知ったこっちゃない
背にした国王の寝室からは、怒声と悲鳴が聞こえ一瞬にして大混乱に陥った。
そして。
直ちに宮殿内が厳戒態勢に入ったにも関わらず、今アシュリーが居るのは王太子の寝室。
王太子を目の前に、椅子に座っている。
先ほど部屋の中に入ってきた衛兵が、事の次第を報告し『暗殺者がまだ捕まっていないので、部屋から絶対に出ないで下さい』とだけ言い残し、部屋を出て行った。
実際にはその暗殺者と言われる者は部屋の中に既に隠れていて、王太子の命を握っていたのだが。
部屋の前には多くの衛兵が立ち、外も厳戒態勢。
『君は暗殺者か?』
王太子は疲れた顔をして聞いた。
『いいえ』
『父を殺そうとしたんだろ?』
『一発殴りたかっただけです』
『瀕死と言うではないか!』
『一発では済まなかったもので』
『……』
アシュリーはハッと思い出した。これだけは言っておきたいと思っていた。
『どうでもいいことですけど。もっと衛兵を鍛えた方がいいんじゃないですか?』
『……そうだな』
王太子はグッとシーツを握った。
一国の王太子の部屋に簡単に少女が入ってきた。今日は式典があり、普段より厳重に警備しているはずなのだが。
『忠告、感謝するよ』
『……』
王太子はダーシャに聞いていた通り、国王とは違うようだ。
『それで』
『……』
『ムーラって知っていますか?』
『ムーラ?』
じっくり考えていたが分からないようだ。
『すまない。私はあまり女性に興味がなくて』
『いえ、昔の踊り子ですから』
『踊り子……』
そう呟いて、王太子はハッとした。
『ムーラ。ああ、思い出した。父上のお気に入りだったな。確か、…可哀そうな…』
『私の母なんですよ』
『……それは、不謹慎なことを言ったな。…では、君は復讐をしに?』
『そうです』
『私もその対象か?』
『……そうです』
王太子は溜息を吐いた。
『なんてことだ。……まぁ、それは仕方がないことか。私は、何もしなかった。助けることもしなかったんだからな』
『受け入れるんですか?』
『それしか私に出来る事はない』
アシュリーは溜息を吐いた。
『あなたは次の国王になるんだと思っていたけど、そうじゃなさそうですね』
『何?』
『あなたのような人が国王になれば、国民は不幸になるでしょ?」
『君に何が分かるんだ』
先ほどまで控えめだった王太子が僅かに声を荒げた。
『静かにしてください』
『……』
『私は何も分かりませんよ。そんなこと本当はどうでもいいんで。でもね、まだ復讐は終わってないんですよ』
『どうするつもりだ』
アシュリーは二ッと笑った。
『三日以内に、あなたが国王になって下さい』
『な……』
『それで私の復讐は完了します』
『何を言っているんだ、そんなことできるわけがない』
『できなくてもやって下さい』
『無茶苦茶だ』
『できないなら、別の誰かを国王にします』
『君にそんなことが出来るわけないだろう!』
『出来ますよ』
『は?』
『国王もあなたも殺してしまえばいいんです』
アシュリーはニコッと笑った。
『そんなこと…』
『私なら出来ます』
『私たちが死んだら国は混乱する』
『関係ないです、私には。知ったこっちゃない』
『くっ』
王太子は拳を握りしめた。
『今、実質この国を動かしているのは、誰ですか?』
『それは』
王太子と、その忠臣。
国王は、国政に携わることなく享楽に溺れ、国王のご機嫌を取ることに必死な重鎮たちは、その場を取り繕い私腹を肥やすことに注力している。
傾きかけた国を必死に支えているのは、国王に蟻のように働かされている王太子と国の行く末を憂いている良識ある者たち。
『あなたが覚悟を決めなければ、私が行動を起こすだけ』
『……分かった』
