母の残影は今もなお
アシュリーとライは、ダーシャの屋敷に泊まらせてもらうことになった。
屋敷に来たその日、遅くなったから泊まっていけと言われ、そのままずるずると四日。
ニコラスに、しばらくラジャに滞在すると手紙を送った。まだ、ニコラスからは返事が来ていないが、多分大丈夫だろう。
ダーシャには、自分の名前がアシュリーであることも伝えた。でも、「ジュジュの方が可愛いわ」と言って名前を知った今でもジュジュと呼ぶ。
アシュリーが二度と母と会えないとはっきり理解した時、初めて声が枯れるまで泣いた。
最初、母は既に亡くなっていると聞いても、誰か他の人の話のように何となく聞いていた。
何度も聞いているうちに漸く耳の奥に届き始めて、心が理解を始めた。
母は死んだ。もう二度と会えない。
聞き慣れない呪文のような言葉が、意味を伴ってアシュリーの耳の奥に入ってきた時、漸くそれを受け入れることが出来た。
幼い時に公爵家に置いていかれてから、母に会いたくて何度も泣いた。出て行けと言われて、一人で泣いた。身の程知らずと言われて、悔しくて大声で叫んだ。
でも、アシュリーの幼く弱い心は、いつの間にか硬い壁に覆われて。心の壁は幼いアシュリーの味方だった。
母に会えなくても我慢をした。出ていけと言われても、無視をした。身の程知らずと言われても、気にしなかった。
幼い自分を守るために、いつの間にか心の壁を厚くして、自分を傷付けようとする悪意を排除して。そうしたら、だんだん悲しい気持ちに鈍くなって、寂しさを感じなくなって、泣くことが無くなった。
騎士団に入る頃には母を思い出すことも無くなった。仲間が居れば寂しくもない。明るく振舞えば皆が笑ってくれる。
いつの間にか、アホなアシュリーが普通になり、時に無感情な自分が闊歩していた。
でも、本当は泣き叫びたかった。一度だって口にしたことがない、認めたくない言葉を母にぶつけたかった。
――なんで、私を捨てたの?――
「お母さん、お母さん……」
アシュリーが泣くとライも一緒に泣いた。ライを抱きしめて二人で泣くと、ダーシャまで涙ぐむ。
もう、収拾がつかないほど泣き声の大合唱だ。
屋敷に住んでいる女たちが入れ替わり立ち代わり様子を見に来て、アシュリーたちを抱きしめてくれた。
そんなことされたらもっと泣いてしまう。
ライが泣きつかれて寝てしまい、漸くアシュリーが泣き止んだのは夕方になってから。
「……いい人ばっかりだ」
お色気ムンムンの女たちは情に厚かった。
「そうよ、こんな仕事していても、心まで腐ってないからね」
鼻水をすすりながら、甘いマンゴージュースを飲んだ。少しは枯れた喉も潤う。
「母は殺されたんですね」
「間違いないわ」
ムーラの遺体がゴミ置き場で発見された時、顔が腫れ上がり誰だか判別ができない程だったと言われている。
仲間の踊り子が、僅かな手掛かりからムーラだと判断した。
「誰が、母を」
「ジュジュ、これは深入りしてはいけないことよ」
「何故、母は私を公爵家に連れて行ったのでしょうか?」
それが分かれば。
「ジュジュ!聞きなさい!」
アシュリーはダーシャをじっと見つめた。
「迷惑はかけません」
「ジュジュ!」
「私は知りたいんです」
アシュリーの目は冷静で、感情に左右されているわけでもない。
ダーシャはため息を吐いた。
「ムーラが死んだと知った時、私ね、ちょっとパパに聞いたのよ」
「パパ?」
「パパ」
つまりパトロン。
「ムーラは殺されたのかって」
「……」
「そうしたら、すんごい怖い顔をして、余計なことを言うな!ってめちゃくちゃ怒られたわ。殺されるんじゃないかって思った程よ」
「何で?」
「分からないわ。何か知られたくないことがあるのかしら?まぁ、小心者なところがあるから」
アシュリーは眉間を寄せて、どこを見るでもなく目を動かす。
「パパは貴族?」
「王族よ。この国は王族が沢山いるの。王族の血を引いていれば、どんなに貧乏でも王族よ」
「パパは国王に近い存在とか?」
「まぁ、そうね」
それなら、パパが恐れていたのは国王か?ムーラは国王と無関係ではないのだから。
「……もう一度、探りを入れてみるわ。今なら、教えてくれるかもしれない」
「危険なことはしないで。自分で調べるから」
きっと深入りするのはとても危険なことだ。
