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クリーチャー

作者: 京本葉一


 16歳の妹に彼氏ができたという。一体どんなクリーチャーと付き合いはじめたのか、戦々恐々とする家族のもとに現われたのは、礼儀正しい挨拶ができる好青年だった。柔和な笑顔がまぶしい。にじみでる品性と教養の高さに圧倒される。

 激しい困惑に陥った俺は、新たな不安に襲われた。

 妹は合宿中の男子野球部員にふんどしパーティーを強要するクレイジーな女だ。マネージャーを辞めさせられた報復に失敗して停学をくらうような愚かな人間だ。やらかしたすべての行為に1ミリの後悔もない恐るべきモンスターに、この素敵な青年はどんな弱みを握られたのか。

 罪悪感に耐えきれなかった俺は、真相を尋ねることができないまま、獲物を逃がすまいとする母と妹の狩り場から逃げ出した。



 父が交通事故で亡くなってから、母はひとりで兄貴と俺と妹の三人を守り育ててくれた。兄貴は高校を卒業して就職した。俺は進学するために励んでいる。今回の模試でも結果は出せた。進路希望にミナトクジョシと書いていた妹も、稼ぎそうな好青年をとらえてみせた。

 母には感謝している。

 母に出会いがあれば応援しよう。世間の常識なんて気にしない自信もある。俺より若い男だとしても最終的には認めることになるだろう。ただ、それが娘の彼氏となると祝福はできなかった。正直、母さんがそこまでのプレデターであるとはおもわなかった。考えてみれば、あの妹の母なのだ。腑に落ちてしまった時点でなにも言えなくなった。

 妹はいつでもどこでも彼氏を自慢している。彼氏と母との関係に気づかないのは不思議でならないが、妹のことなので当然とおもうことにした。告げ口をする気もない。俺はなにも見なかった。なにも聞こえなかった。

「学費免除。給付型奨学金。母さんは大丈夫だ。あの人は強かった」

 情事の気配が生々しいリビングのまえで一人暮らしを決意した俺は、理想の未来をつかむために心を無にして受験勉強に励んだ。



 恋バナで盛り上がる女子たちの日常が壊れた。悪名高き妹が大人しく彼氏自慢をつづけているせいで、学校ではカップルが急増している。やはり実物を目撃するとパニックに陥るらしい。そして本気で焦るらしい。学校という逃れようがない閉鎖環境では多かれ少なかれ影響をもたらす。どうしたって意識する。

 遅くまで学校に残って勉強するクラスの女子といい感じになった俺は、なけなしの勇気をもって告白を成功させた。何ものにも勝る喜びを味わい、誰にも話さない秘密の関係に浮かれきっていた。

 あの妹に感謝の念を抱いたのだ。家族のことでなにがあろうとも気にしない自信があった。しかし、兄貴は無理だった。兄貴は無理だった。

「あれは事故だった」

 と兄貴は語る。仕事の鬼である兄貴のもとにも妹の彼氏の存在は伝わっていたが、なにかの冗談だと判断したらしい。久しぶりの休みを利用して家に顔をみせたとき、玄関にある靴から推察して、脱衣所にいるのは俺だとおもったらしい。

 素っ裸の彼氏と遭遇した兄貴は、ただのオーガに堕ちた。

「見知ったはずの洗面所のドアが新たな可能性をひらく扉になった」

 と、まったく笑えないことを口にする兄貴のニヤケ面をみて、抱いていた尊敬の念は消滅した。この犯罪者もまた、妹の兄でしかないのだと理解した。

 さすがに隠しきれるものではない。家族会議がおこなわれたリビングには興奮のおさまらない妹がいた。それが純粋な怒りであったなら味方になれたのかもしれないが、荒い呼吸、歪んだ口もと、垂れおちる鼻血、定まらない眼差し、紅潮して悶える様には劣情しか感じられない。妹は腐っていた。過去最高に気持ち悪かった。貧血でふらつくゾンビ娘をいたわる母さんの微笑みが怖かった。

 俺は父さんに似たのだろう。ときどき伏せられている写真の父さんをながめる。父さんはきっと風になり自由に世界を旅している。お墓にもリビングにもいない。そう願い、ここではないどこかに憧れた。



 精神に深手を負った俺をいたわり癒してくれたのは、付き合いはじめたばかりの彼女だった。俺は彼女の優しさに甘えて身内の恥をさらした。地味で目立たず何事にもひかえめな彼女は、いったん受け入れたものならば、どこまでも優しく包み込んでくれる人だった。

 わたしは許しますと彼女はいった。家族の犯罪行為を黙認している罪を、俺の罪を許すといってくれた。それだけではない。心を軽くしてくれた彼女は、罪悪感に怯えていた俺にはみえなかった視点を与えてくれた。

 俺はずっと彼氏が犠牲者であると考えていた。

 妹の罠にはまって喰われ、母に捕まって喰われ、兄貴に襲われて喰われた被害者であると。しかし実際はどうなのか。喰われたのではなく喰っているのではないのか。家族を三人も喰い散らかすことのできる天敵のような存在ではないのか。

 素敵な好青年であった彼氏が得体のしれない存在におもえてくる。

 俺は意を決して秘かに彼氏を呼び出した。誰にも邪魔されない二人だけの場所で対話を行ない、これまでのことを本人がどうとらえているのか、被害者なのか天敵なのかを確認するために。

 呼び出した夜の公園で、俺が口を開くまえに彼氏は宣言した。

「あなたとはそういう関係になれません」

 理解が追いつかなくて黙っているうちに深々と謝罪された。

 妹と交際している身でありながら母や兄貴とも関係をもつことになった浅ましいケダモノであっても、俺とそういう関係になることはないと、彼氏はきっぱり断言した。その正々堂々とした態度に被害者意識を見出すことはできない。他の責任を問わない好青年であるからか、すべてが同意の関係であるからか、挙動不審に陥るほど戸惑っていた俺には判断がつかなかった。

 立ち去っていく彼氏の背中を無言でながめながら、すごくモヤモヤしたものに蝕まれていることを自覚していた。関係を迫られると勘違いされたことにモヤモヤしているのか、妹たちの同類とおもわれたことにモヤモヤしているのか、妹たちは受け入れるのに自分は拒絶されたことにモヤモヤしているのか。

 気がづけば俺は、彼女の胸に顔をうずめていた。

 その隠れ巨乳を賛美する余裕もない。ふたりきりの密室で、細腕に抱え込まれながら、そうじゃないんだ、そういうんじゃないはずなんだと訴える。どこまでも優しく包み込んでくれる彼女は、好きな人に告白することもできないまま拒絶されて傷ついた感じになっている乙女のような俺を受け入れて慰めてくれた。

 彼女はまるでスライムだ。俺はその柔らかさに沈んでゆく。恥も外聞もなく甘えながら、優しく柔らかな彼女に溺れてゆき、溶かされるように蕩けていった。

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