王太子は頷くしかない。
突如訪れた反逆の時は、牙の折れた王太子を待ってはくれない。
ずっと準備はしてきた。国王や重鎮たちの罪を調べ上げ、信の置ける者たちを密かに集めた。だが、どうしても行動に移すことが出来なかった。
魔窟に住みついた国王と言う名の害虫は、王太子の矜持を悉く喰い破り、鋭く尖った牙を折り、立ち上がろうとする足を砕いてきた。
だが、命が懸かったこの時、己の弱さなど理由にもならない。
『時間が無い。今すぐ行動を起こそう』
王太子は立ち上がった。
『ならば、殿下にお願いがあります』
『なんだ』
アシュリーは、ダーシャに手を出さないことを約束させた。
『ああ、あれは君の友人か?』
『恩人です』
『分かった。私の庇護下に置こう』
『お願いします』
『ああ』
『では、私はこれで』
アシュリーは窓に向かった。
『三日後に来るのか』
王太子の何とも情けない質問だ。
『事が完了していれば来ませんよ』
『そうか』
王太子は少しホッとしている。
アシュリーは窓の淵に足をかけて、外に出ようとしている。
『待て』
王太子がアシュリーを押さえた。そして窓の外に顔を出すと、王宮を指さして大きな声で叫んだ。
『あっちに人影が見えた。暗殺者だ、捕まえろ!!』
突然の王太子の言葉に驚いた衛兵たちは、いっせいに王宮に向かい走り出した。
『ありがとうございます』
アシュリーはそう言うと、窓を乗り越えて衛兵たちが走って行った方向とは反対側に向かって走り出した。
『……』
王太子は大きく息を吐いた。
『誰か!!』
『ハッ!』
『今すぐ、グレコ・ガラハ、ロニャ・モーレ、ラジープ・アマハレ、ガネッシュ・トルニア、オム・メルハンを呼べ!!』
『殿下!我々はここに控えております』
扉の外から頼れる忠臣の声が聞こえた。
『入れ!』
王太子の言葉に五人の忠臣たちが入ってきて、片膝を突いた。
『時が来た』
城の混乱を抑えるために呼ばれたと思っている忠臣たちは、王太子の言葉に理解が遅れた。
『国王を排し、私が王位に就く』
『『『『『……おお』』』』』
忠臣たちはやっとその時が来たかと顔を輝かせた。
『三日のうちに片を付ける』
そこからの王太子の行動は疾風迅雷。
混乱する人々を兵を以て制圧した。
皆、最初は暗殺者を捕まえるために、部屋に閉じ込められたのかと思ったが、そうではないと気が付いた時には遅かった。
国王の暗殺未遂事件は、王太子による謀反だと確信したが、それを叫んだとしても今更何も変わらない。
何も抵抗できないまま拘束されていく王族たち。
憎々しげに王太子を睨みつける嫌悪の目。
魔法封じの鎖で拘束された王妃が『よくも、実の親であるわたくしに、このようなことが出来たな!』と鬼の形相で王太子を罵った。『地獄に落ちるぞ!!』と唾を飛ばしながら叫ぶ王妃に対して『元よりそのつもりです。母上も一緒に参りましょう』と王太子は笑った。
国王が意識を戻したのは翌日のこと。その時には既に罪状を元に刑が確定していた。
国王を、己の欲望のままに国を我が物とし、多くの罪なき命を奪い、国を腐敗に導いた悪しき王として、顔の傷が癒えた後、斬首。
王妃と側室たちも連座して牢に幽閉、私財没収。
二十名の王族を、己の役割を全うせず私腹を肥やすことだけに専念し、国を腐敗に導いたとして、斬首もしくは鞭打ちの後、牢に幽閉。
その家族も一様に連座して牢に幽閉、私財没収。
ダーシャのパトロンは鞭打ちの後、幽閉された。
ラジャ王国に於いて類を見ない大粛清となったのは、言うまでもない。
また王太子が国王に即位した後、公の場で国民に謝罪した。
国王が国民に頭を下げるなど言語道断。
