何を言おうとしているのかが、分かったのだ。


「だというのに、お前の瘴気を浄化し続けることで維持されていた結界が、ここへ来て効力を失くした」


 瘴気とは、妖が放つ気配であり、妖の生気とも言えるもの。


 どんなに妖力の弱い小さな妖でも、“妖”という種族であるなら、如何なものでもその気配は纏われ、放たれ続ける。


 死なない限りは尽きることはないし、妖で瘴気のない者など有り得ない。

 それはつまり、人間で言うなら生気がないということであり、それが消えているということは、死んでいるも同然であるということに他ならない。


 だが。


 焔獄鬼は封じられているだけで、死んではいない。


 にも関わらず、浄化する瘴気が放たれていない、ということは。


「……父の言っていた事は本当だった。焔獄鬼、お前は――そもそも瘴気を持たぬ、異端の“鬼”」


 琴と菖蒲が、驚愕の余り目を丸くし、口元を手で覆う。


 名無しの男が、目を瞠り言葉を失う。


「お前の本当の二つ名は――“最強の慈鬼”。守る為に最強の力を与えられ、守り続ける為に異形の姿でこの世に産み落とされた、異端にして異形の、慈しみの鬼」


 神楽がそう締め括った時。


 突然洞窟内の地面が揺れ始め、岩壁が大きく崩れ始めた。


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