月は無慈悲な夜の――
/3人称視点/
B級映画でお馴染みの厄災―――
巨大な製薬会社が創り出した未知のウィルス。
永久凍土にて封印されていた古代の寄生虫。
地球外から飛来した隕石に付着していたバクテリア。
一見無害そうな一滴の液体や、ほんの些細な傷口から侵入するそれらは、瞬く間に都市を、国を、そして世界を飲み込んでいく。
パンデミックもの。
感染の結果も千差万別だ。
人間を致死へ追いやるものから、理性を失わせて狂暴化させるもの、さらには人ならざる怪物へと変貌させるものまで、展開は実に多彩。
定番の流れはこうだ。
突然――
なんの兆候もなく『最初の感染者』が虚ろな目で街中を闊歩するシーンから始まる。
その次に描かれるのは、感染拡大の兆候。
町の片隅で突然苦しみ出す誰か。
咳が止まらず、やがて吐血。
倒れた瞬間に周囲の人々がパニックに陥る。
病院に運ばれた重篤者に「触れるな!」と叫ぶ医師や、マスクを取り出す謎の政府関係者。
しかし時すでに遅し――感染はもう手がつけられない。
そして『致命的なあるある』はここからだ。
感染者は静かに増え続け、次第に、街は荒廃し始め、暴動が勃発する。最初は『自然発生』と説明されていたウィルスが、実は軍の極秘プロジェクトだったとか、民間企業の新薬の実験だったとか、発覚するのだ。
解決策として―――
『唯一の生存者』である少年少女に、なぜか抗体があるというお決まりの展開がやってくるが、それまでに街全体が壊滅状態。街の上空にはヘリコプターが飛び交い、爆撃を開始する軍隊。追い詰められた主人公たちは、「感染を止める鍵」を持つ人物を連れて封鎖された街を脱出しようとするが、次々に仲間が犠牲になる――。
―――というのが本来起こるシナリオ。
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摩天楼―――
赤い月が夜空に浮かび、濁った光が都会の隅々まで染み込む。
ネオンが不規則に点滅する裏路地。
そこでは、ゴミ袋が散乱し、甘酸っぱい腐臭が漂っていた。
薄汚れたシャツを着た男が、少女の細い腕を乱暴に掴む。だが、彼の肌は灰色に変色し、目は白濁。喉奥から漏れる呻き声は人のものではない。
口元から垂れた粘液が、少女の震える頬に滴り落ちた。
「やめて! 誰か……助けて!」
叫び声が響いた刹那。
剣閃が舞う―――
感染者の腕が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「ゾンビモノのテンプレ。盛り上がるねぇ」
暗闇から黒いコートを翻し、天内が姿を現す。
感染者は獣じみた唸り声をあげると、口を大きく開いて天内に向かって突進してきていた。
鋭い爪を振り上げたその瞬間――
「だが、ここまでだ」
腰を低く落として踏み込み。
天内の身体が一瞬ブレたかと思うと―――
細剣を一閃。
一撃で胴体を真っ二つ。
灰色の体液が飛び散り、静寂が訪れる。
彼は細剣を軽く振り、付着した血液を振り払った。
その動作一つとっても無駄がなく、冷静そのもの。
怯えていた少女。
彼女は恐る恐る一言。
「……ありがとう、助けてくれて……」
「……お助け料1億万円ローンも可」
「え?」
彼はネタが通じず頭を掻くと苦い顔をした。
「……パパ活はもう止めといた方がいい。さらばだ」
そんな言葉を残し、踵を返す。
闇に消えていくその背中を、少女はただ見送ることしかできなかった。
赤い月の下、彼の影は摩天楼の中へと溶けていった――。
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依然、月が赤く輝く。
最も夜が濃くなる冬――
トウキョウの街に赤い閃光が駆け抜ける。
誰もその正体を捉えることはできない。
華やかなイルミネーションの中。
