追憶の亡霊
25日、未明―――
/香乃視点/
傑が下界に赴き、ついぞ帰って来る事はなかった。
モリドール氏と私の女2人で他愛のない会話をした。
なんと幸福な時間なのだろう。
そう噛みしめるひと時であった。
モリドール氏を寝床に運び終える。
アイツの帰るべき場所。
現代の家族である彼女……
モリドール氏の顔を覗き込む。
この場所と彼らを守り抜く事。
それが今の私に課せられた使命だ。
外に出て空を見上げた。
透き通る空気。
どこまでも広がる星々
月に手をかざすと―――
一瞬、手の平が透けた。
「やはり。私も時間がないか……」
在りし日の亡霊たる私に残された猶予は少ない。
「あの阿呆を手助けできる時間も残り少ない……」
目を瞑る―――
これが死に際の夢であるのならば、それは何という報酬であろうか。夢のような時間を最後に健康な身体で迎えられそうで安堵した。
「私の願いは叶っている」
私は、死に際にこの時代に来れた。
再びアイツに出会えた。
既に奇跡は起こっている。
「これは、きっと私の最後の旅路になるだろう」
間もなく私の旅が終わりを告げる。
思い返せば―――長い旅であった。
この時代から数えて1000年前。
私の生涯と青春を費やした記憶が蘇る。
辛く苦しい、しかして光輝いた冒険と戦の記憶。
いくつもの思い出が瞼の裏を駆け巡った。
「ユラ、マルファ、ルミナ、クロウリー、アレックス、アラゴン、ムジナ、フィリオ、イガリ」
共に冒険を駆け抜けた仲間の名を呼んだ。
動乱の時代。
私は未来の為に駆けたのだ。
いや、我ら皆、未来の為に戦場を駆けた。
遥か先の時代に思いを馳せ、夢を語り合い、希望を胸に、お互いを鼓舞し続けた。
「ユラの夢はお腹いっぱいになるまで食事を取る事だったか?」
食いしん坊だったユラらしい望みだ。
「アレックスは世界最強の剣士」
脳みそまで筋肉で出来ている彼らしい望みだ。
「ムジナは富を築いて悠々自適に暮らす事」
戦いの時以外は怠け者のムジナらしい。
「フィリオとイガリは多くの妾を娶る事だったな」
実に男らしい不純な望みだ。
「アラゴンは故郷の繁栄」
故郷の不毛な地を豊かな地にする事だったな。
「ふふ、馬鹿な奴らだ」
そんな事を思い出し、頬を緩めた。
お互い宴の席で夢を語り合った。
他愛のない会話ばかり思い出す。
しかし、根底にあったのは『未来』を繋ぐ事。
それは皆、同じ思いだった。
目を開く―――
だからこそ……
傑の語った『未来を懸けた賭け』。
その一瞬の為に―――
私はこの時代に呼ばれたのかもしれない。
そう思い直すようになった。
ならばその時の為に―――
「私の持ちうる全てを賭ける価値がある」
・
・
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/3人称視点/
風音は苦戦していた。
主人公補正、学習能力、そして聖剣という最強のバックアップを備えているにも関わらず、追い詰められている。
今、彼は完全に孤立していた。
彼は、強襲を受けたのだ。
目の前に立ちはだかるのは――
剣兵、槍兵、弓兵、盾兵、騎兵。
五人一組の、完璧に編成された追憶の亡霊。
1対5。生と死の戦いが始まっていた。
―――――火花と剣閃の応酬。
鋭い剣閃が煌めき、火花が散る。
風音は寸分違わずアレックスの剣を受け止めていた。
その剣技は卓越しており、一切の無駄がない。
「この人……!」
風音の声音は困惑。
