52.イチャつくのは後で
一番早くその声に反応したのは私だった。
リドリアさんが入室の許可を出すと、扉が開いて姿が見える。声でわかっていたけど、こうして顔を合わせると改めて嬉しい気分になる。
「邪魔するぞ」
「いらっしゃいませ、ユリウス殿下」
「ああ、急に顔を出してすまないな、リドリア室長。相変わらずの仕事量みたいだな」
「あ、あははは……お恥ずかしいところをお見せしました」
リドリアさんは苦笑いをしながら、テーブルの上の書類を頑張って隠そうとしている。もちろん隠せるような量じゃない。
「あまり真面目過ぎるといずれ身体を壊すぞ」
「安心しろ。今もサボる方法を考えていたぞ」
「ちょっとネロさん! 違います殿下! サボろうとしていたわけじゃありませんから!」
「ふふっ」
ネロ君の冗談にアタフタするリドリアさんを見て、思わず笑ってしまった。
ふと、殿下と視線が合う。殿下が微笑み、私も笑顔を返した。
「こんにちは、殿下」
「ああ、フレアも仕事中にすまないな」
「いえ、殿下のほうこそ、今日はいくつも会議があってお忙しいとお聞きしています」
「まぁな。やっと半分終わったところだ」
殿下はそう言いながら、腰に手を当てて伸びをする。
第二王子である殿下は、外交で不在がちな陛下やクラウス殿下の代わりに、この国の政治や担当領地の運営で忙しくされている。
私たち以上に忙しくて、本当ならこうして顔を合わせることすら難しいのに、殿下はよく私たちの様子を見に来ては、労いの言葉をくれる。
「マメな男だな」
「そうでもないさ。俺も気晴らしが必要なだけだよ」
「ふっ、今回は気晴らしが目的でもなさそうだが?」
「よくわかったな。まだ何も言っていないのに」
「その手の書類を見ればわかる。普段ここへ来るときは手ぶらだろう?」
ネロ君は殿下が右手に持っている書類を指さした。
彼が言う通り、普段殿下が様子を見に来てくれる時は特に何も持っていない。今日は何やら書類を片手に持っていた。
殿下はその書類をリドリアさんのテーブルに置く。
「新しい報告書だ。二人に見てほしくてな」
「フレアさんだけではなく、私にもですか?」
「ああ、二人の見解を知りたい。今すぐでなくてもいいから、眼だけ通しておいてほしい」
そう言って殿下は書類をテーブルに置くと、すぐに扉のほうへ戻っていく。
私は殿下の後姿に寂しさを感じて、声をかけた。
「もう戻られるのですか?」
「ん? ああ、まだ仕事が残っているからな」
「そう……ですか」
お忙しいのはわかっているし、もう少し一緒にいたいというのは……私の我がままだ。殿下を困らせるわけにはいかない。
「そんな顔をするな。お前との時間も、ちゃんと考えているよ」
「殿下……」
殿下は私の気持ちを察して歩み寄り、頬に優しく触れてくれた。
寂しいと感じているのは私だけじゃない。殿下も同じ気持ちだとわかって、ホッとして、嬉しくなってくる。
「また後でな、フレア」
「はい。殿下もお仕事、頑張ってください」
「ああ。フレアもな」
殿下はニコリと微笑み、部屋を後にする。
私は閉まった扉を眺めながら、自分の胸に手を当てる。
殿下の声を聞いて、頬に残る温かさを感じて、私の心はポカポカと熱を持つ。一分にも満たない時間だったけれど、十分にやる気は満ちた。
殿下の顔を見られただけでも、私にとっては幸せなことだ。
「そういう見せつけは他所でやってくれ」
「本当ですね~ こっちまで恥ずかしくなりますよぉ」
「あ、ご、ごめんなさい」
ネロ君とリドリアさんが一緒にいることを忘れてしまうほどに、殿下のやり取りに浸ってしまうことも多くて、よく二人に呆れられていた。
今さらになって恥ずかしくなり、頬が赤く熱くなる。
誤魔化すために私は殿下が置いていった書類のことを話題に出す。
「私たちに見てほしい書類ってどんな内容でしたか?」
