7.天国と地獄
紙に記された依頼内容を右から左へ見ていく。
見れば見るほど既視感を覚える。
明らかに私がやっていた仕事……というか、本来なら今日やるはずだった仕事だった。
細かい字で書かれた紙が一、二、三……十三枚もある。
文面にすると中々の量。
これを一人で、一日でやっていたと思うと、自分でも頑張っていたんだなと再認識させられる。
「気づいてると思うけど、これを送ってきたのは宮廷魔導具師の所長だ」
「……そうですよね」
彼女以外にいないだろう。
私の仕事を細かく把握していたのは、所長である彼女だけだ。
そして、今の立場になる際に私は所長に言った。
もしも私にやってほしい仕事がある場合は、必ず殿下に話を通してください、と。
まさか普通に殿下に申請してくるなんて……。
それもこの量を平然と。
「すごい上司だな」
「あははは……」
「笑い事じゃないって。どうやらあの所長は、ちっとも反省していないみたいだな」
「悪いとは、思っていないんだと思います。よく言われてましたから」
これは貴女がやるべき仕事よ。
自分の仕事なら責任をもって最後までやり遂げなさい。
量が多い?
能力に応じて仕事の内容や量は決まっているの。
これくらい貴女ならできるでしょう?
何度聞いたかわからないセリフだ。
今でも脳内で繰り返し思い出すことができる。
「君以外の魔導具師へはどうだったんだ? 他にも似たような扱いを受けていたりは?」
「なかった、と思います」
「君だけか。余計にたちが悪いな」
私は笑って返す。
所長がこれまで私にしてきたこと、口にした言葉。
それを正しいとは思っていない。
だけど、元上司を悪く言うことは……私にはできなかった。
「君は素直なだけじゃなくて、優しいな」
「え?」
「いや、甘いとも言える」
「甘い……」
殿下は頷き、私に言う。
「君はたぶん、他人が悪いとか考える前に、自分が悪いんじゃないかと悩むタイプの人間だろう?」
「……そう、かもしれませんね」
実際その通りだと思う。
理不尽な要求も、厳しい言葉も。
私に問題があるから悪いんじゃないか。
相手を怒らせるようなことを、気づかないうちにしているんじゃないか。
毎日のようにベッドで考えていた。
眠る前に、その日の自分を振り返って。
大抵が後悔ばかりだ。
「他人のせいにせず自分が完璧になろうと努力する。それ自体はいいことだ。これからも続ければいい。だけどな? 客観的に見ておかしいと少しでも感じたら、誰かに相談するべきだ」
「相談……そうですね」
「相手がいなかった、って顔してるぞ」
「……はい」
相談する相手なんていなかった。
同僚は私を避けているし、友人もいないし、家族だって私の味方をしてくれない。
私は一人で悩むしかなかった。
「なら、これから俺に相談すればいい。俺は君の味方だ」
「殿下……」
「俺は君に助けられた。いや、今も救われている」
彼の右腕には、私が渡した呪いの効果を和らげる特殊な魔導具。
今も彼は呪われ続けている。
しかし腕輪をつけていれば、呪いの影響を抑えることができる。
「今度は俺に、君を助けさせてくれ。そうしなきゃ不公平だろ?」
「……ありがとう、ございます」
そんな風に言ってくれる人に初めて出会った。
私の瞳は涙で潤む。
こぼれそうになった涙を拭う。
殿下はその姿を見て優しく微笑み、テーブルの上に置かれた依頼書を指さす。
「じゃあ、これをどうする? 全部受けるか?」
「いえ、一人でやれる量じゃないので」
「そうか。じゃあできるものを選んでくれ。それ以外は返却する。所長には断りを入れておこう」
「はい。よろしくお願いいたします」
自分の仕事を自分で選べる。
そんな贅沢をしてもいいのだろうか?
自問自答の答えは、殿下の優しい笑顔で決まる。
殿下が許してくれるなら、それでいいんだ。
私はもう、殿下に仕える魔導具師なのだから。
◇◇◇
「なっ……これはどういうことなの?」
「ユリウス殿下からお預かりした書類です」
「そういうことじゃないわ」
依頼書はユリウスから騎士に渡され、そのまま所長へと渡った。
戻ってきた依頼書を見て彼女は汗を垂らす。
提出した四分の三が戻ってきていることに苛立ちを感じている。
「もう一度殿下にこれを提出してもらえないかしら?」
「それはできません」
「どうして?」
「殿下の命令です。こちらの依頼書の仕事は、すべて貴女が責任をもって処理するようにと」
「っ……」
宮廷で働く者たちにとって、王族の命令は絶対だった。
たとえそれが、どれほど理不尽な内容でも。
ただし今回の場合は、突きつけた理不尽が自分に返ってきただけに過ぎない。
つまり、自業自得である。
「で、殿下と直接話がしたいわ。私も王城へ」
「できません。王城へ入るためには、王家の方どなたかの推薦がいります。たとえ宮廷で働く方でも許可なく入ることはできません」
「くっ……なら、殿下に言伝を。お話があるので、お時間がある際にお越しいただきたいと」
「わかりました。お伝えしましょう」
そう言って騎士は去っていく。
自分から会いにいくことはできず、待つしかない歯がゆさ。
そして戻ってきた大量の仕事。
彼女は唇をかみしめる。
しかし、まだ始まったばかりだ。
彼女にとって本当の地獄は、ここから始まる。