目の前の剣兵は、ガリアの地で倒したはずの剣聖アレックス。その圧倒的な技量は以前と寸分の狂いもない。剣の動きには揺らぎは一切なく、途切れる事のない、斬撃の嵐。
その精密さは武の極地。
―――聖剣とのやり取りが思念で行われる。
アレックスの剣圧を防ぎながら、風音は苛立ち混じりに聖剣へ問いかける。
「なんで星の息吹を討っちゃいけないのさ!」
聖剣は落ち着いた声で答える。
「盾を持ったアイツ、イガリが居るからだ。防いだ攻撃を倍返しで反射する……下手に打てば致命傷を負うのはこちらだ」
「冗談だろ……!」
風音は盾兵を睨む。
大楯を掲げた獣人のイガリ。
その身体は異様。
盾を支える腕は朽ち果て、肉は削げ落ちて骨が露出している。それでも彼は微動だにせず、風音を睨み返してくる。
―――突然、耳をつんざくような雷鳴が轟く。
それは槍兵の襲撃。
ムジナの槍が地を貫き、稲妻のような衝撃波が風音を襲った。
「くっ!」
風音はすかさず後方へ飛び退き、防御態勢を取る。
目を凝らすと――
槍兵ムジナが信じられない速度で戦場を駆け巡っていた。
縦横無尽に。
三次元的に。
上下左右のすべての方向から。
その移動のたび、彼女の足元から不気味な音が響く。
――骨が砕ける音だ。
しかしムジナは痛みを感じるそぶりもなく、そのまま猛スピードで駆け続ける。
無数の刺突が風音に襲いかかる。
その切っ先は予測不可能な方向に屈折し、ありえない軌道で突き刺さろうとしてくる。
「ムジナの刺突は屈折する! 影を縫われれば動きを封じられるぞ!」
聖剣が警告を飛ばす。
「ッ!?」
ムジナの刺突を防ぐと火花が激しく散る。
余りの速さに顔を歪めた。
頬を穂先が掠ると血が滴った。
槍兵の猛攻を防ぎきった――
「大地裂斬!」
風音はムジナに反撃を加えようとした瞬間―――
暴風が唸りを上げた。
風音の眼前を横切るように一本の矢が飛ぶ。
「フィリオ!」
聖剣の焦燥の声。
弓兵フィリオの矢は暴風を纏い、その一撃ごとに風音の立ち位置を制限していく。牽制の一矢によってムジナへの反撃は空振りする。
追い打ちをかけるように――
戦車の車輪が地を裂いた。
轟音と共に、天翔ける騎兵アラゴンの戦車が駆け抜け、灼熱の業火を撒き散らす。
「くッ!?」
脂汗を浮かべる風音は周囲の岩石を縫うように回避する。
「アラゴンの操る車輪は火海を生み出す。あれは結界だ!」
聖剣の声に、風音は息を呑む。
目の前の風景が真紅に染まり、確実に退路を塞がれていく。
戦術の網に絡め取られる風音。
彼は攻撃の糸口を探すが、敵の連携は完璧だった。
致命傷を避けているだけでも風音の実力は圧巻の一言。
彼が反撃の糸口を掴めないのは相手のパーティーが強すぎるのだ。
剣兵アレックス。
彼の剣技が鋭く迫る。
盾兵イガリ。
彼は攻撃を全て倍返しで反射する構えを見せる。
槍兵ムジナ。
彼女の屈折する刺突が風音を惑わせる。
弓兵フィリオ。
彼は矢で牽制し、戦場の主導権を握らせない。
騎兵アラゴン。
彼の戦車が退路を焼き払い、包囲網を完成させていく。
彼らは互いに能力を補完し合い、一切の無駄がなかった。それは、戦士が闊歩した荒廃の時代、その残響。命を奪うことだけを目的に進化した、極限の戦術。
魔人の脅威を受けてもなお生き残った伝説の実力。
彼らは戦士として死ぬまで鍛え抜かれ、そして死後もその技量と肉体を深淵の力で縛られた『死屍』。
風音は必死に抵抗する。
だが、深淵の魔術師が操る死者は、彼を徐々に追い詰めていく――。
伝説的英雄達と現代の勇者の死闘。
『現在』を否定する『過去』の英傑の亡霊。
神話の再現が行われていた。




