勇者カノン
ep185『ある物語の終わり』のその後から始まります。重要回です
/香乃視点/
――1000年前――
『ネイガー:傑』が時の彼方へ帰ったのを見送った後―――
目の前には一面の花畑。
陽の光を浴びて、無垢な花々が咲き誇り、やさしい風に揺れている。まるで、これからの未来を象徴する門出。闇を超えて掴んだ希望の象徴。彼から我々に向けた小さな祝福のように心地よい軽やかな一陣の風が舞う。
彼が最後に残した私へのささやかな贈り物を見ながら。
「粋な事をしおって」
微笑むと、頬を伝う涙を、そっと手でぬぐった。振り返り、私は朝日を背に、剣を高く掲げ、仲間達へと勝利の知らせを伝える。
「危機は去った。我々の。みんなで勝ち取った未来だ!」
力強い声が響き渡る。らしくない勝利宣言をしてみたが、それでも仲間たちの顔には希望の光が宿っていた。勝利を祝う歓声が轟き、空気が一瞬で喜びに満ちた。
それから―――
『ネイガー:傑』が去った後、残された我々にはやるべき事が山積みであった。傑との別れの余韻に浸る間もなく、我々には新たな使命が待っていた。文明の再興。まさに新しい歴史の幕開けだ。
これから長きに渡る復興が始まる。
大地は荒れ果てた。幾つもの国は落ちた。数え切れぬ命が散った。多くの犠牲を払った長きに渡る旅の終わり。
しかし、未来は繋がれた。
本来終わるはずだった時代と人類の未来を取り戻す事が出来た。
それからの事は目まぐるしく過ぎて行った。
治世に詳しくない私は智者であるマルファや、アラゴン卿の助けを乞いながら、一つずつ問題解決に奔走する。彼らの知恵や経験が私を支え、目まぐるしい中でも充実した日々を送ることができた。けれども心の奥底では、別れた傑の存在を忘れることはできなかった。
そして遂に―――
本当の意味での旅の終わりがやってきた。
戦線を共に駆け抜けた仲間たちとの最後の別れの日が訪れたのだ。各々が自分の国に帰る準備を整え、私達の絆が一つの時代を経て新たな形に変わる時が来た。
仲間を見送るために集まった場所には、感謝と寂しさが交錯する。私の心には、彼らとの思い出が溢れ、かけがえのない時間が過ぎたことを実感させる。そして、私達が築いた未来を引き継ぐ者達へと、希望を託して送り出す瞬間が、今まさに訪れようとしていた。
だが、別れの場に姿を見せぬ者もいた。
既に先に旅立った者達。
賢者マルファ。
マルファの目的は『知恵と教育』との事。
特殊な眼を持つマルファは、我々の仲間の中で最も智者である。マルファは事あるごとに、魔術を世界が正しく扱う必要性を説いていた。未来の魔術師の人材育成。『魔導養成機関』を世界各地に設立する為に旅立った。
大魔道師ルミナ。
ルミナの目的は『遺産の管理』との事。
彼女は『始まりのダンジョン』に向かった。
彼女曰く、未来に向けて神剣を楔にすると言っていた。
召喚士クロウリー。
クロウリーの目的は『冒険と知識の探求』との事。
ダンジョンには未開の技術があると興味を持っていた。クロウリー曰く、それは文明を飛躍的に向上させる可能性があると。クロウリーはダンジョン探索を主体とするギルドを作ると言っていた。
別れの日に集まったのは、ユラ、アレックス、アラゴン、ムジナ、フィリオ、イガリ。そして私。心の奥には、最後に皆で集まれなかった事への寂しさが残っていた。
「全員は集まらなかったか……」
私は少し肩を落とし、溜息をついた。
ユラはそっと微笑みながら。
「皆さんお忙しいようです。でも嬉しい事じゃありません? それだけやるべき事があるんですもの」
「そうか。そうだな。彼らの道が未来に繋がっている」
私は微笑みながら納得した。
「でも、本当に散々な旅だったわ」
軽口を叩くムジナ。
「でも……それがあったからこそ皆と出会えた」
イガリが武骨ながらも口を開いた。
「イガリさんのおっしゃる通りですね」
と、フィリオが続ける。
「ええ。本当に辛い旅でした……しかし、充実した旅でもありました。そうは思いませんムジナ?」
ユラはムジナに尋ねると、ムジナはくすくす笑いながら。
「かもね。笑い話もたくさんあるもの。例えば、アンタの寝しょんべんの話とか!」
「ちょっと! それは言わない約束ですよ!」
「え~。じゃあ、食い意地張ってた話は言っていいんだっけ?」
