お母さんに会いに行こうと決めました
「ほら、これも食べな」
焚火でゆっくり焼いた大猪を塩で味付けしたものを、小さく切ってライの葉っぱのお皿に置いた。
「ありがと」
アシュリーが助けたのは、黒い髪にグレーの瞳をした三歳の男の子ライ。
三歳と言うには小さいし痩せているのは、栄養が足りていないからなのかもしれない。
頬が身体のわりにぷくっとしているのは幼いからか、そういう顔なのか。
因みに、塩は横転した馬車の荷台から勝手に頂いたものだ。
馬車の周辺は血の匂いが充満していて、他の魔獣が寄って来るかもしれない。
仕方なく、さらに十キロ程進んだ先に見つけた小さな湖の近くで休むことにしたのだ。
移動中、ライの身体にしっかりと染みこんだクグツギの葉の匂いのお陰か、魔獣に襲われることもなかった。
湖でライを洗ったが、なかなか匂いが落ちない。
「それじゃ、あの二人はライのお父さんとお母さんじゃないの?」
「となりのおじしゃん、おばしゃん」
ライの両親は居なくて、隣りに住んでいた夫婦がライの面倒を見てくれたらしい、多分。
半分以上何を言っているのか分からないから、ふんわりと理解するしかない。
「ライがお金に変わるって言ったの?」
「うん。ライはいいこだから、おかねをくれるの」
「お金は誰がくれるの?」
「とーくにいくひと」
ライがどこまで理解しているのかは分からないが、夫婦は随分と優しく言い含めたようだ、多分。
「……遠くって」
「あのねぇ、らじゃっていうとこ」
「ラジャ……」
随分と懐かしい名前を聞いてアシュリーの心臓がドキリとする。
ライは少し落ち着いたのか、ゆっくりだが自分の話をしてくれた。
因みにライが食べた肉の量は、ライのちいさな掌サイズを一枚分くらい。一生懸命噛んでいるのだが、なかなかモグモグが終わらない。
その間に、アシュリーは大猪を半分ほど平らげた。久しぶりに味があって最高だ。
「おじさんが言ったの?」
「うん、ライはいいこだから、おかねもらうの」
……つまり、人身売買ということかな、多分。
その夫婦はライを売ってお金を得ようとして、ここまで来て魔獣に喰われたと言うわけだ、多分。
自業自得か?いやでも、この国で人身売買なんて禁止されている筈。うーん、やっぱり違うのかな。
それにしても、ライはどこから連れてこられたのか?
「ライは他に家族とかいないの?」
「……かじょく?」
「んー、おにいさんとかおねえさんとか、おじいさんとか?」
「いない、ライはだれもいない」
ライの目に涙が浮かんでいる。
「あ、あ、ごめん。ごめんね。ほら、肉食べな、肉!これ食べたら元気になるから」
さっきから大きな葉っぱの皿に載せた肉が全然無くなっていないのに、さらに肉をライの葉っぱの皿に載せた。
「ライもういいの。おなかいっぱい」
「え?なんで?それ一口にもならない量だよ?」
全くアシュリーには理解できない。
それにライは眠たそうだ。一生懸命肉を噛んでいるようだが、だんだん口が動かなくなりゆっくりと活動を止める。食べながらウトウトとしているのか、頭がグラリと揺れた。そしてハッと気が付いて、またゆっくり嚙み始める。そしてまた次第に口が動かなくなる。
何で食べている途中で寝るんだ?あれ?まだ口の中に入ってない?
頭がユラユラと揺れているライを抱き寄せて、口の中に指を入れ、寝ぼけて嫌がるライの口から咀嚼途中の肉を出した。
「お肉は好きじゃないのかな」
明日、湖で魚を獲ろう。
アシュリーはライを防寒着で包み込み、そのまま抱きしめて眠ることにした。
アシュリーが目を覚ました時、ライはまだ気持ち良さそうに寝ていた。
こんな小さい子供が一人きり。
「君、一人なんだね」
私もだよ。
母は自分を置いて行った。ユーゲル家の人達は、血の繋がった他人。ライと自分に何も違いはない。
「さて、これからどうしようか」
ポソッと呟く。
帰ればいいのだ。だが、そこに躊躇する。騎士団には帰りたい。でも、帰ればユーゲル家の人達はいい顔をしないだろう。きっとアシュリーが死んだとしても、何も変わらないはず。
アシュリーは母の言葉を思い出していた。母のあの言葉が、今なのではと思う。
――いつか自分の力で生きられるようになったら、飛び立てばいい ――
「うん、今だな」
今が飛び立つ時なんだとアシュリーは思った。
ただ、サミュエルに会えなくなることが、騎士団の皆に会えなくなることが、寂しい。
「う、ううん…」
目を覚ましたライの顔を覗き込むと、まだ寝ぼけているのか目を開けたり閉じたり。そしてまた寝た。
「寝るな」
ライのほっぺを摘むとプニプニしていて気持ちがいい。
「これは…」
凄く良い!
