00.狼になった元管理者と新たな管理者
かつてその世界は乙女ゲームに酷似していた世界だった。
けれど、その世界に住む人々は現実世界と思いながら生活していた。
一部の人間を除いては。
一部の人間たちには不思議な現象があった。
本来であれば覚えていないはずの前世の自分のことを覚えていたのだ。
前世の記憶を持ちながらもその世界で生きることを許された人々は現実として受け入れながら生きていこうと思い始めていた。
ただ1人を除いては。
その存在は『ヒロイン』という役目を担っていると思い込んでいた。
乙女ゲームに酷似していた世界で愛され、幸せになるのだと疑っていなかった。
けれど現実はその存在の思うようにはならなかった。
その存在は嘆き悲しみ、いつしか憎しみの感情を抱くようになっていた。
「私が愛されない世界なんていらない!!!」
『ヒロイン』の役目を担うはずだと思った存在は強くそう言った。
そして。その世界は脆くも崩れそうになった。
『転生者』と呼ばれる存在。本来であれば覚えていないはずの自分の前世を覚えている人々を多く呼び寄せていたその世界に『バグ』が発生してしまったのだ。
『バグ』の存在を感知し、自分が管理していた世界がもうもたないと察した神という名の管理者は……。
己が管理していた世界に住む全ての人間の記憶をリセットし、世界そのものもリセットするという手段に出た。
リセットをすることでバグも消えるだろうと考えた上での手段だった。
そうして世界はリセットされた。神という名の管理者の力全てを使って。
管理者は自分はもう消えるのだろうと思っていた。
ほとんどの力を使い果たし、自分の命すら危うい状態だったからだ。
「世界は無事にリセットされたようだな」
薄れていく意識の中で管理者は声を聞いた。それと同時に自分の体が楽になるのを感じ、意識もはっきりしていた。
『何をした?』
自分では普通に話していたつもりだったが、管理者はすぐに違和感を感じた。
目線が低い。体に違和感がある。自分はどうなっている? 確認したくとも確認できない状態だった。
そんな管理者の前に誰かが現れた。
『誰だ?』
「誰とはヒドイ言いぐさだな。同業者なのに」
同業者? そんなことを考えながら目線を声がしたほうへと移動させると。
管理者自身がそこにいた。銀髪で琥珀色の瞳。すっと通った鼻筋に薄い唇。何度も見ていた自分の顔を管理者が忘れるはずがなかった。
「同業者と言ってもお前はもう管理者じゃないけど。管理者じゃないお前はもうこの姿ではいられない」
『管理者じゃなくなるとその姿じゃいられない?』
「そう。この姿になれるのは管理者。神と呼ばれる者だけ。ようやく俺の番。本当ならお前には今すぐ消えて欲しかったんだけどね」
『オレに何をさせる気だ?』
「最初に言っておくけど、お前に拒否権はないから。『ヒロイン』と呼ばれる者の回収ができていないんだと。そいつを見つけて捕まえて欲しいってさ」
話しながら現管理者が元管理者の頭の部分に手を添えながら言った。
その手からイヤな気配を感じた元管理者は……。
『やめろ!!!』
すぐさま抵抗をした。その時にバチンッという音がしたのと同時に元管理者の姿は消えていた。
「チッ。あの管理者、ホントにうざい。俺より強い力を持ちやがって」
誰もいなくなった空間の中で男はぽつりと言った。
体が重い。
体が痛い。
ここはどこだ? 自分は今どこにいる?
自分の今の現状がわからないままで力を使ってしまった元管理者はぼんやりとする意識の中でそんなことを考えていると。
ポタッポタッと水滴が自分に体に落ちてきていた。
落ちてきた水滴が落ちた箇所がほんのり温かみを感じたのと同時に体の痛みも重みも消え去って、力が湧いてくるような感覚になっていた。
「こいぬさん、しっかりして」
子犬とは自分のことか? 管理者はぼんやりとそう思って……。
『はッ!? 子犬だと!?』
そんなバカな! と目を開いて自分の姿を見ようと思った管理者は視線を巡らせた。
すぐに目に入ったのはきょとんとした表情をした少女だった。
黒髪にエメラルドのような色の瞳。目は大きくて可愛らしいその少女を見た時に管理者はどこか懐かしい感じがしたのだが、それどころではなかった。
『鏡。鏡はないのか!?』
少女が言ったことが本当ならば自分は動物か何かになっているはずだ。管理者はそれを今すぐ確認したかった。
「あ、あの。こいぬさん」
少女が自分を子犬と呼んだ。呼ばれたほうはそうだとは思いたくないようで少女を睨み付けるように見た。
「ひっ。……うっ、うわぁぁぁん!!」
少女は子犬と呼んだその生き物に睨み付けるように見られたことに驚き、怖くなったのか泣き出してしまった。
『…………』
めんどくせぇな。とそんなことを思いつつも少女を慰めるために近づき、ペロリと少女の涙を舐めた。
その次の瞬間だった。
身体がものすごく癒されたような気がした。力も湧いてきていた。
これは一体どういうことだ? と管理者は思いそして考えた。
コイツと共にいれば何かあっても大丈夫なのではないだろうか? そんな風に考えていた。
「こいぬ、さんじゃない、ならあなたはだれ? どうして話すことができるの?」
涙を舐められたほうの少女はびくびくしながらも疑問に思ったことを言葉にした。
『…………』
管理者自身も今のこの状況を説明しづらいと思い黙った。
しばし沈黙の時間が訪れたが。先に言葉を発したのは質問された管理者のほうだった。
『オレもどうしてこんな事態になったのかわからないんだ』
「こいぬさん」
『そう呼ぶということはお前にはオレが子犬のように見えているのか?』
管理者の言葉に少女はこくりと頷いた。
『そうか。けど、子犬さんはやめろ』
「な、ならなんてよべばいいの?」
少女の質問に管理者は自分にも名前があったような気がしたのだが思い出すことができなかった。
『お前がオレの名前を考えてくれるか?』
新たに名付けてもらったほうがいいと管理者は考え提案した。
「……いいの?」
『ああ』
うーん。少女は考えながらもじっと管理者のほうを見ていた。
「アリオス」
少女にそう呼ばれた瞬間に管理者はドクンとしたような音が自分から聞こえてきた気がした。
『今、なんて?』
確認をするように少女に聞いてみると……。
「はじめまして、アリオス。わたしは莉桜といいます」
『…………!!』
ふわりと花のように笑い自己紹介を兼ねて呼ばれた名前を聞いた途端にアリオスと呼ばれた獣が苦しみ出した。
『う、うわぁぁぁッ!!』
「アリオス!?」
莉桜はアリオスに近づこうとするが、それより先にアリオスは姿を消してしまった。
「アリオス……。ど、どうしよう。べ、べつの名前のほうがよかったのかなぁ?」
あんなに苦しそうになるなんて思わなかったよ。莉桜はそう思いながらも“アリオス”以外の名前では呼びたくないとも思っていた。
これが再会であることに莉桜自身は当然気づいていなかった。
けれどその一方では。
『まさかこんな形で再会することになるなんてな。莉桜』
莉桜に名前を与えてもらったアリオスは全てを思い出していたのだった。