命の砂時計
/3人称視点/
粉雪が舞い落ちる中―――
『極光化』を解除した天内は、その場に立つのがやっとだった。全身の力が抜け、膝が震える。心臓は暴走した機械のように脈を打つ。肺は酸素を求めて苦しそうに音を立てる。身体中が悲鳴を上げていた。
寝起きに全速力で走ったかのような不快感が全身を包む。
呼吸は荒く、震える手で胸を押さえる。
千鳥足で遊歩道を歩きながら、彼は何とか意識を保とうとしていた。
眩暈、頭痛、そして吐き気。
先程拭いたにも関わらず、再び鼻血が伝う。
「うっぷ……!」
耐えきれず、彼は道端に膝をつき、胃の中の物を全て吐き出した。胃液の残り香が冷たい空気に溶け込む。
不意に歩道にいた男の怒声が飛ぶ。
「汚ねぇな! おい! 迷惑だろ!」
『ぜぇ、ぜぇ』と荒い呼吸を整える。
体は言うことを聞かない。
すれ違い様、嘲笑交じりの声が周囲に響く。
振り返る男たち、恋人たち、無関心に通り過ぎる群衆。
「なにあれ?」
「酔っ払いだろ」
「気持ち悪……」
奇異な視線。
避けられる足音。
冷たく、空虚な街の声。
ただ遠巻きに彼を眺めるだけ。
彼はそんな言葉を背に―――
肩を上下させ、顔を覆い隠すように手を当てた。
「使えば使うほど……」
(前回よりも反動が酷くなっている気がする。時間的猶予よりも回数なのか? 使用すればするほど、どんどん悪化しているような気がする)
震える手を下ろすと、赤みがかった地毛が数本、白く変色しながら指の間に挟まっていた。
「おいおい……」
ふと横を向けば、ショーウインドウの中に映る自分の姿。
白髪がまばらに混じった頭。
極光化の反動が顕著に表れている。
それは今までにない出来事であった。
命の砂時計が尽きかけていた証。
周囲の視線が彼に突き刺さる。
子供を引き寄せ、露骨に避ける親子連れ。
嘔吐している現場を面白可笑しく写真に撮る若者。
憐みの視線を向ける恋人たち。
眉間にしわを寄せ不快そうな顔を向ける男たち。
誰一人として、声をかける者はいない。
人々は、彼をただの『迷惑な存在』と見なしているかのようだった。この街は、相変わらず煌びやかで、恋人たちは笑い合い、楽しげな賑わいは続いている。
彼が救おうとする世界は、彼の存在を見向きもせず、ただ無情に流れ続ける。
そんな状況でも―――
街の片隅で彼は安堵していた。
彼の眼に映るのは、笑い合うカップルの姿、親子で手をつなぎ楽しそうに歩く様子。
『普通の日常』が続いていた。
安心したのだ。
救おうとする世界が自身に無関心である事こそが、日常が正常に保たれている証拠。クリスマスの賑わいや恋人たちの笑顔、家族団らんの姿は、彼が守ろうとした『何気ない日常』の象徴なのだ。
朦朧としながらも一言。
自分に言い聞かせるように呟いた。
「俺が必ず……未来と言う名のバトンを……次の世代に繋いでみせる」
立ち上がろうと足に力を込めるが―――
体は重く、冷たい雪が彼の肩に静かに積もっていく。
静かに溶ける雪が、彼の体温に触れて消えていく。
それはまるで、残された時間が雪のように消えていくようであった。




