本当にあいつ、アホだな
アシュリーがニコニコしながら湯気の立つ鍋を見つめ、今か今かと食べ頃を見計らっているのは、赤怪鳥のごたごた鍋。アシュリーの一番のお気に入りだ。
「アシュ、涎を垂らすな」
アシュリーの横に座るオーウェンが、タオルでアシュリーの涎を拭く。
「うぐっ」
「ったく」
いつもの光景だ。
「オーウェン、今日も甲斐甲斐しいな」
「ほっといてくれ。こいつの世話は、俺しか出来ないんだから」
公爵令嬢として教育をされたはずのアシュリーだったが、十歳の時に騎士見習いとなってから、その施された教育は全て無駄になった。
剣と魔法に優れた騎士は、それ以外のこととなると全くのダメ人間。
淑女らしさの欠片も残っていない上に、かなりだらしがない。食べ物に直ぐ釣られるし、あり得ないほどよく食べる。なんでこうなった?と誰もが疑問に思うのだが理由が分からない。
それでも、赤い騎士団の制服に身を包んだ、若く美しい銀髪の先駆け隊長に憧れる者は多い。
「アシュ、もういいぞ」
「うん!!」
オーウェンの許可が出ると、アシュリーは嬉しそうに鍋の野菜と赤怪鳥を器によそった。
この辺りでは珍しく箸を使って食べる料理屋で、騎士団の面々も使い方には慣れたものだ。
ハフハフと熱を逃がしながら、しっかり咀嚼をしたアシュリーの第一声は決まっている。
「うまーい」
アシュリーの頬は膨らみ幸せそうだ。
「いっぱい食えよ」
「うん!」
「オーウェンは、最早母ちゃんだな」
ゲオルフは困ったような顔をして呟いたが、既にその位置が確立していることは誰もが承知の事実だ。
そして、その様子を微笑まし気に向かいの席で見守っているサミュエルが、オーウェンにも食べるように促した。
「お前は……父ちゃんか…?」
ゲオルフがサミュエルを見て呟いた。
いや、そこは兄と言ってやって下さい。
とは、団員一同の心の声。
本当は副団長こそアシュリーの母ちゃんなんだが、と言う誰かのつぶやきはスルーだ。
鍋の他にも、酒のつまみに揚げ物や、柔らかく煮た芋など沢山の品がテーブルに並んでいる。
「まさか噴火とはな」
食べ物より酒という男たちが集まって、飲みながら話しているのは、夕方に急遽決まった明日出発予定の緊急遠征。
今日の夕方、バインダー領の最北にあるミラーズ山が小規模の噴火を起こし、麓にあるウェルザー村に噴出物による被害が出ているらしいとの報告を受けた。
噴火に関する情報は点在する監視塔からのもので、実際の被害状況は現地に行ってみないと分からないと言うこともあり、明日早朝に騎士団がウェルザー村に向かうことになった。
また、岩漿がどこまで流れ出ているのか、噴火が魔獣にどのような影響を与えているのかも把握できてはいない為、村への影響が危惧されるところだ。
被害状況が分からない為、直ちに騎士団を派遣することになったが、何分報告が夕方だったこともあり、出発は明日の早朝。
まずは先遣隊として十人が本隊より先に出発して、状況を確認することになった。アシュリーもその一人だ。
「まさか火山活動をしていたとはな」
「今までそんな話聞いたこともなかったからなぁ」
そもそも山が噴火するなんて、グレムル王国内ではここ数百年の間で一度もなかった。
ミラーズ山はグレムル王国内最大の山で、裾野が広く頂までの距離もかなりある。
休火山であるとされていて噴火の兆しも無く、火山活動をしているとは予想できないほど静かな山だった。
また、生き物の宝庫と言われる珍しい山で、ここにしかいない動物、ここにしか咲いていない花などがある。山の中腹部より下は野生の動物、中腹部より上は魔獣と住み分けまでされていて、他に類を見ない珍しい形態をしている山なのだ。
「確かあの山は、大型魔獣が多いんだよな」
「マジっすか」
