22.失踪
「……」
ぐったりと椅子に座る一人の女性。
髪はバサバサに乱れ、肌は荒れ、目の下には真っ黒なクマができている。
彼女は大きくため息をこぼす。
「はぁ……」
テーブルの上には終わっていない仕事の山。
時計の針は見るまでもなく、とっくに終業時間は過ぎている。
しかし未だ終わっていない仕事の量。
明らかに異常だが、誰にも文句は言えない。
言える立場ではない。
なぜなら彼女は本来、部下に仕事を割り振る立場なのだから。
「早く……終わらせないと」
フレアが宮廷を去ってから、彼女の仕事の大半を所長が引き受けている。
外では様々な大事が起こっているが、それを知る時間もない。
彼女は一人で研究室に閉じこもり、ただただ仕事に明け暮れていた。
フレアが一人で熟していた仕事量は、本来ならば一人でなんとかできる量ではない。
ギリギリとはいえ毎日終わらせることができたのは、フレア自身の実力があってこそ。
彼女と同等以上の腕をもつ魔導具師でもなければ、一日では終わらせられない。
つまり、所長は理解させられたのだ。
フレアの底知れぬ才能を。
自分よりはるかに腕のいい魔導具師が、こんなにも近くにいたことを。
「くっ……」
彼女は唇をかみしめる。
プライドの塊のような彼女にとって、己が敗北していたことを知ることほど、耐え難い苦痛はない。
その腹立たしさに眠気は吹き飛ぶ。
目の前には終わらない仕事。
明日も明後日も、この日々は続いていく。
敗北感を味わい続ける。
「もう……嫌」
彼女の精神は限界に近づいていた。
身体的な疲労、プライドの崩壊、そして未来への不安。
様々なマイナス要因が重なり、ボロボロになった心身を癒す術はない。
これまで散々他人を見下してきた彼女に、心から味方するものは存在しなかった。
こんな状況になり、誰もが彼女の大変さを認知している。
にも拘らず、誰一人助けようとは思わないことが、その証拠である。
自分に味方がいないという孤独感は、彼女の精神をより削った。
極めつけは、一つの噂。
第二王子付きの魔導具師が、王子の命を救い、闇に潜む巨悪を暴く大健闘をした。
彼女こそ、この国一の魔導具師である。
彼女を知らなかった多くの人たちが、その存在を知った。
認め始めたのだ。
この国にいる偉大な魔導具師の存在を。
もし仮に、彼女を知る者にもっともすぐれた魔導具師は誰かと問いかけたら。
フレア・ロースター。
彼らは間違いなくそう答えるだろう。
もはや立て直しなど不可能なほどに、所長のプライドは崩壊した。
そしてついに精神と肉体も限界を迎え……。
◇◇◇
「え? 失踪!?」
朝一番に大きな声をあげてしまった。
それほどに驚きだった。
「ほ、本当なんですか? 殿下」
「ああ、さっき部下から報告があった。宮廷魔導具師の所長、アイリス・ローチラスが今朝方から行方知れずだ」
「攫われたとか、じゃないんですか?」
そっちのほうが大問題だけど。
殿下は首を横に振る。
「いいや、十中八九自分の意志だ。彼女の研究室や家を調べたら、荷造りをした形跡があったそうだ。誘拐や事件なら、荷造りする暇もないだろ?」
「それは……そうですね」
所長が失踪?
逃げ出したということ?
どうして……ううん、たぶん理由は――
「あの仕事量に耐えられなくなったんだろうな」
私が考えたことを、殿下が先に口に出して言った。
やっぱりそうなのだろう。
所長は私が王城に入ってから、今まで私が請け負ってきた仕事の大半を代わりにやっていた。
自分で言うのも変な感じだけど、あれだけの仕事量を一日で熟すのは大変だ。
所長には他の仕事もあるだろうし、私よりも大変だったんじゃないかな。
「はぁ……正直こんな結果になるとは思ってなかったな。そのうち反省して謝罪してくると思っていたんだが」
「それは難しかったと思いますよ」
私は所長の性格をよく知っている。
彼女は自分が悪いと思わない。
誰かに頭を下げることをしない。
四年近く一緒に仕事をしていて、彼女が謝ったところを見たことがないから。
自分の非を認めて他人を頼る。
そんなこと、彼女がするはずないと思っていた。
「だからって、逃げ出すとは思いませんでしたけど……」
殿下曰く、すでに捜索願が出されている。
名前や顔、身元の情報はすべて公開されてしまった。
これではもう、この国で魔導具師として活動するのは難しい。
仮に戻ってこられたとしても、今の立場には戻れない。
彼女は自らの手で、これまで積み上げてきたものを全て捨てたのだ。
「そこまで大変だったんだ……」
ただ、同情はできなかった。
私が味わってきた苦痛を、彼女に知ってもらえたのなら、それはそれでよかったとすら思える。
「あ! それじゃ、所長がやっていた仕事ってどうなるんですか?」
「そこが問題なんだよ。当然だが仕事全部放り投げていったからな。戻ってくるのは期待できないし、見つかったとしても無理やり働かせるわけにもいかない。だから……」
殿下は申し訳なさそうな顔をする。
なんとなく、殿下が考えていることがわかった。
私は笑う。
「いいですよ。私がやります」
「フレア」
「もとは私の仕事ですから」
「……すまない。もちろん全部をやってもらう必要はない。残りは他の魔導具師たちで分担する。もともとが一人でやる量じゃなかったんだ」
それはその通りだ。
今まで大量の仕事を私に押し付けていたのは所長だけど、その裏で他の人たちは楽ができていた。
本来の業務量に戻るだけで、実際は増えたわけじゃない。
「ですが、私がやれるのは私の仕事だけです。所長としてのお仕事は難しいと思います」
「そっちも大丈夫そうなんだ。頭の痛い話だが」
私はキョトンと首を傾げる。
「どういうことですか?」
「あの所長、自分の仕事を君と副所長に押し付けていたみたいなんだ。そういうわけで、彼女がいなくなっても宮廷はいつも通り機能する」
「そ、そうだったんですね……」
私って所長の仕事もやっていたんだ。
それは初耳だった。
「なぁフレア、君は所長になりたいと思わないか?」
「……え?」
唐突な殿下の一言に、思わず素の声が出てしまった。
私が、所長?