モミモミモミモミしていると、さすがに諦めたのかライが再び目を開けた。
「おはようじゃいましっ」
「おはようございます、だよ」
「おはよごじゃましっ」
なんだか舌っ足らずな所が可愛いが、言葉はちゃんと話せた方がいい。それは経験済みだ。
「よく寝たね」
「うん」
「ちょっと行ってくるからここで大人しく待ってて」
「どこいくの?」
アシュリーはニヤッと笑った。
「肉の次は魚だ」
そう言うと、ライを地面に座らせ、服を脱いで下着になり走って湖に飛びこんだ。
「あ、まって、あしゅう」
ライの声はアシュリーには聞こえなかった。
「あしゅう、う、、、まってぇ」
一人取り残されたライは、恐怖に震えながら防寒具に包まって湖の際まで行って座り込み、アシュリーの帰りを待った。
湖に潜ったアシュリーがほんの数分で戻って来ると、ライは鼻水を垂らしながら泣いていた。アシュリーにしがみ付き、何やら一生懸命言っていて困った。
まさかこんなに泣くなんて思いもしなかったのだ。
クグツギの葉の匂いは辺りに漂っていて、小さな魔獣なら近寄ってこないし、勿論その気配が無いことも分かっていた。
魚だってすぐに捕まえたし、一人にしたのだってほんの数分。
「ごめんね」
アシュリーはさっと火で身体を乾かし服を着ると、ライを抱いたまま焼いた魚を食べさせた。
「ライ、もっと魚を食べな」
折角沢山取って来たのに、ライは一匹の半分も食べない。
「おなかいっぱい」
小食過ぎて驚く。
子供ってこんなもんなのかな?
魚を十匹食べても食べ足りないアシュリーにはよく分らない。
「ライねぇ、おにくもおかしゃなもねぇ、あんまりたべたことないよ」
「お・さ・か・な、ね」
「お・か・しゃ・な」
「……」
まぁ、いいか。可愛いし。
肉も魚もあまり食べたことがない、か。そう言えば、アシュリーがこんなに肉や魚を食べるようになったのも、騎士団に入ってからだった。
それに、母と一緒に住んでいた頃は、お腹一杯食事をしたことはなかった気がする。よくお腹が空いててグルグル鳴っていた。
でも、母は仕事から帰って来る時、必ず何か食べ物を持って帰って来てくれた。アシュリーはそれがいつも楽しみだった。
「ねぇ、ライ」
「なぁに?」
「お家に帰りたい?」
ライの顔を覗き込むと、ブンブンと首を振る。
「かえんない」
帰りたいと言われても、そもそも家がどこなのかも分からない。
「私と一緒に行く?」
アシュリーの言葉を聞いて、ぱぁっとライの顔が輝いた。
「うん!いく!」
今のライにはアシュリーしか頼れる人が居ない。
「私がすんごく悪い人でも、ライは頼るしかないんだな」
自分は母に置いていかれたけど、まだ幸せな方だったのか。少なくとも、こんなふうに全くの一人で放り出されたわけではない。
「よし、じゃあ、どこに行くか決めよう!」
「きめる!」
「どこに行く?」
「うみ!」
「海?」
ライは海の近くに住んでいたのだろうか?
「おじしゃんとおばしゃんがねぇ、ライはうみにいくって」
それは、人買いに売られた先のラジャ王国のことを言っているんだな。
アシュリーは何故か鼻の奧がツーンとした。急にラジャ王国が恋しい故郷の様に感じたのだ。
行ってみようか、ラジャ王国に。もしかしたら、お母さんに会えるかもしれない。
「それなら、海に行って船に乗ろうか?」
「…わぁ、ふねってなぁに?おうまよりおおきい?」
ライは聞いたこともない乗り物に大興奮だ。
「すんごく大きい!」
アシュリーだって船には乗ったことがない。だから、アシュリーも楽しみだ。
船に乗って生まれ故郷に帰り母に会う。
少しぼやけ気味な母の顔を、一生懸命想像して構成し直す。
住んでいた家はどこだったかな?確か、大きな街の端の方に住んでいたような気がする。王宮を何度か見たことがあったから、王都だったのだろう。
母は踊り子で、アシュリーが寝てるうちに帰ってきて昼過ぎに起きてきて、また夕方には出掛けて行った。
一人で店まで行って、母の踊りを観てから夜道を走って帰ったことも何度もある。
母は危ないから来るなと言っていたが、母の踊りが大好きだったし母の近くに居たくて仕方がなかった。
それに、母はいつも疲れていて普段はあまり構ってもらえなかったから、そういう風にしか母と関わることが出来なかったのだ。
それでも、仕事がない日は一緒に出掛けて、一緒にご飯を作って、面白い話や異国の珍しい話を沢山聞かせてくれた。
「あしゅう、たのしみだね」
「ふふふ、そうだね」
そういえば。
「ライ、私のことはジュジュって呼んでもいいよ」
「じゅじゅ?」
「そう、上手、言いやすいでしょ?」
「じゅじゅ」
「うん」
母が自分に付けてくれた大切な名前。アシュリーもライもニコッとして海に向かう準備をした。
読んで下さりありがとうございます。
子供が食べながらうとうとしていると、ニヤニヤしてしまう。




