1.パワハラの毎日
「こっちの発注書、明日までに片づけておいて」
「え……」
テーブルの上にどさっと乱雑に置かれた紙の山。
他にも終わっていない山が並んでいて、思わず絶句する。
「それじゃよろしく」
「ま、待ってください所長! こんな量、一人で明日までに仕上げるなんてとても」
「何を言っているの? それが貴女の仕事でしょ?」
「い、いえ、その……」
所長だって同じ魔導具師なんだから、これは所長の仕事でもあるはずなんだけど……。
とか、言いたくても言えない立場だった。
「わかったら早く終わらせなさい。じゃないと次の仕事が来るわよ」
「……」
「まっ、貴女ならこのくらい余裕でしょ? 期待しているのよ? 元、最年少宮廷魔導具師、フレア・ロースターさん」
「……が、頑張ります」
褒めているわけじゃない。
ただの嫌味だ。
表情がそうだった。
所長は私の研究室から出ていく。
ばたんと閉まった扉の音が響き、静かになった部屋でポツリと立ち尽くす。
「はぁ……」
最初に出たのは盛大な溜息だった。
所長に聞かれたら、また嫌味を言われてしまうのだろう。
でも……。
「溜息だってつきたくなるよ。なんなの? この量……五人分くらいある」
同じ魔導具師がこなす仕事量の五倍。
時には十倍近い仕事量を押し付けられ、納期は通常通りという鬼のような設定。
当然通常業務の時間だけじゃ終わるはずもなく、毎日のように残業して、休日の半分は出勤しないといけない。
「これ……明日も出勤だなぁ」
本来なら休みでのんびりできる日も、激務に追われて休む暇もない。
幼いころから憧れていたモノづくりの最先端。
宮廷魔導具師になった私は、理不尽極まりない社会の波に吞まれていた。
「次のお休みはいつになるんだろ……」
そんなことを考えながら残業する。
やっと終わるころには日付が変わっているだろう。
みんなが帰宅する中、一人宮廷に残って仕事に勤しむ。
トントントン――
ドアをノックする音が響く。
珍しいこともあるみたいだ。
この時間に誰かが訪ねてくるなんて。
まさか所長が戻ってきて、さらに無茶な仕事を押し付けられるんじゃないか。
私はびくびくしながら扉の向こうに尋ねる。
「はい。どなたでしょうか」
「――僕だ。フレア」
「カイン様!」
私は慌てて扉の前に駆けより、勢いよく扉を開ける。
そこには金髪で青い瞳の男性が立っていた。
彼の名はカイン・バルムスト。
バルムスト侯爵家の嫡男であり、私の婚約者でもある。
「こんばんは、フレア」
「こんばんは! カイン様がどうしてこちらに?」
「ちょっと君の様子を見に来たんだ。話したいこともあったしね」
私に会うためにわざわざ宮廷へ?
こんな夜遅くに。
カイン様は相変わらずお優しい。
容姿も性格も立ち振る舞いも、何もかも優れている方だ。
私なんかの婚約者にはもったいない。
けど、その優しさが今の私には必要だった。
独りぼっちだった研究室に彼が来てくれたことで、まだまだ頑張れそうな気力が湧いてくる。
「ありがとうございます。カイン様」
「ああ。それで……」
彼はきょろきょろと研究室の中を見渡す。
なんども来ているし、今さら目新しいものはないけど何か気になる様子。
「カイン様?」
「……フレア、君は今日も遅くまで残って仕事をしていたんだね」
「あ、はい。まだ終わらなくて……」
「そうか」
慰めてもらえるかと期待した。
カイン様に相談すれば、この状況も変わるかもしれない。
今までは迷惑をかけたくないからと黙っていた。
でも、そろそろ限界だ。
このままじゃ過労でいつか倒れる。
こうして私のことを気にして来てくださったんだ。
今こそ相談するべきだろう。
「あの――」
「フレア、君に大事な話がある」
私の言葉をさえぎって、カイン様は真剣な表情でそう言った。
思わず口を噤む。
そういえば話があると言っていた。
私の相談はそれが終わった後でもいい。
気持ちを切り替えて、にこりと微笑みカイン様に言う。
「はい。なんでしょう」
「――君との婚約を破棄したい」
「……え?」
時間が止まってしまったような感覚に襲われる。
聞き間違いだと思った。
思いたかった。
それでも私の耳にはハッキリと残っている。
婚約を破棄したい。
私と。
カイン様はそうおっしゃった。
真剣な、およそ嘘なんてついていないとわかる表情で。
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タイトルは――
『没落した元名門貴族の令嬢は、馬鹿にしれきた人たちを見返すため王子の騎士を目指します!』
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