連綿と続く歴史の彼方
/3人称視点/
星が煌めく夜。
静かな森の中で火が穏やかに揺れていた。
木々に囲まれた空間は透き通った空気で満たされ、焚き火の炎が温かな橙色の光を放っている。森の一角には、モリドールの住まいが隠れ家のように佇む。
その傍で、香乃が丸太に座って火を囲んでいた。
彼女はゆっくりと目を覚ました。何かに気づいたように顔を上げ、物音のする方向へ視線を向ける。
「戻って来ていたのか」
天内は少し間を置き、彼女を見やる。
「起こしたか?」
「少しだけ……昔の夢を見ていた」
「そうか」
「随分遅くなかったか? 伝え聞いていたよりも」
「あ、ああ。まぁ……なんやかんやあった」
天内は目を泳がせ、わずかに肩をすくめる。
「ん?」
香乃は怪訝そうな表情で彼を見つめた。
「なんだよ」
「お前の言う『なんやかんや』は、とんでもない事が起きた証拠だな?」
「顔が怖いぞ。ほら小じわが増えちゃうぞ」
香乃は鼻を鳴らして。
「いいか! お前は、重要な事をたった一言で済ませる癖が多すぎる!」
「えぇ? そうかなぁ?」
「そうだ! 傑は調子が軽すぎる。例えばだな! 血の契約者の時もそうだった!」
「呪い掛けてきた奴だっけ? 面白いよな。お前はウサギになってた。食われそうになってたじゃん」
天内はケラケラと笑う。
「ふざけるなよ! 全滅する所だったんだぞ! 本気で危なかった!」
「まぁまぁ。いいじゃあないか」
「それに時空の幻獣の時もそうだ!」
「カノえもんに馴染深い、栗まんじゅう問題ね。無限湧きは掃除が大変だよなぁ」
天内はニヤニヤしながら言う。
「掃除だと!? 危機一髪だったじゃないか!」
「まぁまぁ。いいじゃないか。あんまり大声出すなよ。モリドールさんが起きちゃうだろ。静かにしろって」
香乃は深く息を吸い、小声になりながら彼の顔を見上げる。
「いいか。お前は気付いてないかもしれんが―――」
と香乃は淡々と語り出した。
香乃が言葉を重ねるたびに、天内の並外れたエピソードが次々に浮かび上がる。攻略が不可能と思われた敵や、一触即発の危機の数々が、彼の前では全て「どうにかなる些末事」として片付けられていた。
天内傑の悪い癖は多岐に渡るが―――
まるでどれも大したことではないかのように振る舞うことである。
重要な事をたった一言で済ませるのだ。
さらにタチが悪いのは冗談の中に真実が混じっている事である。
全てノリが軽いのだ。
例えば―――
『ちょっとコンビニ行ってくる』のノリで過去に行き。
『久々に汗掻いた』のノリで国家を一周し。
『なんやかんやあった』のノリは国家存亡の危機だったりする。
非常に分かりづらいが彼の前では、恐るべき力を持つ敵も『少々苦戦した敵』で済まされる事が多い。どう倒せばいいかわからない敵も『神の視座』を持つ者の前では全て無力化されていく。
はぁ……はぁ……と、香乃は息を荒げて。
「お前は重要な事を、些末事として済ませる悪い癖がある」
「実際大した事ないだろ」
「大した事あるんだよ!」
香乃は、今度は焚き火を睨むようにして怒鳴る。
「おいおい。そんなに怒るなよ」
「怒るわ!」
「やれやれ。美魔女も更年期障害には勝てないんだな」
「馬鹿にしおって。意味はわからんが馬鹿にしてるな?」
「してないしてない」
「ウソツケ」
「ホントホント。俺って生涯一度も嘘を吐いた事がないもん。真実の申し子って触れ込みだもん」
「ウソツケ」
「おいおい。遂に人を信じられなくなったのか。おめぇ。頭。でぇじょうぶか?」
「お前よりはマシだ。間違いなくな」
天内は『やれやれ』と言った表情を作りながら。
「てかさ。香乃って幾つなの? 40? 50? 60? まさかそれ以上か?」
「どういう意味だ?」
「年齢」
「つまらんことを訊くな!」
香乃は顔を赤らめた。
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散々言い合った末に、香乃は隣の丸太を軽く叩いた。
「こっちに来い」
「なんで?」
「いいから来い。お前は私の使い魔なのだから命令に従え」
「へいへい」
彼は少し面倒くさそうに言って彼女の隣に腰を下ろした。
「膝枕しろ」
「えぇ? きもくない?」
天内は嫌そうな顔をする。
「いいから命令に従え」
「香乃、お前って滅茶苦茶だよな」
香乃はしばらく彼を見つめた後。
そっと彼の膝に頭を乗せる。
彼女は彼の膝の上から、無数の星々が瞬く夜空を見上げる。
「星が綺麗だ」
「天空に一番近いもんな」
「空気が澄んでいる。空気が美味しいな」
「ふむ」
「この時代も星の輝きは変わらない。連綿と続く歴史の彼方であっても……星は変わらないんだなぁと、しみじみ感じるよ」
香乃は満天の星空を指差して感慨深く呟いた。
彼女の指先が触れる先では、星の尾が引かれる。
「そうかもな」
香乃の瞳には満天の星空が輝いていた。
彼女は、星々の運行を見つめながら、冒険の日々を思い出しながら静かに語り続ける。
「あの星も見た事がある。あれも。あれも。あれもだ」
「あれは冬の大三角形だな」
「なぜ、この時代でも見えるのだ?」
「これだから自然科学を知らぬ者はダメだねぇ」
「なんだそれ?」
「人類の叡智だよ」
香乃は少し困った顔で。
「お前はたまに難しいのだ。もう少し分かりやすく話してくれないか」
「星はな。歴史と時間を超えて輝いているんだよ。スケールが違うの。1000年後も2000年後も、ほとんどの星空は変わらないと思う」
「そうか……それは、なんとも羨ましいな」
しばしの沈黙が二人の間に流れる。
香乃はポツリと。
「実はな。私は既に死んでいるんだよ。正確には死ぬ間際。ここに居るのは一時の幻に過ぎない」
彼女はそう呟いた。
星々が静かに見守る中、その言葉は夜空に溶け込んでいった。




