気休めの希望
□□□
――人間が、燃えていく。
まだ生きている者も。もう死んでしまっている者も。
『もう良い。疲れた』
異形の者が呟く。
酷く悲しそうな声で。それでいて、酷く、無機質な声で。
『殺せ。お前にはそれが出来よう』
そして、とても、自棄な口調で。
『……無理だ』
人間が呟く。
右手に抜き身の刀を持ち、体の至る所から血を流しながら。
こちらも酷く悲しそうな声で。
けれど、酷く、悔しそうな声で。
『だが、見逃す、訳にもいかない』
人間の男は、持っていた刀を持ち上げる。
『なあ』
泣く一歩手前で、震えた微笑みを浮かべて、彼は優しく語り掛ける。
『もし、目覚めることが、あれば』
異形の者は冷めた心地で、彼の言葉を聞いた。
『もし――お前が、目覚めることが、あれば。その時は』
そんな時は二度と訪れない。
そんなこと、目の前のこの男が、一番分かっている筈なのに。
『その時は……今度こそ』
それでも、男は言う。
果たされる訳も、果たせる筈もない約束を。
――闇に沈む、刹那。
待っているから、と。
聞こえた、気がした。
□□□
目を開けると、寒々しい天井と、無表情なのに空恐ろしい程美しい女の顔が最初に目に入った。
「気が付いたか」
既視感を覚えつつも一つ息を吐きながら頷いて、名無しの男は横たわっていた布団から身を起こす。
見ると上半身裸で、包帯がしっかり巻かれていた。
「洞窟から出て来てすぐ、気を失って倒れた。手傷を負っていたが、重傷ではない」
「……どれくらい、眠っておった?」
「半日程だ」
「……そうか……」
神楽の説明に、男は力なく頷く。
すると神楽は、布団の上に置かれた彼の着物を取り、背後に回って肩に掛けてやった。
「……忝い」
袖を通して、一つ息を吐き出す。
傷の痛みはもうあまり感じないが、胸の奥で何かがもやもやと燻っていた。
その燻りの原因が何かは、分かっている。
「生贄にされた女達は無事だ。焔獄鬼の洞窟の中で心静かに過ごしている」
短い沈黙の後、男はふとそう呟く。
そうして男は、自身の負傷の原因を含め、洞窟内での出来事を神楽に伝えた。
「神聖なる鬼の寝床、か」
一通り話し終えると、神楽は考え込むように顎に手を当てる。
「……神楽、訊いても良いか」
不意に、男が神妙な面持ちで何やら改まって言う。
「“希望”とは、何だ?」
「……希望?」
「二人目の生贄であった菖蒲が言っていた。無意味でも何でも、それを信じる自分達の気持ちを否定する権利など、我等にはない、と」
神妙というより不機嫌そうだった。
その顔には、思い切り“腑に落ちない”と書かれている。
「何も出来ぬし何も知らぬ我等が、何かあれば村から出て行けばいい余所者が、勝手な事ばかり申すな、とも」
「……、」
彼の声音から、その時何も言い返せなかったのだろう事が容易に伺えた。
「眠っているだけの化け物の側に行くことが、村を救う唯一の希望だとは、我にはどうしても思えぬ。そもそも“希望”とは何だ? それを信ずれば救われると、そんな保証が何処にある?」
言い返せなかった故に、苛立ちを募らせて、その遣る瀬無さに心を痛めているのだろう。
神楽は、そんな彼の言葉に一つ小さく息を吐き出し、静かに言った。
「“希望”とは――気休めだ」
「気休め……?」
「そう。お前の言う、保証のない願いと、祈り、そして……罪過の鎖の」
どういう事だ、と戸惑いの滲んだ琥珀色の瞳が見つめる。
「お前の言う通り、人の信ずる希望には保証などない。願って、望んで、その為に何かを懸命に信じ、何かを必死に為し、何かをただ永遠と繰り返す。その先に、願い望んだものがあると疑うことなく。だが人は、それがいつかなんて分からない。本当にその為に信じているものが、為しているものが、繰り返しているものが、そこに辿り着く為に必要なことなのかも分かっていない。故に“希望”という言葉を使う。無駄かもしれない事を、無駄ではないものだと証明する為に」
「……信じて良いか、正しいか否か分からずとも、手に入れる為に頑張っている事であるなら、無駄ではない、と」
「その根拠も確証も保証もない願いを信じ続けることで、挫けそうな心を気休めに誤魔化し、慰める。それが、“希望”だ。この村にとっては生贄こそが、その“希望”であり、琴と菖蒲にとっては自身が鬼の側に無為に居続ける事が“希望”だ」
「………」
ふと、神楽は帯に差した鉄扇にそっと触れる。
「罪を贖う事もそうだ。如何な償い方をすれば贖えるか、許されるか。考えて苦しんで、自分なりの答えを見付けたとしても、それで贖える保証など何処にもない。それでも人は、犯した罪の為に何かの代償を支払おうとする。その代償も、つまりは確証も保証もないのに信じ続けることで、心を誤魔化し慰める為の、“希望”だ」
「……愚かだな」
気が付けば、男は吐き捨てるように言っていた。
だが、一方で。
気休めでも何でも、根拠も確証も保証もない事ばかりで溢れている人の世で、それでも何かを懸命に信じて生きることを、何も知らぬ者が無為だと断ずる権利はないのだろう、と妙に納得せざるを得なかった。
「愚かでも何でも、人は何かに縋りながらでなくては生きていけない。希望とは、人が最も縋り付き易い気休めだ」
男は思う。
ならば神楽は、何を拠り所に、何を希望に、今、たった独りで誰にも理解されない傲慢な剣を、振るっているのだろう、と。
訊いてみたところで、答えてはくれないだろうけれど。