「ふふふ、あんたに何が出来るっていうの。こういうのは、私みたいなイイ女が適任なのよ」
ダーシャはニコリと笑った。
「私も知りたいのよ。ムーラは私にとって娘みたいなもんよ。私だって知るべきだわ」
「ありがとう。でも、無理はしないで」
ダーシャはクスリと笑った。
「大丈夫よ。パパは私にメロメロだから」
ダーシャの目に落ちた黒い影をアシュリーは見逃さなかった。
ニコラスから手紙の返事が来た。
体に気を付けて。また来るから、その時に会おう。そんな内容の手紙。
いつまでも待っている、なんて意味深長なメッセージは、マスコットと護衛役のことだろう。
アシュリーはクスリと笑って手紙を封筒に戻した。
そして「よし」と手を叩いてから、前から思っていたことをダーシャに言ってみた。
「ダーシャ、私、踊りを習いたい」
「あら、やってみる?」
「うん。私ね、お母さんみたいな踊り子になりたかったの」
ダーシャはニヤッとした。
「それなら私が、あなたを鍛えてあげるわ」
「本当?」
「ただし、私は厳しいわよ」
「勿論、望むところよ」
アシュリーは、頬を染めてニッコリとした。
「わー、じゅじゅおどりのおねしゃんになるの?」
「そうよ。そうなったら、ライは嬉しい?」
「うん、ライもいっしょにおどる」
「そりゃいいね。新しい客層が増えるかもしれないわ」
ダーシャが面白そうに笑った。
「そうと決まれば、さっそくやってみようか」
「はい!」
踊りの練習をするための大きな部屋。
何人かが朝の練習を終えて出ていき、新たに練習をする為に女たちが入ってくる。
練習場はこの屋敷で一番活気があって、女たちの笑い声が明るく響く。
部屋の隅の床に座り込んで、踊りを踊るアシュリーとライを見つめるダーシャ。
ダーシャが溜息を吐いた。
『ママぁ、どうしたのぉ?』
一番若い踊り子のマーレがストンとダーシャの横に座った。
『本当、やんなっちゃうわよね』
アシュリーが踊っているのは、踊り子が一番初めに習う練習用の踊り。
アシュリーは一日にしてその踊りを完璧に踊れるようになり、今はライがキャッキャしながら真似をしている最中。
『あの子の手の動き、腰を残して誘うように振る絶妙な間。……懐かしいわね』
あれはムーラの踊りだ。
『……なんかさぁ、ジュジュって、不思議よねぇ』
マーレは掌に顎を乗せて、流れる汗をそのままにアシュリーを見つめる。
『目線の流し方とか、顔の角度。どれも艶っぽくて、動きのキレもいいし、素人とは思えないもん』
マーレは勘のいい子で、教えればすぐに理解し、覚えるのも早い。そのことをマーレ自身も理解していて、それ故に少々傲慢な所がある。そのマーレがアシュリーを認めている。
『あの子には才能があるのよ』
『ふーん。それなら、私にだってあるわ』
『ええ、あんたにも才能がある』
ダーシャはマーレの頭を撫でた。
『負けらんないわ』
そう言うとマーレは練習に戻った。
アシュリーは幼い頃に目に焼き付けたムーラの踊りが、そのまま彼女の踊りになったかのように、ムーラそっくりの動きをする。
癖も、見せ方もムーラそのもの。
幼い頃にムーラの踊りをずっと見続けていたからか、もしかしたら、真似をして踊っていたのかもしれない。
とにかく、アシュリーは既に踊りの見せ方を知っていて、ダーシャには溜息しか出ないのだ。
『狡いじゃない…』
ダーシャはフッと笑った。
「ジュジュ、新しい踊りを覚えるよ!」
「はい!」
「はぁい」
ライも元気に手を上げた。
それからしばらくは踊りの練習とラジャ語の勉強、そして金を稼ぐために魔獣を狩り、皮や角や肉を売るという生活を続けた。
そんな生活に馴染んでくると、ユーゲル公爵家のことも、騎士団のこともあまり思い出さなくなってきた。
ただ、サミュエルのことだけは毎日思い出す。
「サミュ様は元気かな?」
「しゃみゅしゃまにあう?」
「うーん、会えないな」
「どおして?」
「サミュ様はずーっと遠くにいるからね」
「じゅじゅ、しゃみし?」
ライは心配そうにアシュリーを見つめる。
「ふふふ、寂しくないよ。だってライが居るもん」
そう言ってライをギュッと抱きしめた。
「ライも!ライもしゃみしくないよー」
ライもアシュリーをギュッとする。
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