しかし、不甲斐無い自分は前国王を諫めることが出来ず、国を腐敗させたのは己が見て見ぬふりをしたからだ。国王だろうが間違えたのだから謝らねばならない。一生をかけて死に物狂いで国に尽くす、と宣言し深々と頭を下げた。
国民から信頼を得ることは簡単ではない。
国の重鎮を粛清したことにより、国は極めて不安定だ。
それでも新国王は、茨の道を突き進む以外に道はないのだ。
アシュリーがサミュエルと共に無事戻ってきた時、ダーシャは力が抜けて立ち上がることが出来なかった。
アシュリーが疑われればダーシャの元に兵が押し寄せるは必至と、女たちとライを避難させダーシャは一人屋敷に残った。
捕まって殺される覚悟は出来ていた。
でも、アシュリーとサミュエルが無事に帰ってきたと分かると、一気に身体の力が抜け震えが止まらなくなった。
「よ、良かった、二人共…」
ダーシャは駆け寄って来たアシュリーを抱きしめた。
「心配かけてごめん」
「うん、うん」
ダーシャは言葉もなく頷いている。
「サミュちゃんも、無事で」
「いや」
サミュエルは困った顔をして頭を掻いた。
「私は全く出番無く、宮殿の外をウロウロしていただけだ」
そう言って、がっくりと肩を落とし溜息を吐いた。
アシュリーが呼べばすぐに助けに行けるようにと、衛兵の目を搔い潜って西の離宮の陰に潜んでいたが、宮殿内が随分と騒がしくなってきたなぁと思ったら、アシュリーが立っていた。「サミュエル様、帰りましょう」と言われ、結局何もすること無く帰って来たのだ。
「私は何だったんだ」
サミュエルはそれからしばらく落ち込んでいた。
アシュリーたちは、前国王の刑が執行される前にラジャ王国を後にした。
アシュリーにとって一番重要なのは、一発殴ることだったし、新国王が誕生して約束は果たされたのだから、前国王のその後のことなんてどうでもよかった。
あとは新国王が正しく国を治めてくれればいいし、干渉する気もさらさらない。
ダーシャは大泣きしていたが、また来ると約束をして別れた。
牛車に乗る時のライの不機嫌な顔は、何度も見ても笑ってしまう。
頬が普段より五割増しで膨らんでいるのを、つんつんするのが楽しい。
「やーじゅじゅ、めっ」
「ライのほっぺ気持ちイイんだもん」
「ジュジュ、ライに嫌われるぞ」
「嫌わないよねー」
「ねー」
そう言って、キャッキャしている。
今から向かうのはグレムル王国のユーゲル公爵邸。
いきなり失踪してしまったし、サミュエルがアシュリーについて報告をしてしまったので、やはり一度帰った方がいいだろうということになった。
ユーゲル家には先触れで帰ることを伝えた。もちろん騎士団にも。
それでも別段急ぐ気もなく、観光気分で寄り道をして港に着いたのは王都を出て五日後だし、グレムル王国に着いた後はライも居たので馬車でのんびり帰った。
正直に言えば、アシュリーが行きたくなかったから、ぐずぐずしていただけなのだが。
「ジュジュ諦めるんだ」
「あー、嫌だ、嫌だ。何言われるんだろう?やっぱり行きたくないです、サミュ様ぁ」
「甘えるな」
とにかく帰らないことにはすっきりしないと思ってここまで来たが、いざ邸が近づいてくると逃げ出したくなる。
何と言っても勝手に失踪しているのだから、どんな顔をすればいいのか。
怒られるかもしれない。それに、心配を掛けて申し訳ないやら、恥ずかしいやら。今更顔を出すなんて。そう思うと、騎士団の皆に会うのが気が重い。
そう、騎士団の皆に怒られるのかと思うと気が重いのだ。頭に浮かぶのは団員の顔ばかり。それだけだ。
「そればかりはお前が悪いんだぞ」
「はい」
「ちゃんと謝りなさい」
「はい」
「じゅじゅ、がんばって」
「ライー」
ギューッとライを抱きしめた。
読んで下さりありがとうございます。




