神の領域
/深淵の魔術師視点/
それは途方もないほどの過去の話。
かつて、私と共に歩んだ友。
その顔を思い出すには、時の流れがあまりにも長すぎた。
その姿は、朧げな蜃気楼のようだ。
私が自身の『未来視の力』に気付くよりも昔の話―――
友は私に語り掛けてきた。
「かつて、未来を見通す眼を持った怪物が居た」
「君の好きなおとぎ話かい?」
その問いは、答えを得ることなく空に消える。
智者たる友は、それを気に留めず、語りを続けた。
「その怪物は、未来のすべてを見通せた。過ちを避け、脅威を退け、万物を支配する、無敵の存在だった」
「道理だね。もしも、その力にふさわしい力があれば、そうなるだろう」
友は微笑む。
だが、その笑みはどこか憂いを帯びていた。
「それでも、怪物は死んだ。ある日、静かに、抗う事なく」
「どうしてだ? 寿命か?」
友は首を横に振った。
「違う。怪物は、自ら命を絶ったんだよ」
その言葉は、お互いの間に沈黙を重く落とす。
「なぜだ? 未来を見通せる存在が、なぜ自死を選ぶ? 矛盾していないか?」
友はその問いを明確に答えず、宙に向かって。
「未来を見通す事自体が、矛盾を孕んでいるのかもね。それは神の領域だから」
少し黙った後、友は続ける。
「それに、怪物の自死には、確固とした理由があるんだよ」
その声は、静寂の中で不気味に響く。
「……ほう。なぜか聞いても?」
「怪物は未来を見通したのさ。自分の終わりを。死の訪れを。その日、その時、その場所、全てが明瞭だった」
言葉が宙に漂う。
私は思わず息を呑んだ。
友はさらに語る。
「逃げることもできず、変えることも叶わず、ただ受け入れるしかない未来。それを知った瞬間、怪物は恐怖した」
「……ほう」
私は目を細めた。
「死を前にした恐怖は、やがて絶望に変わり、絶望は怪物の心を苛み続けた。やがて怪物は、未来のその一瞬を待つことすら耐えられなくなったんだ」
友はそこで言葉を切った。
だが私は、その続きが何であるかを理解していた。
「怪物は……絶望から逃れるため、自らの手で終わりを迎えた、か」
友は、静かに頷いた。
まるで、どこか遠い場所を見つめているかのように。
「未来を見通すというのは、生きる者にとって禁忌だよ。知るべきではない。逃れられない運命を知ることは、呪いに等しい。未来の重さに、誰も耐えられはしないのだから」
「何が言いたい?」
「僕が言いたいのは、ただ一つ。未来を見通す力は、人の身に余る……と思う。それは希望ではなく、呪いなんじゃないかな」
「呪いとは面白い事を言うじゃないか」
「かもね……でも、万物を知り、未来を見通す事は決して無敵なんかじゃない。その代償は『絶望』だから ―――― そう思わないかい?」
友の言葉は冷たく響きながらも、どこか懐かしい温もりを持っていた。
私は、彼の視線を避けるように目をそらした。そして、口を開いた。
「どうだかな。私はそうは思わないよ」