ビルの屋上で黄緑色に光る液体が淡く揺れていた。
街中は活気があるが、それと対照的に暗闇の中に女が一人。
冷たい風がそのドレスを揺らしながら、アンプルを手に取る。
――割られる瞬間、空が閃光に染まった。
「――!?」
剣の弾丸が、女の足元に飛来する。
彼女は驚愕の顔を浮かべながら大きく後方に飛び退いた。
いつの間にか天内はアンプルを回収すると、手の平で弄んだ。
「プロローグ前に介入された気分はどう?」
その言葉に、彼女は無言で彼を睨みつける。
天内はガラスの向こう側で流動する液体を見ながら語り掛ける。
「いいよね。B級映画に出てくるゾンビって。どうやってあの荒廃した世界を生き残ろうか、寝る前に想像するだけでワクワクする」
彼はカツカツと革靴を鳴らしながら、街を見下ろす。
「ショッピングモールに立て籠ろうか、それとも街中を逃げ惑うか……色々考えるんだけど。結局、ゾンビの蔓延した世界で生き残るのはムズイ。だからさ……」
彼は一歩、また一歩と彼女に近づく。
彼女は警戒し、さらに間合いを取った。
「俺なら精一杯、何人ぶっ殺せるのか試してから死ぬよね」
ニヤニヤしながら彼女の方を向く。
「……お名前を伺っても?」
「う~ん。ジョンで!」
「ジョン……」
「とは言っても、それは昔の話。今の俺なら……仮に蔓延しても生き残る。1000人? 万人? 全員ぶった切る」
「あら怖い」
声の主の彼女の顔がはっきりと見えてくる。
妖艶な瞳を光らせた、そこには―――
まごう事無き美の結晶。
「アンタ。ビジュ良すぎなんだよね」
「奇襲を仕掛けた方のご意見と思えませんわね。ですが、ここはこう言うべきでしょう。お褒めに預かり光栄ですわ。とね」
「でもさ。ビジュが良くても……残念ながら俺は容赦しないぜ。見た目がどんなに美しかろうが、可愛かろうが、斬り伏せるモノを見誤らない」
「あら。怖い」
「夜の領域」
「へぇ……」
イベントボス。
夜の領域……
漆黒のドレスに身を包んだ金色の長髪の女性。
まるで夜空から降り立ったかのように、その存在は神秘的。彼女の目は深い闇のように吸い込まれそうなほど暗く、周囲の光を拒むかのように輝きを放っている。彼女の周りには冷たい風が吹き、危険な魅力を秘めた香りが放たれる。彼女の姿勢は優雅でありながらも威厳を感じさせ、まるで全てを支配する女王のような雰囲気を醸し出していた。
黒いドレスは彼女の肌を際立たせ、艶やかな髪は夜の闇に溶け込むように流れ落ちている。
彼女はまさに『月夜の無慈悲な女王』の象徴。
天内は細剣を抜くと―――
「聞いてみたかった事があってさお姉さん。アンタ人なの? それともそれ以外?」
「意味のない問答ですわ」
彼女の声は冷たい。
だが、背筋を撫でるような妖艶さが混じっている。
「あっそ。問答不要なんだね」
「ですね」
「まぁいいや。ここでアンタを殺すけどいいよね」
「まるで殺人鬼のセリフ。私、『まだ』何もしてないのに」
「『まだ』ねぇ」
彼は肩をすくめ、続けて。
「例え、『まだ』何もしてなくても斬る。それは初めから光の存在じゃない俺にしか出来ない」
「身勝手だわ」
「全くだよね」
「納得されるのね。私の心境や境遇なんかの世間話を聞かなくても、よろしくて?」
「過去とか? 生い立ちとか? 悲しい過去があるからとか? どうでもいいや。興味ない」
「あら。酷い方」
「俺さ。悪役の悲しい過去とか、生い立ちとか、どうでもいいんだ」
「どうでもいいですって?」
彼女の眉がピクリと動く。
「勝負の盤上に乗ったんだ。なら、生きるか死ぬかの覚悟はできてるはずだろ? 命乞いも、慈悲も、同情すらもみっともない。考えが甘い奴は、子供部屋でママのおっぱいでも吸ってた方が幸せだろう?」
「……そう」
彼女は冷たい声音で返答した。
