母の姿
「で、ジュジュさん、俺ここまで連れて来たけど」
「まだ、ムーラの情報は貰っていない」
「えー?なんで」
「お金は、情報を持っている人に会ったら、だよ。まだ、情報を聞いていないからムーラの話かは分からないでしょ」
「狡くなーい?」
「タキ、あんたが間抜けなのよ」
ダーシャがアシュリーを援護した。
「ま、いいわ。いくらなの?」
ダーシャが呆れた顔をして聞いた。
「十万ギラだよ」
「冗談でしょ?ったく」
タキの言った金額にダーシャは溜息を吐き、机の引き出しから札の束を出してタキに渡した。
「ほら十万ギラ。もう出てって」
「え?いいの?」
「いいから、さっさと出ておいきってば」
ダーシャが手を振ると、タキはニコニコしながらさっさと部屋を出て行った。
「ふーっ」
「なんであなたが払うんですか?」
アシュリーがそう言うとダーシャがニヤッと笑った。
「細かく借りを作ってんのよ」
「ふーん」
こんなので借りと言われるのもなんとなく癪である。
「あんた、よく分ってないみたいだけど。ここに連れて来ただけで十万ギラなんて、吹っ掛けられてんのよ」
「そうなんですか?」
「……お金の勉強をした方がいいわよ、いや、一般的な感覚の勉強かしらね」
「……」
むむ。
「今更だけど私はダーシャ。この屋敷の主人よ」
「ジュジュです、この子はライ。私が世話をしている子です」
「ライでしゅ……」
ライはダーシャをチラッと見ただけで顔を隠した。
ダーシャはライを見てフンと笑ってアシュリーに向いた。
「で、ムーラよね」
「はい」
ダーシャはアシュリーの顔をじっと見つめた。
「私が知っているムーラは三人」
「……」
「一人は、今この屋敷に居る十八歳の女の子」
アシュリーは首を振った。
「もう一人は、既に引退して田舎に帰った踊り子。多分年齢は五十歳くらいよ」
アシュリーの顔が輝いた。
「残りの一人は既に亡くなっているわ。彼女が生きていたら四十歳くらいね」
アシュリーの顔が暗くなった。
「どうする?」
それは田舎に引っ込んだ女の情報が欲しいかと聞いているのだろうか?
「その人は今、何をしているんですか?」
果たして自分が会いに行っていいのか。
「旦那と子供と一緒に帰ったのよ。あまり売れない踊り子だったから、実家に帰ってやり直すって言っていたわ」
そう聞いて、アシュリーは言葉が詰まった。
「……その人は私の探している人ではありません」
「そうなの?」
「ムーラは私の母親です」
「え…?」
「私はこの国に、六歳まで母と二人で住んでいました」
ダーシャは心臓がドキンとして、一気に昔の記憶が頭の中を走り出した。押し寄せる記憶の中で見つけたムーラは……。
「母はラジャ王国一の踊り子なんです。母が踊っている姿は美しくて、輝いていて、私の憧れでした」
あの子が仕事をしたいと言ってやって来た時、連れていた子供は確か、……銀の髪の……。
「母は、舞台で輝くために私を置いて行ったんです。だから、踊ることを止めるはずがないんです!」
確か、あの子供の名前は……ジュジュ。
『あんたなのね』
ダーシャの言葉に顔を上げたアシュリーは、自分を見つめるダーシャの目に薄っすらと浮かぶ涙にギョッとした。
「大きくなったのね」
「私を知っているんですか?」
「ええ。私はあんたの母親のことも知っているわ」
「本当?」
「あんた会ったのは随分小さい頃よ」
「私に?」
「今頃思い出したよ。あんたはまだ小さくてさ、ずっとムーラのことを見てたね」
久しぶりにダーシャの元にやってきたムーラは、痩せ細り肌も荒れ、昔の美しさは失われていたが、その瞳の輝きは失われていなかった。
王宮踊り子をクビになったと聞いていたから、何をしているのかと気になっていたが、突然子供を連れてやってきて、仕事がしたいと言った。
「ムーラは間違いなく、王国一の踊り子だったよ。だから、復帰したいと言ってきた時には私も喜んださ。なんせ、ムーラを育て上げたのは私だからね」
「……」
