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幻葬 あやかし鬼奇譚  作者: 和菜
二章
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静かな怒り

 

「――私の姿に僅かでも怯えるなら、今すぐ兵を退くがいい」


 やがて、傷が完全に癒え、呼吸も落ち着いた頃、神楽が呟いた。


「この身は不死。如何なる手段を用いても、お前達に私は殺せない」


 淡々と。静かに。でも何処か、諭すように。


「それでも向かって来るなら、容赦はしない」


 血塗れの鉄扇を構えて。返り血を浴びた冷酷な表情で。


「撤退するか犬死するか。誇りある一国が兵として、恥じぬ選択をするがいい」


 忠告のようでいて、それは警告であり布告だった。


 名無しの男を含めても多勢に無勢。本来であれば降伏や撤退を勧告するのは兵士達の方である筈だが、今、明らかに優位な立場にいるのは、間違いなく神楽の方だった。


 俄かには信じ難いこの状況に、兵士達はもはや半ば混乱さえしていた。


「ひ……退け! 退けぇい!!」


 神楽の放つ冷酷な雰囲気に、兵達は暫し動けずにいたが、やがて兵長補佐役が何とか号令を放ち、小田原家の兵士達は我先にという勢いで撤退して行った。


 ――血振りをして、鉄扇を仕舞う。


「神楽……」


 名無しの男が神楽の側に歩み寄り、悲痛な声音で名を呼ぶ。

 そうして、槍で貫かれた辺りの背に、そっと触れた。


 傷は癒えたが着物を染めた血はまだ乾き切ってはおらず、男の手をも染める。


「構うな。着物は洗えば済む」


 名無しの男の手から離れながら、神楽は素っ気なく言う。


 この短い期間で、何度も傷付けられて、傷が再生する所を見て来た。その度に彼は、何故か自分が痛そうな顔をして神楽を見る。


 神楽はそれが、何だか嫌だった。


 ちらり、村人達の方を見遣る。

 その表情も瞳に乗る感情も微妙に様々だったが、一つだけ、共通していたのは。

 明らかな怯え、だった。



 □□□



 赤い鳥居を、神楽は半ば睨め付けるようにじっと見上げた。


 草臥れた注連縄が施された、草臥れた鳥居。


 だが、如何に鳥居や注連縄が草臥れていようとも、中で眠る者にも張られた結界にも何ら関係はない。


 それでも、ここを基点として張られている聖の結界はもはや、その力を失いつつあった。


「――また貴様か」


 背後から聞こえた声は、もうすっかり聞き慣れた狼の長の声。


 神楽は振り向かない。

 代わりに、鳥居を潜った。


「誰がその先に行くことを許した!!」


 妖狼の長が声を荒げる。


 けれどやはり神楽は振り向かない。

 悪いけれどもう、妖狼の意志を鑑みてやる余裕はない。


「どうしても行くと言うなら、今宵こそ決着をつけるのみだ!!」


 如何な反応も示さない神楽に対し、長は最初から力を解放し、元の姿となって神楽を威嚇する。


 ――だが。


「――失せろ」


「……っ!?」


 神楽が小さく、冷たくそう言葉を放った、刹那。


 長の、動きが止まった。


 動きだけではない。

 呼吸も、思考も、全てが、金縛りに遭ったかのように、自分の意志では動かせない。


 全身に重く圧し掛かる何か。

 それは、圧倒的な存在感と……殺気。


「いつまで自分に都合のいい勘違いをしている」


 それが、目の前の、この不死の女妖怪から放たれているという事に気が付くのに、少々の時間を要した。


 気が付いても、すぐには信じられなかった。


 狼達にとって神楽は、不死である、という事しか脅威となる点などない、ただの女妖怪でしかなかったからだ。


「私が心の臓を喰った妖は、貴様等の如き獣妖怪が百匹束になってかかったところで、傷一つ負わぬ程の大妖怪だった。そして私は、その力を丸ごと継いだ者」


 喰った妖の力は、喰った側にそのまま引き継がれる。

 人ではなくなる、代わりに。命が有限でなくなる、代わりに。


「狼の長よ」


 そこで漸く、神楽は振り向いた。

 顔だけ、でも――これまで如何な相手にも向けられたことのない程、残忍な瞳で。


「――死に急ぐか?」


 放たれた言葉はまるで挑発のようであるのに。

 何処までも妖狼達を愚弄するような言葉であるのに。


 長は、もはや、自身の脚の震えを、誤魔化すことも抑えることも出来なかった。

 ここへ来て、長は自身がどれ程この女妖怪を舐めていたのかを思い知り、恥じると同時に絶句した。


 つい最近、目の前で同胞が何匹も彼女に殺されたというのに。


 それでも、自分には決して敵う訳がない、という絶対的な自信と確信があった。


 それが今、呆気なく。たった一言で。たった数秒で。


 玉砕された。


 ――勝てない。


 今戦いを挑むべく襲い掛かれば、その瞬間。

 この場に転がり落ちるのは、間違いなく、長の首だ。


 気付きたくなかったその事実に気付き、認めてしまった時。

 長はその場に、膝を着いた。


 同時に、周りを囲んでいた他の狼達も、次々に戦意を喪失し、その場に半ば蹲る。


 神楽はそんな狼達の姿を相変わらず冷酷な眼差しで一瞥して。

 洞窟の奥へと、足を踏み出した。





 そこは怨念の巣窟だと、名無しの男は言った。


 己を死に追い遣った者への激しい恨みか、己をここへ閉じ込めた者への強い怒りか、はたまた……己が死んだことを今尚受け入れられぬ者の嘆きか。


 いずれにしろここに遺る念の望みは、恐らく、“ここから解放される事”


 ここに足を踏み入れた人間の体を乗っ取って。


「……哀れな」


 神楽の全身にも、今正に、その怨念が纏わり付いていた。

 自分の為にその体を明け渡せ、と、はっきりとした言葉は聞こえないが、そう迫られている気がする。


 こんな中を二人の女子達は何故無事に通れたのか。


 明確な理由は分からないが、単純に考えるなら、この奥に眠る鬼に呼ばれたから、なのだろう。


 何らかの力で守られながら、彼女達は鬼の元へ招かれた。


 ふと、背中に何かが圧し掛かる。

 感覚としては、背中から誰かに抱き締められているような感じだった。


 耳元で、何事か囁くような声も聞こえる。

 それが何と言っているのか、判別することも、そもそも判別する気にもなれなかったが。


 神楽は、心底うんざりしたような声音で、言い放つ。


「貴様等の無念など糞程どうでもいい。失せろ」


 いつも以上に乱暴な言葉。こんな事で怨念に塗れた“何か”が簡単に引き下がる訳はない筈だが。


 次の瞬間、神楽の周りから怨念が離れていった。

 まるで神楽に怯えるように、神楽の周りだけ空気が変わる。


 神楽は一つ大きく溜息を吐いて、歩みを再開した。


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