覚 醒 『 Tomorrow 』
マリアが70体目のモンスターを倒した。
キリがいいので、休憩を取ることにした。
本日3度目の休憩。
坑内に長く居ると息が詰まった。
なのでダンジョンから一度出て、入り口の木陰で休憩していたのだ。
既に夕刻。初夏に差し掛かり、日は長くなっているが夕飯の時間。
俺はもう少しまで粘ってみようと思っている。
1回目の休憩と2回目の休憩でしつこく何度もマリアの作ってきたという軽食を食べさせられた。
口の中の水分が全部取られるだろうとツッコみを入れたくなるビスケット。
漢方のようなツンとした匂いが立ち込める、シナモンを凝縮した八角のような独特な匂いと味のする不思議なお茶。
牛、豚、鳥、魚とは違う食べた事のない謎の食感の肉。
口に入れた後、俺は『妙だな』と思ったが、口の中のモノを吐き出す訳にもいかなかった。
なので、全て胃の中に入れた訳だが。
俺は切り株の上に腰を下ろして初夏独特の心地よい風を全身で感じて黄昏ていた。
「なぜ、効きませんの!? 量が足りないとでも言うの? 既に通常の100倍。もっと入れなくては。あ……全部入れてしまいました……」
マリアがぶつぶつ独り言を呻きながらお茶の準備を開始していた。
「ん。どうしたんです? 100倍って何がです?」
マリアは振り返ると花のような笑顔を向けてきた。
「いえ、なんでもありません。天内さん。どうぞ喉を潤して下さい」
マリアはウーロン茶に似た色の飲み物をタンブラーから高そうなティーカップに注いだ。
「いえ、俺。それ少し苦手っぽいです。十分頂きましたし」
「天内さん!」
「ど、どうしたんですか」
マリアが突然声を荒げて少しびっくりしてしまった。
「そんな悲しい事を言わないで下さい。私は天内さんの為に用意してきたのに……」
声をの調子を徐々に落として悲しそうな顔をして上目遣いで見つめてきた。
「う」
可憐だわ。俺はマリアの事ちょっと苦手だけど、やっぱ美少女だわ。
「いいのです。健康になって頂こうと思い丹精込めて用意してきましたが……いいの……です」
マリアは切ない顔をしながら顔に掛かる髪の毛を振り払う。
「……飲みましょう」
「いいのですか?」
「気持ちを無下にする気はありません」
仕方ないか。マリアには後ろめたい気持ちもあるし……
パーティーメンバーとしてこういう細かい部分を丹念にやっていく必要があるのだ。
「まぁ。ありがとうございます」
スッと差し出されたティーカップを受け取ると、俺はウーロン茶みたいな色の飲み物を一気飲みした。
しばらくすると強烈な睡魔が襲い目を回し、自我を失った。
フロイト先生曰く、夢は抑圧された深層心理の欲求が現れるらしい。
白昼夢。
――― 俺は夢を見ていた ―――
「まんま」
追い求めるのはママである。
母性。
その一言の中には宇宙が広がる。想像力の垣根を超えた広大なる真理が開けている。
あらゆるモノを優しく包み込む母性。
その叡智に辿り着いた者は万物を見通せる目を持つ者だと噂される。
そんな論説ねぇーけど。
俺はママを求めていた。
母性を求め辿り着いたのだ。
甘く、柔らかく、丸く、ポヨポヨであるモノを。
俺は目の前の女性に強烈なまでに母性を覚えたのであった。
マリアに甘えたくて甘えたくて仕方がない人になってしまった。
食虫植物に吸い込まれる羽虫のように俺はマリアに頬擦りをしたくなった。
貧乳……それは蔑称。
言い換えよう。
少しだけ控えめなお胸。
慎み深いお胸だ。
慎み深いお胸に吸い込まれるかのように……顔を埋め。
太もも派党首たる俺が胸に興味を持つ事などないと思っていたが……俺は幸福を感じた。
支離滅裂な思考に陥り。
バブみを感じ取った。
頭の中が混乱していた。
/小町視点/
師匠とマリア先輩の動向が気になり尾行してきたのだ。
センセーショナルな光景が目の前で繰り広げられていた。
「ばぶぅ~」
赤ちゃんプレイに興じる男。
遂に壊れてしまった男を見て頭がおかしくなりそうだった。
「あらあら。大きい赤ちゃんだこと」
マリア先輩は青年の頭を撫でていた。
私は脳が破壊されそうだった。
今悪夢を視ているかのような気分。
一体何が起きてしまったのか。
「脳が破壊されてる……」
マリア先輩に膝枕された男の姿をよく知っている。そいつは口におしゃぶりを付けていた。
「ばぶばぶ」
「あらあら。いい子でちゅね~」
「ばぶ」
仰向けになった天内先輩は、マリア先輩に頭を撫でられると子供のように喜んでいた。
マリア先輩は赤ちゃんになった天内先輩を抱きしめると、鼻血を垂らしながら頭を撫で続けてた。
「はぁ。はぁ……もう。我慢できませんわ。ようやく効果が出たんですもの。いいですわよね。少しだけ。ほんの少しだけ。これは秘め事。一生墓場まで持っていきますわ。罪の罰は受けます。ですので……」
