今日の献立は決まっていますからね
流石に足場の悪い山の中で黒闘牛と戦うのは大変だった。
回復薬を飲んできたこともあって体力には問題はなかったが、黒闘牛の巨体が木にぶつかって木の葉を揺らし、木の葉に積もった灰が目に入って視界が悪くなりオーウェンは黒闘牛の突進をもろに喰らってしまった。
サミュエルの怪我もオーウェンと然程変わらない。
幸い治療薬を飲んで回復したので大事には至らなかったが、今後はこういう環境での戦闘は御免蒙りたい。
「サミュ副団長ー」
こんなに二人がボロボロでも相変わらずなのがアシュリー。
「黒闘牛の肉、どれくらい持って帰りますー?」
サミュエルがアシュリーの騎士昇格祝いにプレゼントした、細身の美しい剣が最早、包丁のような扱いになっている。
血を抜き皮を剥いで肉をだけを削ぎ落す。灰が付かないように黒闘牛の上で黒闘牛を捌く丁寧な仕事っぷり。
「…お前…」
オーウェンは溜息を吐いたが、こんな時でも変わらないアシュリーが今はありがたい。
「今日はそんなに持って帰れないぞ」
「分かってるよ」
アシュリーは下処理をした肉を、自分の身体より大きいバッグパックに詰め込んでいる。
「絶対今日、黒闘牛鍋を食べるからね」
アシュリーの食い意地には呆れを通り越して感服してしまう。
サミュエルはついつい笑ってしまった。
「お前なぁ、全く……」
一体あの細い身体のどこにあんな力があるのか。
身体強化の魔法を掛けているが、それにしても体力も魔力も底無し。「まだまだ成長途中です」とアシュリーが言った時、「その辺にしておけ」とゲオルフが溜息を吐いていたのを思い出す。
正直に言えば羨ましい。ただの騎士としては過分な才能に嫉妬するのは自分だけではないはず。
一見アホなように振舞っているが、一言えば十を理解することを知っている。
もし、アシュリーに余計な柵など無く、男に生まれていれば、もっと上を目指せたのに。無礼を承知で言えば、ユーゲル家当主として申し分のない逸材なのに。
そこまで考えて、サミュエルは被りを振り余計な思考を追い払った。
「それは、私が言うようなことじゃない…」
自分はあくまでもユーゲル公爵家有する騎士団の一団員。ただの騎士だ。
「副団長、お待たせしました。行けます」
オーウェンが準備を終えたことを告げに来た。
黒闘牛は討伐したが、未だに山がザワザワしている。
「アシュ、その肉は置いて行けよ」
何故か、肉の入ったバッグパックを担いだまま、山を登ろうとしているアシュリーにオーウェンが言った。
「へ?」
アシュリーは間抜けな顔をして、それから訝し気にオーウェンを見た。
「誰も取らねーよ!」
肉を取られる心配より、そんな重い肉を運んで転げ落ちることを心配して欲しい。……、いや、それも違うな。もうツッコミどころが満載過ぎて、何を言ったらいいのか分からない。
「帰りに拾えばいいだろう?こんなに寒いんだから、すぐに悪くもなんないし」
オーウェンが言うと、アシュリーは渋々バックパックを降ろした。
「よし、出発するぞ」
そして。
アシュリーたちは今、混乱を極めた魔獣同士の壮絶な戦いを木の上から見ている。
目の前の拓けた場所は山の中腹部の盆地で、この辺りには多くの魔獣が根城を持ち、この盆地より上に更に多くの魔獣が住みついている。
噴火は冬眠していた魔獣を起こし、パニックまで引き起こしている。野生の動物たちは静かだったのに、ここは何故?と思ったが、噴石が至る所に落ちているのを見て納得した。
噴火を予知して逃げ出した魔獣は良かったが、逃げ遅れた魔獣たちが噴石の襲来を受け、混乱し出くわした魔獣同士の争いが起こり、喰ったり喰われたり。もう混沌だ。
「恐ろしい光景ですね」
流石のアシュリーも呑気に見ていることが出来ない程凄まじいらしい。
真っ黒な毛に額に大きく伸びた角を持つ一角熊十数頭と、その倍以上はいるであろう紅狼が死闘を繰り広げている。
アシュリーたちがいるのは、魔獣たちが乱闘を繰り広げている場所から二百メートルは離れているであろう密林にある、高さ五十メートル程の木の上部。二本並んだ木の太い枝を各々陣取っている。
しかしこんなに離れた場所にいても、乱闘で舞い上がった灰が迫ってくる。視界も悪いし悪臭が鼻を突く。
「なんですかね、どんどん魔獣がいなくなっているような気がします」
火山灰ではっきりと確認できないが、確かに少しづつ減っているような気がする。喰われているとか、倒れているとかそんな感じではない。
「サミュ副団長。なんか嫌な感じがします」
「実は私もだ」
「え?なんですか?」
「上を見ろ」
空を見上げれば、凄い数の怪鳥竜が山から離れていく。
「うわ、俺あんな数の怪鳥竜なんて見たことないですよ」
「私もだ」
イヤな予感しかしない。山の火口付近から煙がどんどん勢いよく立ち上っているからだ。
「まずいな」
「はい」
「あ、副団長、下」
オーウェンの言葉に下を見ると、十頭ほどの紅狼が自分たちを見つけ狙っていた。
「最悪だ」
偵察のつもりが深入りし過ぎてしまったようだ。
そう思った瞬間、恐ろしい音と共にミラーズ山が再び噴火した。
しかも、大きな噴石がいくつも飛んでいる。ここに居れば噴石が降ってくる可能性がある。しかし、このまま下に逃げれば紅狼たちを引き連れて下山することになってしまう。
「とにかく移動するぞ」
「はい」
「アシュ、火玉を打ち込んで紅狼の注意を逸らす」
「はい」
サミュエルとアシュリーが何発か紅狼に向けて火玉を打ち込み、怯んだ隙に木を降りて斜め上に向かって走り出した。
「アツッ」
オーウェンに噴石と一緒に飛んだ泥水か何かが掛かったようだ。泥水は土砂が混じっていてとても熱く、触れば火傷をする。
「やばいですよ」
「分かっている、とにかく走れ!」
紅狼は追いかけてくるし、上から噴石が飛んでくる。とにかく火口から離れようと加速したが、数頭の紅狼がまだ追って来ていた。
「しつこいなぁ」
一番後ろを走っていたアシュリーが足を止め振り返ると、後ろから追いかけてきた紅狼が飛び掛かってきた。アシュリーは火柱を立てて紅狼の動きを止める。
紅狼はグウと唸った。
「アシュ」
アシュリーが紅狼に火玉を放つ。オーウェンはアシュリーに加勢する為に踵を返そうとしたが、アシュリーがそれを制した。
「オーウェンは副団長を」
サミュエルを見ると離れた所で一角熊と対峙している。確かに状況的にはサミュエルの方が不味そうだ。
「分かった、あっちを片付けたらすぐに来る」
「うん」
サミュエルまでの距離は三十メートル程。オーウェンは身体強化で一気に一角熊との間合いを詰め、剣を抜こうとした。
その瞬間。
凄い爆音と衝撃。
「え?」
振り返って見上げると自分に迫る影と激痛と……
オーウェンが次に気が付いた時には、ウェルザー村に張られたテントの中だった。
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