トマスの言葉にギャビンが声を上げた。
「ああ。黒闘牛、山大蛇がうじゃうじゃいて一角熊も紅狼もいるんじゃなかったかな」
「ひゃー、そりゃ大変ですね」
「一角熊は冬眠しているかもしれないが、今回の噴火で目を覚ましている可能性もあるな」
ヤクマが付け足した。
「スタンピードが起こることもあり得ますね」
「そうだなぁ」
もしかしたら、既に起こっているかもしない。そうなれば、村まで魔獣が下りてくることも考えられる。
「色々ヤバそうですね」
ついついブルッと身体を震わせてしまうのは、苦手な山大蛇を想像したからだ。
「俺、蛇苦手なんすよね」
ギャビンは幼い頃に、家の庭の添木に巻き付いていた蛇に気が付かずに握ってしまい、驚いてお漏らしをしてしまったことがトラウマで、蛇には近づけない。
「山大蛇に遭遇して漏らすなよ」
「ははははは」
「止めて下さいよ」
ついつい酒の席で暴露大会のネタに話してしまって以来、時々引っ張り出される残念な話だ。
「何が起こるか分からないからな。気ぃ抜かずに行けよ」
「はい」
「まぁ一人、常に気ぃ抜けてんだか抜けてないんだかわからない奴がいるけどな」
「「「「「あー」」」」」
そう言って向けたその視線の先に居るのはアシュリー。
汁を全部飲むために、鍋を抱えようとしているところをオーウェンに止められていた。サミュエルは笑っている。
「あいつ、アホだな…」
なんで鍋を抱えようとするのか。火傷するぞ、とかそう言う話ではないだろう。皆の溜息は大きい。
「まぁ、どうにかなるだろう」
今回アシュリーが先遣隊として行くのは、魔獣が下山してくる可能性を考慮してのものだ。
村人の安全確保と状況確認、復旧活動をメインとしてる。その中でアシュリーの仕事は状況確認をメインとしたミラーズ山への入山。
ミラーズ山は中腹部から麓までにかなりの距離がある為、簡単に魔獣が村まで下りてくることはないだろうが、全く無いとは言い切れない。
当然魔獣がパニックを起こし、スタンピードを発生させる可能性もある。
アシュリーや他の団員は本隊が合流するまで、魔獣の被害を最小限に抑えなくてはならない役目もある。
今や、アシュリーは騎士団になくてはならない重要な戦力。
見習い騎士から歴代最速で騎士になったのは十二歳の時。我らが先駆け隊長が、その名を手にしたのはそれから一年後の十三歳。
成人していない少女にやらせる役目ではないことは重々承知をしているが、それでもアシュリーに任せるのが一番確実だった。
アシュリーは天性の勘を持っていて、魔獣よりも先に仕掛けその動きを止める。
更にその身軽な身体で縦横無尽に跳び回り、魔獣を翻弄する。
目障りな銀の髪にイラつく魔獣たちの隙をついて、他の団員が一気に魔獣を殲滅する。それがここ数年の常套手段だ。
「噴火自体は大きくないって言うし、さっさと片付けちゃいましょ」
ギャビンは若者らしく軽い口調で明るく振舞う。
「そうだな、確かウェルザー村には温泉がなかったっけ?」
「あるよな?」
「あるな」
「マジっすか?絶対入ります!」
ギャビンが目を輝かせた。
「おう、入れ入れ、その前に仕事しろ」
「はい、俺やる気出ました」
「そりゃよかったな」
「でも、アシュに温泉のこと言うなよ」
ヤクマはギャビンに釘を刺す。
「なんでですか?」
「あいつのことだから、温泉なんて言ったら喜んで、間違いなくうるせー」
「「「「「あー」」」」」
再びアシュリーに目を向ければ、目の前に料理の載った皿を並べ、凄い勢いで片っ端から口に流し込んでいた。オーウェンは止めるのを諦めたようだ。
「本当にあいつ、アホだな…」
そうやって溜息を吐くのも、いつもの光景だ。
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