「え、ああ、これですね」
「うむ」
リドリアさんとネロ君が書類を覗き込み、私も遅れて彼女たちに近づく。
書類は報告書と書かれ、殿下が担当する領地で起こっている出来事について記されていた。
場所は王都より東に位置するルーレウトという街で、以前に遠征で向かったアクリスタと比べて、街の広さは半分以下程度らしい。
アクリスタのように特徴的な街というわけではなく、ごくごく普通の領地にある、普通の街でしかなかった。
数か月ほど前から原因不明の感染症らしきものが蔓延しているらしい。報告内容を見ながら、私とネロ君は視線を合わせる。
「似てるな」
「そうだね」
アクリスタで経験した出来事と似ている。
水の街と呼ばれているアクリスタでは、原因不明の病が蔓延したことで人々を苦しめていた。
私たちが派遣され原因を探ったところ、水を管理する施設の局長が、魔法で毒素を生成し、意図的にアクリスタの水を汚染していた。
大きな意図があったわけではなく、単に汚染水をバラまくことで、安全な水を高値で住民に売りつけることが目的だったそうだ。
「今回も似たような理由かもしれないな」
「そうだね。だから殿下は、私たちに意見を求めたのかな?」
「かもしれん。あるいは、別の何かがあるのかも。もう少しこの街についての情報がほしいな」
「リドリアさん、この街についてはご存じありませんか?」
「ちょっとなら知っていますよ。二度ほど訪問したことはありますね」
「本当ですか? どんな街ですか?」
リドリアさんはうーんと思い出しなら答える。
「そうですね。特段これといって記憶に残っているものはないんですよ。しいていうなら普通の街ですね」
「何の情報にもならないじゃないか」
「う、すみません……」
「アクリスタみたいに、水を管理する場所があったりしませんか?」
「えーっと、確かそういうのは全て魔導具で管理されていたと思いますよ」
魔導具で生活水の管理をしているのは、私たちが暮らしている王都と同じであり、リドリアさんの話を聞く限り、仕組みも同じようだ。
規模が違うだけで、魔導具の管理も王国から派遣された魔導具師が定期的にやっているらしい。
リドリアさんが訪問したのも、一か月に一度の検査だったとか。
「それなら、定期検査を担当している魔導具師に話を聞いたほうがいいだろう」
「そうだね。リドリアさん」
「はい。ちょっと待ってくださいね。えっと、担当しているのはカラリスさんですね」
「カラリスさん……」
聞いたことがない名前で、キョトンとしてしまう。同僚の名前も知らないなんて、私も失礼だなと自覚している。
研究室にこもりがちで、あまり他の人と関わろうとしなかった弊害だ。
「この仕事が一段落ついたら、私と一緒に話を聞きに行きましょうか」
「そうですね。そうしましょう」
「終わるといいな」
「が、頑張りますよ。ネロさんもお手伝いお願いします」
「さっきからしている」
ネロ君は私たちが話している間も、片手間に仕事を片付けていた。さすが大魔法使いにして、かつての大国をまとめていた人だ。
私たちの何倍も仕事が早くて効率がいい。それに正確で、ネロ君が確認してくれたものは一つもミスがない。
私やリドリアさんは時々ミスをするから、ネロ君に最終チェックをしてもらっている。
たぶん、私たちは同じことを思って、リドリアさんは本音が漏れる。
「もういっそ、全部ネロさんに任せたほうがいいのでは……?」
「いいわけないだろう。ふざけていると手伝わないぞ」
「す、すみませんでした! 頑張って働かせていただきます!」
「まったく、フレア。お前もぼーっとしていないで手を動かせ。仕事が終わらないと、あの王子とイチャつく時間もないぞ」
「イチャ……、が、頑張ります」
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