ムジナは目を細めてニヤニヤしている。
「ダメです!」
フィリオが遠い目をしながら。
「みんなユラ様が食い意地張ってるのは知ってますがね」
「そんな事ありません! 私は質素倹約を体現していますもの!」
「「「噓つけ」」」
「なんなんですの! 皆さん」
「ユラ様の悪行を、最後の最後だから言いますけど!」
「何を言おうとしてるんですか! フィリオさん!」
「聞いて下さいよ皆さん。ユラ様は食事時に『フィリオさん。貴方は後ろで弓を射るだけで、あまり動いてないのですから、これは頂きますね』って、横暴な事言って、いつもお肉を横取りしてきたんですよ!」
とほほ顔のフィリオが訴えた。
「うっわ。酷!」
ムジナが顔を引きつらせる。
「違います! フィリオさんが『僕は小食なので、よかったらどうぞ』って言ったのです!」
「そんな事言ってませんよ!」
「ユラの胃袋は底なし沼であろう? ワシの10倍は食すのだ。ワシは見ていた」
イガリも腕を組んで同調する。
「ちょっと皆さん。私の事をどう思ってるんですか!?」
「「「食い意地の張った聖女」」」
「なんですか!? それ!」
フィリオやイガリ、ムジナにからかわれるユラは、真っ赤になって憤慨していた。
私はそんな光景を横目にアレックスに問いかける。
「これからアレックスはどこに行くのだ?」
「俺? 俺は剣を教えに行くんですよ。ネイガーの兄貴が俺にしてくれたように、次の世代に剣技を教えていくんです」
剣聖とも呼ばれるまで成長したアレックスは、自身がネイガーにそうしてもらったように、騎士の後身を育てていくそうなのだ。
「あのアレックスが、次の世代を育てるのか。感慨深いな。期待しているよ」
「カノン様。任せてください!」
「そういやアラゴン。君はどうするんだ?」
「カノン様。知らないんですか? アラゴンの旦那はお国の大将になるんですよ!」
アレックスの合いの手に、アラゴンは困惑したように笑った。
「やめてくれ。形だけの役職さ」
彼は手を振りながら苦笑いした。
「アラゴン。君ならきっと素晴らしい治世が出来る。そう信じているよ」
私は彼に励ましの言葉を掛けた。
「カノン様。ありがたきお言葉。このアラゴン。必ずやご期待に応えましょう」
騎兵隊をまとめる辺境伯でしかなかったアラゴン卿はその功績から北の地にて国を興す事になったのだ。
いつも通りの会話。
最後の最後まで、冒険の日々と変わらぬ会話であった。
「では、さらばだ」
私は彼らに別れの挨拶をした。
「また逢えたら」
ユラは深々と頭を下げた。
「またいつか」
静かに頷く者。
別れの挨拶を交わす者。
仲間達はそれぞれの道を歩み出した。
彼らの背中を見送った後であった―――
私は胸に込み上げる鋭い痛みを覚え。
立ち止まる。
私は酷く咳込んだのだ。
「なんだ?」
手のひらに広がる、真紅の血。
いつの間にか、吐血していた。
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やがて、私は故郷の小さな村に戻り、一人隔離されることを選んだ。両親の残した家で、ひっそりと病に伏せる日々を過ごすことになった。
根絶者の残した呪いは私の身体を徐々に蝕んだのだ。
ユラでも癒せぬ呪い。
ネイガー曰く『病』の象徴である根絶者。
それと直接対峙した私の身体は日に日に瘦せ衰え、遂には満足に動かせない程、弱っていた。
震える脚で、手に取った水差しを滑り落とす。
私の指先には力が入らなかった。
「いかんな」
もう眼がほとんど見えなくなっていた。
世界がぼやけていく。
周囲の音は次第に遠のき、孤独感が一層深まる。
「ッ」
突然、咳込んだ。
咳の回数は日に日に増え、血の混じった痰が口からこぼれ落ちた。食欲は失われ、ただ床に横たわるだけの日々。
今日もまた、冷たい床に伏せ、天井を眺めていた。
遠い記憶に浮かぶのは、仲間達と共に駆け抜けた冒険の数々だった。輝かしくも辛い日々、絆を深めた瞬間が思い出される。それらの思い出を巡らせる事が、私の唯一の楽しみになっていた。
閉じゆく瞼の奥で、彼との再会を思い描く。
彼の笑顔、そして温もり。
「もう一度。君に」
出逢えたらそれはなんと幸せな事なんだろう。
静かに目を閉じ、その想いを胸に抱いた。




