4.お休みをください!
ユリウス・ユークリス。
この国の第二王子様の顔を見間違えるはずもない。
ただ、私が見たことのある彼とはいささか違う。
半身に見たことのない黒い模様が広がっていた。
「お、お前は……」
「わ、私はフレア、宮廷魔導具師です!」
「魔導具師……こんな時間まで宮廷に残っていたのか……誤算だったな」
「何があったんですか! この模様は……」
殿下は苦しそうに胸を押さえている。
心臓が苦しいのか、呼吸が苦しいのか。
もしくはどちらも、か。
一目で深刻な状況であることは察しがつく。
「い、今人を呼んできます!」
「やめろ!」
殿下が私の腕をがしっとつかむ。
その手から尋常ではない高熱が伝わってくる。
「余計なことをするな。このことは……誰にも言うんじゃない」
「ど、どうしてですか? すごい熱です。明らかに何かの病気にかかっているのに」
「病気じゃ……ない。これは……呪いだ」
「呪い?」
「そう……だ。ぐっ……」
「殿下!」
痛みがひどくなったのだろう。
殿下がつかんでいた私の手を放す。
私は咄嗟に、落ちる殿下の手を握った。
指先から感じる高熱は、およそ人間が耐えられる体温の限界に近い。
このままだと命にかかわる。
「俺のことは……いい。忘れて、もう帰るんだ」
「……できません」
「なにを……」
「こんなに辛そうな人を……放っておけるわけないじゃないですか!」
私は殿下の手を引き、腕を肩に回す。
非力な私にとって、成人男性一人を支えるのはギリギリだ。
それでも無理やり起こす。
「失礼します。無礼をお許しください」
「な、なにをするつもりだ」
「私の研究室に行きます」
この症状が本当に呪いなら、あの魔導具が役立つはずだ。
研究室まで到着すればきっと元気になる。
だから――
「もう少し我慢してくださいね」
「……ああ」
少し軽くなった気がする。
殿下の両足が、私の動きに合わせて動いてくれる。
歩くスピードを増して、私と殿下は研究室に向かった。
明かりの消えた研究室に入り、殿下を簡易ベッドの上におろす。
硬いベッドで寝心地は悪いけど、今は我慢してもらおう。
部屋の明かりをつけてから、棚から魔導具を探す。
「えっと、あった!」
見つけたのは銀色の腕輪。
それを殿下の右腕に、模様が広がっている側に装着する。
「これで……」
魔導具が効果を発揮する。
半身に広がっていた黒い模様が、徐々に薄れて消えていく。
代わりに腕輪が黒く変色していった。
まるで、殿下の呪いを腕輪が吸収するように。
「……っ、はぁ……」
「殿下」
「痛みが……薄れてきた」
「よかったぁ」
予想通り、ちゃんと効いてくれたみたいだ。
ホッとした私は近くの椅子に腰をおろす。
反対に殿下がベッドから起き上がり、模様が消えた右手をグーパーして確認する。
「この腕輪のおかげ……なのか?」
「はい。それは呪いを和らげる効果をもった魔導具なんです」
「魔導具? そんなものがあるのか」
「はい。呪いは特殊ですが、大元は同じ魔法ですから」
呪いには種類がある。
殿下の受けていた呪いは、身体を対象に広がるタイプだろう。
この手の呪いは、呪いをかけた相手をどうにかしない限り収まらない。
だけど、呪いの進行を抑えることはできる。
「その腕輪は、呪いの対象を広げてくれるんです。今の殿下の身体を、呪いは腕輪が九、体が一という割合で認識しています。対象が広まった分、呪いの効果が薄まったんです」
「よくわからないが、完全に呪いが解けたわけじゃないんだな?」
「はい。呪いの解呪は発動者にしかできないので……申し訳ありません」
「いや十分だ。おかげで身体が軽い。痛みのない夜を過ごせるなんて久しぶりだよ。この呪いは、夜に進行するみたいだからな」
時間帯を指定した呪いの進行。
殿下の話から推測するに、毎晩呪いが進行し、いずれ全身をあの模様が覆ったとき……完全に発動して死ぬ。
そういう呪いなのだろうと考える。
「助かったよ。フレア、だったか? 君は命の恩人だ」
「い、いえそんな。私は偶然居合わせただけですので……その、無礼なことをしてしまい申し訳ありません」
「無礼なんてとんでもない。君の人を助けようという行動は、この国の王子として誇らしいよ。こうしてすぐ対処もしてくれたし、君は優秀な人材だね」
「優秀……」
なんだか久しぶりに言われた気がする。
「俺のほうこそすまなかった。強い言葉を使ってしまって……ただ、このことは誰にも言わないでほしい。それだけは約束してくれないか?」
「ど、どうしてですか?」
「ふっ、一国の王子が誰かに呪われた……なんて、知られたら大事だろう? 父上たちも心配する。俺は……誰にも心配をかけたくないんだ」
「だから中庭に……」
苦しんでいる姿を、他の誰にも見られないように。
この人は……。
「どうして、呪いなんて」
「さぁな。まぁ、俺を恨んでる人間はたくさんいるだろ。王子なんて立場は嫌でも注目されるし、悪人たちからは敵視される。できるだけ早く呪った相手を……ところで、君はどうしてあそこにいたんだ?」
「え、あ……それは、仕事で」
「仕事? もうっとっくに終わっている時間だろう?」
それはそうなのだけど、私にも事情がある。
特に今日は、いや昨日はいろいろとあったから。
「はぁ……あ、すみません!」
殿下の前で溜息をつくなんて。
自分で抑えきれないほど弱っていることを自覚する。
そんな私を見て、殿下は優しく微笑む。
「フレア、俺にできることはないか?」
「え?」
「君は命の恩人だ。何かしてほしいことがあれば言ってほしい。俺にできることなら叶えたい」
「そ、そんな、私は……」
「いいから。遠慮なんてしないでくれ。素直に、思ったことを言ってほしい」
素直に……。
私の望みはなんだろう?
カイン様ともう一度婚約者に戻りたい?
ううん、違う。
一度でも浮気していた人なんて、今さら婚約者になりたいとは思わない。
仕事量を減らしてほしい?
嬉しいけど、その後が怖い。
きっと私に対する風当たりは一層厳しくなるだろう。
いろいろと思い浮かんでは消えていく。
畢竟、私がほしかったのは――
「お休みがほしいです!」
「……休み?」
「はい」
ただ、心と身体を休める時間がほしかった。
それだけでよかった。