道端に転がっていたムーラを拾い、踊り子に育てた。舞台に上がれば、瞬く間に人気になり、夜の指名も順番待ち。
王宮の踊り子として送り込めば、あっという間に国王のお気に入りとなった。
「……」
アシュリーは、ダーシャの話を聞いて耳を塞ぎたい気持ちになった。母の人生だ。否定はしない。ただ、胸が苦しくて喉の奥が痛いだけ。
「……辛いかい?」
「……いえ」
輝いている母しか知らなかったアシュリーにとって、母が娼婦であったという事実は受け入れ難い。
「生きていく手段だよ。それしかない人間も居るんだ」
「はい」
しがみ付いたまま、いつの間にか眠ってしまったライをギュッと抱きしめて、その優しい匂いを嗅いだ。
今、アシュリーの心を落ち着けてくれるのは、唯一この子を抱きしめ温もりを感じること。
「今日はもう止めておこうか」
「いいえ、聞かせてください。お金も払います」
アシュリーは慌ててポケットからありったけのお金を出そうとした。
「要らないよ!ムーラの子供から金なんか取れない」
ダーシャはプイッと横を向いた。
「はい…」
「ムーラは賢い子だったよ。王宮に上がっても、王のお気に入りになっても、それを鼻にかけて威張るようなことはなかった。知っていたんだよ。花の命は短いってね。どんどん入れ替わっていく女たちを見てれば、いつ自分が用無しになるか分からないからね」
王宮から追い出された踊り子たちの中には、ダーシャの元に帰ってきた女もいた。
病気を得た女もいれば、まだまだ盛りの女もいる。
酷いめにあって自我を壊した女も、国王の機嫌を損ね殺された女も。
そして、ムーラは。
「あんたがグレムル王国のユーゲル公爵の娘ってんなら、出会いは想像できるね」
実のところ、アシュリーは何故ガトレアの娘なのかは考えたことがなかった。自分の父親と思ったことがなかったからかもしれない。興味がなかったのだ。
尤も父親らしいことをしてもらったことが無いし、壁に隠れて覗き見をしている男を、父親と思う方が可笑しな話で。だから、どうして母とガトレアが出会ったのかなんて疑問は、頭の片隅にも浮かばなかった。
「あんたが十六歳ってんなら十七、八年前かな?国交を再開すべくグレムル王国から使節団が送られてきたんだ。その時の大使があんたの父親」
「……」
「多分その時だね。でも、国王が自分のお気に入りを他人に与えるなんてない。つまり、捨てられたんだ」
母は国王に捨てられて公爵閣下と出会った?よく分らないな。
アシュリーには、まだ理解が出来ない。
「……まぁ、父親の閨の相手をさせられたんだよ。国王に」
「そう、か……」
自分が聞きたいと言っておきながら、ショックを受けるなんて馬鹿げている。
でも、何の愛も無い男との間に生まれた自分を、大切に育ててくれた母の愛情まで疑いたくはない。
「ムーラがあんたのことを愛していたことは間違いないよ」
ダーシャがアシュリーの心を見透かしたように、一番欲しい言葉を言った。
「愛していなかったら、産まないし産んでもすぐに捨てているよ」
ダーシャの遠慮のない言葉が傷を少し軽くしてくれる。気を遣いながら言われたら、アシュリーは惨めで可哀そうな子になっていた。
「うん、ありがとう」
ライ、ごめんね。濡れちゃうね。
抱きしめたライの服に、アシュリーの涙が次々と吸い込まれていく。
お母さんは私のことを本当に愛していてくれたのだろうか?愛していたというなら、なんで私を置いて行ったの?
もう、母に聞くことは出来ない。もう声も覚えていない美しい母。会いたいと言って泣いていたあの頃から、自分はそんなに変わっていないようだ。会えないと知れば益々会いたい。
でも、よかった。
公爵閣下を自分の父親だなんて思っていなくてよかった。自分を愛して欲しいなんて、願わなくて本当によかった。最初から自分は、僅かにも愛されてなどいなかったのだから。
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