願いの矛先
「本当に、生贄などで村が生き返るのであろうか……?」
部屋に戻ると、名無しの男が障子を閉めながら、そんな事を呟いた。
布団の上に座した神楽は、どうでも良さそうな声で「さあな」とだけ答える。
話し合ったところで答えの出ない会話など、神楽はそもそも興味ないか、と男は溜息を吐いて自身も布団に戻ろうとした、けれど。
「お前はどう思う」
不意に、神楽に問い返される。
「……え?」
思わず間の抜けた声を上げれば、神楽は静かな眼差しで彼の方を振り仰いでいて。
「お前は、贄を差し出されれば、鬼がこの村を救うと、そう思うか?」
もう一度言葉を重ねて問われて、男は一瞬言葉に詰まる。
何の感情も読めない瞳は、けれど、男の本心以外の言葉を決して許さぬ鋭さがあった。
男は、微かに顔を俯かせて、少しだけ言葉を選びながら答えた。
「……鬼は、所詮“鬼”。その本質は妖であり、天候や気候、大地の潤いを左右する力などない。贄など差し出したところで……この村は、元の穏やかで豊かな村には戻れまい」
思った事を正直に口にすれば、神楽は、力なく「……そうだな」と言って目を伏せた。
「だが、何故、この村の者達はそのような考えればすぐに分かりそうな事に気が付かぬのだ」
男は何処か苛立ちのような色を滲ませながら、尚も続ける。
無駄な事を、無駄だと気が付かない人々に対して、吐き捨てるように。
神楽はそんな彼を見遣り、一つ小さな溜息を零した。
「――縋っているからだろう」
「縋っている……?」
「今までこの村が、自分達が平穏に暮らして来れたのは。疫病や理不尽な迫害、妖の襲来に見舞われることなく生きられたのは。全て、“鬼神様”のお陰だという事実に」
「だがそれは……」
「そう。この村の人々を守っているのは、鬼神ではなく“鬼神の瘴気を浄化する力”。決して鬼が自身の意志で守っている訳でも、進んで力を尽くしている訳でもない。お前の言う通り、ただそこで眠っているだけの妖に貢物を捧げたところで、突然雨が降ったり病が消え去ることはない」
静かな声。口調。村人達が縋る希望を真っ向から否定する言葉でありながら、それが分からない彼等を憐れんでいるようでもなく。また呆れるようでもなく。
「……止めぬのか? 無駄だと分かっているのに、長老の孫を贄に差し出そうとする連中を」
「言っても彼等は分からぬだろう。実際、鬼神が村を守っていた、という事実は間違いではないのだ。正解でも、ないけれど」
だから彼等は、鬼の機嫌を取る為の手段として、美味そうな人間の若い娘を差し出すことを、辞めはしない。
そうして鬼が力を付けてくれたなら、また、村を守ってくれるという願いと、望みを託して。
「では神楽は、このまま、あの琴とかいう娘を見殺しにする、と?」
「………」
そこで一瞬、神楽が口を閉ざし、名無しの男の方を冷たく見遣った。
ぞく、と背筋が凍る。
恐怖ではなく、失言と悟った故の後悔ではなく――心の臓を鷲掴みにされた痛みと気持ち悪さのようだった。
「――どう転んでも、この村の行く末は二つに一つ。滅ぶか、生き延びるかだ。私が一人の人間の命を見捨てたところで、それは変わらぬ」
故に、神楽に如何な責任もない。
きっぱりと告げる神楽に、男は再び、昼間の会話を思い出した。
……まただ。
また……何故か、酷く、遣る瀬無くて、腹が立つ。
「……聖は」
それを追い遣る為に、名無しの男は矛先を別の名に向けた。
「聖は、いずれこのような日が来ることを、分かっておったのであろうか」
そうであったのなら、些か無責任なのではないか、という批難の色を込めて。
その時、それまで何の感情も映していなかった神楽の瞳が、ほんの一瞬、微かに、揺れた。
「分かっていなかった訳ではないだろう。如何なる力にも、如何なる事でも絶対はない。永遠に続くものも、永劫に約束されるものもない。いずれ力は弱まり、結束は緩み、やがて消える。そうでないものなど存在しない」
「……なのに、聖はその可能性を当時の住人達に話さなんだ、と?」
「さあ。話したかもしれないし、話さなかったのかもしれない。それは分からない。だが、どうであったにせよ、所詮百余年前の話。ここまで長く保った結界なら、逆にいつの間にか、“鬼が眠っている間は絶対大丈夫だ”と、そんな認識が植え付けられたのかもしれぬな」
「……、」
「結界の力が緩んだのには相応の原因があるだろう。だが、恐らくそれは焔獄鬼のせいでも、聖のせいでもない。かといって、それを村人達に説明したところで、私には村を救う手立てを授けることは出来ない。出来ぬ事と必要ない事なら、私は進んではやらない」
たとえそれで、誰かの、何かの命が潰えることになっても。
会話を重ねる度に、傲慢さを突き付けられ、目の当たりにする。
そこに確かに苛立ちを感じるのに、何故か、この時男の胸の奥で、一つ、小さく切ない音が響いた、気がした。
焔獄鬼のせいでも、聖のせいでもない。
その言葉がやけに心に焼き付いて、胸につんと来て、戸惑う。
「……どうした?」
そんな戸惑いに包まれて、意図せず神楽をじっと見遣っていたら、神楽に不意に優しく声を掛けられた。
「いや……」
思わず言葉を濁して俯く。
神楽はそんな彼に、それ以上深く追究はしなかった。
そうして、話はこれで終わりだとばかりに、布団を被り横たわる。
「……寝るのか?」
「ああ」
言って、神楽は目を閉じて寝返りを打つ。
相変わらず、彼女の事はどうにも掴めない。
男も小さく息を吐いて、衝立の向こうの自身の布団へと、戻った。