「そうそう。それに。これでも問答してるだけマシ。アンタはそこそこやるから初手を看破したが、本来は知覚するよりも先に首が落ちてるんだから」
「……貴方にそれができると?」
「まぁね。いつもそうやってきた」
彼女は一層警戒し始める。
「私のような、ひ弱な女を殺すのを躊躇しない……それは人としてどうなのかしら?」
「じゃあ。1分だけ思考判断して貰っていい?」
彼女は優しく微笑み。
返答はなかった。
天内は細剣を振り回しながら周囲をゆっくりと歩きながら。
「知ってます? 女キャラは優遇されがちなんだ。主人公が男だと尚更」
「何の話かしら?」
「う~ん。ゲームの話?」
「アハっ。面白い」
天内は思い出すように。
「古今東西。男主人公だと、女キャラ全般。特に見た目の良い奴はハーレム要因を増やす為とかで優遇されるんだよ。不思議な事に。そしてなぜか生き残ったりする」
「ロマンスの話かしら。それは必要だものね」
「ロマンス……つーか、性欲だろ。ありゃあ」
彼女は優雅に口元を手で押さえながら。
「貴方面白いわ」
「よく言われるよ。で、さ。俺は思うんだ。固定観念的に美しい女は悪でも同情の余地があるとか、そういう理由。心理的にユーザー相手に暗にサブリミナル効果を与えているとね」
「ふ~ん」
「心理トリックさ。例えば見た目の良いアンタの過去が悲劇的なモノだったら、アンタに同情するだろ? 戦争孤児でしたとか。男に弄ばれた経験がありましたとか。家族を守る為でした、とかさ」
「それで?」
「悪役。つまりヴィランは禍々しい見た目の奴が多い傾向にある。見た目も内面もね。これは心理的に、そっちの方が打倒されるべき存在だとプレイヤーを心理誘導している。義侠心とか正義感的に、そっちを打倒した方が心理的にストレスを感じない。美しいキャラを殺すってのに忌避感を抱いたりするんだよ。『何とかなんなかったのか?』ってね」
「面白い着眼点ね。つまり何が言いたいのかしら?」
「つまり、美しい女キャラが悪でも許されがちであるって事。で、だ。俺は改心させる系の慈悲を与える優しい主人公ではない。猶予は1分。それ以上は取らない。今から斬るべき相手が、仮に昨日楽しく飯を食った相手でも、友人でも、仲間だったとしても、敵として立ちはだかるのなら容赦なく斬る」
「極端な考えだわ。怖い怖い」
「そうだね。でもこれぐらいしないと……この世界を、大切な人達を守り切れない」
「世界……随分大きく出るわね」
「まぁね」
「では、私を含めて、貴方が斬ると仰るそれら。貴方の判断の誤りであったなら? 無辜なる善な民であったら? どうするおつもりかしら?」
「ああ。その時は『すまん』って空に手を合わせるわ。それだけ」
彼はヘラヘラしていた。
「……」
彼女は、その言葉を聞き、さらに警戒を強める。
言葉が決定的に通じないと悟ったのだ。
天内は何でもないように続ける。
「あの世で恨んで貰っていいよ」
「……な~んだ。面白い方だと思ってましたが、単にイカレているのね」
「正解! イカレてなきゃ俺はこの世界に招かれてない。きっと『終末』に選ばれる事すらなかった」
「終末……この世界……」
彼女はくぐもった声音。
「残念だったね。だから、お姉さんがどんなに魅力的でも、アンタは……ここでジ・エンドだ」
天内は親指を立て。
自分の喉を切り地面に向ける仕草:カットスロートジェスチャーを取る。
「貴方に出来るのかしら? こんな非力でか弱い善なる私を殺す事が。自責の念に駆られる事になるわ」
「だからどうでもいいんだよ。そんなの。1分以上経った。で? どうする?」
「では――その力、見せていただけるのかしら?」
彼女は懐から杖を取り出す。
闇に溶けると同時に、杖が光を放つ。
「答えは出たな。なに、痛みなんて感じる間もなく一刀で終わらせてやる」
「それはどうかしら」
彼女の妖艶な笑みが彼を捉える。