鼻息を荒くし、意を決したマリアが唇を近づけると。
「ちょっと待った!!」
私は思わず間に入った。
「!? ほ、ほ、むら……さん」
「な、なにをやってるんですか!? なにを」
「そ、それは」
挙動不審になり、鼻血を拭うマリアは抱きしめる大きすぎる赤ん坊から一向に手を離さなかった。
「先輩! どうしたんですか!? 脳みそ破壊されてるじゃないですか」
私は無理矢理、天内先輩を引き剝がすと。
そこには。
「ばぶぅ~」
脳を破壊された男が居た。
「……」
目を疑った。
卒倒しそうになった。
「先輩のドブ川のような暗く濁る死んだ目が……澄んだ清流のように……綺麗になってる」
私はマリア先輩を睨みつけ。
「何をしたんですか!? マリア先輩! 毒を盛ったんですか!?」
「し、知りません。ほんの少し元気になるお菓子を……」
冷や汗を流しながらマリア先輩……いや、マリアは手荷物を後ろに隠した。
「先輩! 眼を覚まして下さい」
「ばぶぅ~。まんま」
そんな赤ちゃんプレイに興じる男は私に抱きついてきた。
あれ……不思議と嫌じゃない。
少し汗臭いけど、なんだかとても安心した。
角ばった手に分厚い胸板。赤ちゃんになっているが男らしさを感じた。
「あれ……可愛い?」
なんだか、不思議な心地よさに包まれた。
私は先輩を抱き寄せ。
「大丈夫ですよ。先輩。もう怖い人はいませんからね。一緒に帰りましょう。先輩はどこに住んでるのか知らないので、今日は私の部屋に来て下さい。正気に戻るまでお世話しますからね。よ~しよしよし」
私は大きい赤ちゃんを抱きしめ宣言した。
「ばぶばぶぅ~」
「な! 待ってください。何を卑猥な事を」
マリア先輩は天内先輩の肩を掴み抱き寄せようとする。
凄い力だ。
「貴方が言うか! 貴方が!」
私は抵抗して赤ん坊を取られないように天内先輩の頭を無理矢理引っ張った。
「やめて! お願いです。私の赤ちゃんを取らないで」
綱引きのように天内先輩の身体が軋みを上げる。
私はお構いなしに精一杯の力を込めて首根っこから手を離さなかった。
「私の赤ちゃんです。その手を離して下さいマリア先輩!」
「いや! 嫌よ! 私がお世話をするんです」
「お世話は私が謹んでお受けします! 先輩をこんな妖しい人に渡せません。私が引き取りますよ!」
そんな綱引きのような攻防をしばらく続けていると。
ボキッ!!! っと生物が発してはいけない鈍い音がした。
「ば……ぶ……ぅ」
私とマリア先輩に雑に扱われた天内先輩は泡を吹いて意識を失っていた。
ぐったりと青い顔をした先輩。
返事がない。
恐る恐る2人してその場にそっと天内先輩を横たえる。
「せ、先輩……大丈夫ですか?」
ただの屍。
「天内……さん。お気を確かに……」
2人して青ざめた顔を見合わせた。
沈黙。
「マリア先輩のせいで、先輩が死んじゃった」
「あ、天内さん。なんでこんな事に……」
茫然自失になり、お互い涙が込み上げてくる。
荒涼とした初夏の肌寒い風が吹くと。
泡を吹き、白目を剥いた先輩の眼が小刻みに痙攣し始める。
身体に電気ショックを与えたようにジタバタと動き出した。
壊れた人形のような光景。
数秒。
そんな恐ろしい状況に固唾を飲んで見守る事しかできなかった。
目の前の死体……ではなく、先輩がムクリと上半身を起き上げた。
「天内さん。良かった」
「生きてたんですね。先輩。信じてました」
お互い胸を撫で下ろす。
天内先輩はゆっくりと口を開くと。
「諸君……ワタシは目覚めたよ」
「天内さん。え? どうしたんですか?」
マリアは茫然と起き上がった天内先輩を見つめていた。
「先輩、雰囲気が変わったようなんですが」
雰囲気がおかしくなった。
爽やかな微笑みを浮かべるイケメンが居た。
暗く濁った瞳はそこにはなく、透き通る瞳がそこにはあった。
思いの外いつもの髪質すら変わっているように感じた。
いつも寝ぐせだらけの髪の毛がまとまり、カッコ良く整えられていた。
「ワタシは覚醒した」
先輩はいつもの人を小ばかにしたニヒルな口調ではなく、重低音の効いたダンディーな口調になっていた。
「目覚めさせてくれてありがとう。礼を言おう。思い出したのだ。ワタシにはやらねばならない事があったのだと。おや? 風が騒がしいな」
先輩はカッコつけて意味不明な事を呟くと虚空を眺めていた。
別人になっていた。
脳が破壊されて、人格が……
「天内さんが変な人に」
「先輩がおかしくなっちゃった……」
「時の流れ~。いつでも~。駆け抜けて~。行くから~。……諸君。ワタシは行かねばならない! さらばだ!」
先輩は精悍な顔をすると、聞いた事のない歌を口ずさみながら颯爽と目にも止まらぬ速さで私達の前を駆けて行った。
引用:『Tomorrow』 作曲者 杉本竜一 氏




