―― 終わり ――
ホルストの『木星』が優雅に流れる店内。
静かな旋律の中で、俺は低く呟くように彼に返した。
「俺は死なないよ」
――― 一歩踏み出した。
静かに終末の騎士が座る席に近づく。
「俺が死ぬのはもっと先だ。簡単には、くたばらない」
胸を張って宣言してやる。
「いいや。時間は容赦しない。君の命の残りは、」
彼の言葉に被せるように、声を上げる。
「約束した! 生き残ると!」
俺はマリアとの約束を思い出す。
狂乱者は少し黙り込む。
何かを悟ったかのように。
「単なる願いか。儚いものだな」
彼の冷ややかな声が響く中。
俺は一瞬の迷いもなく言葉を続けた。
「俺はさ……最初は、主人公とヒロインの笑顔のエンディングが見られればいいと思っていた。自分はその輪の中に入れなくてもいい。俺は死んでもいいと思っていた。ただ最後にやり残した事をやろうって、そんなちっぽけなエゴイズムで動いてきたんだ」
狂乱者はその眼を少し見開き、興味を示す。
「ほう。それを認めるか」
「ああ。認めるよ」
「続けたまえ」
彼は耳を傾ける。
全く嫌になるね。
大物過ぎて。
ああ、そうか。
俺は目の前の男がそんなに嫌いじゃないんだ。
むしろ好きなんだ。
目の前のコイツは俺だ。
過去の俺自身だ。
もし、最初の俺だったら。
コイツの提案に乗っていただろうから。
きっと負けていた。
「最初は、ただ誰かの物語を見届ける役割だと思ってたんだ。俺はいつまで経っても異邦人だと思っていた。部外者だと思っていた」
そうだ。
俺は、俺自身に価値がないと思っていた。
それに―――
「帰属意識がなかったんだ。心の中でこの世界の人々に常に距離を感じていた。何より『繋がり』を理解できなかった」
―――何も持っていなかったから。
「ふむ。君が我々と同じ『神の視座』に位置するからだろうな。当たり前だ」
「でも……こっちに来て。多くの人に出逢った。仲間が出来た。親友が出来た。モブキャラ……そんな風に一言で片付けられる人達は、みんな『自分の人生の主人公』だった。俺は、そんな人達に出逢ってきた」
「だからなんだね? それがどうした?」
「それが、俺を成長させた。成長させてくれた。沢山の事を学ばせて貰ったんだよ」
「成長? 面白い表現だ」
「ああ。面白いよな」
―――前世では気づかなかった事。
「彼らには意志と思いがあり、絆があったんだ。願いも不満もある。苦しみながらも、笑いながら、涙を流しながら。切磋琢磨して、汗を流して、日々を必死に生きている。そんな日常を大切にして生きているんだ」
狂乱者は鼻を鳴らす。
「生き汚いの間違いでは?」
「いいや。違う。お前は何もわかっちゃいない」
「ほう」
狂乱者は微動だにせず、ただ俺の言葉を聞いていた。
「彼らには家族が居る。子供や孫が居る。友や恋人が居る。愛する者が沢山居るんだって。気づいたんだよ」
――――そう。以前の俺はそんな繋がりを知らなかった。
「俺は知らなかったんだよ。いや……知ってたけど。気づかないフリをしていた」
―――羨ましかったんだ。
「みんなが持っていて、俺だけ持ってなかったから」
―――だから見ないように生きてきた。
「でも、こんな何も持っていない俺に気付かせてくれた。向き合わせてくれた。それが尊いものだって」
「些末なものだよ。気にする必要はない」
「ああ。神様みたいなお前にとっては、些事でしかないかもな」
「見ず知らずの者に気を回す必要はないさ」
俺は強く拳を握りしめ「でも!」と大声を上げ続ける。
「俺が生前手に入らなかったものだ。俺は……前世で何も残せず。きっと誰にも看取られなかった。1人寂しく死んでいった! 家族も友人も恋人だって居なかった! 誰とも『繋がり』を持てず、死の瞬間まで孤独だった! 娯楽をデジタルに求めた単なる寂しいゲーマーだった。本当に何も持っていなかったんだ」
―――そう。1人だったんだ。どうしようもない孤独な奴だったんだよ。
「それで?」
「前世で孤独に1人で死んで。たまたま二度目の生を与えられて。今生で必死に生きて、異世界で、ようやく死ぬ間際に理解したんだ!」
「なにをだね?」
「美しいと思ったんだよ……」
「美しい? よくわからないな」
「神様みたいなアンタにはわからないかもしれないけど……人との繋がりとか、家族とか、仲間とか、友人とか……そういう青臭いもんが、美しいと思ったんだ」
その言葉を口にした瞬間、世界が変わった。
いつの間にか。
先程までなかった俺の腰には細剣があった。
窓の外は既に戦場ではなく。
夕陽が差し込む海辺に変わっていた。
精神世界が徐々に変貌していく。
沈黙が二人の間を覆う。
ホルストの『木星』の旋律がどこか哀愁を帯びて、ゆっくりと流れている。
無力感、孤独、そしてこれまでの痛みが重なるように旋律が流れ続ける。
「そんな些細な繋がりを守る事が、いつの間にか、生きる目的になっていた。生きていたいと思わせてくれた。孤独で無力感に苛まれて死んでいった俺の中で。みんなが呼ぶ『普通』とか『当たり前』とか、そんなモノが、俺の中でいつしか『希望』になっていた」
狂乱者は口元に笑みを浮かべ、天を仰ぐ。
「天内くん。故に提案したではないか。君の愛する者と望む未来を与えようと」
「違うんだよ! そうじゃない! そういう事じゃないんだ! お前の用意した、そんな結末は間違っているんだ!」
狂乱者は目を見開く。
「…………続けたまえ」
「俺一人が手に入れても意味はないんだよ。それは嘘なんだ。それはきっと逃げなんだ。個人の幸せを掴む代わりに、全体の犠牲を選ぶなんて事は出来ない。そんなのは卑怯だ。そんな偽りの幸せなんて要らねぇんだよ! そんな決められた運命なんて要らないんだ……」
息が荒くなる。
肩が震え、声がかすれる。
「……」
狂乱者は興味深そうに俺を見つめていた。
「おかしいだろ? 元々、俺はそんなのくだらねぇーって思う側だったんだぜ。友情? 努力? 勝利? なにそれ? 馬鹿みてぇって。斜に構えてたんだ。なんなら、この世界に来てからも、上から目線で物事を語っていた」
「ほう。今ではそれを守ろうと? なぜだ?」
「善人も悪人も世の中には沢山いる……だけど、そういう人達にも大切な『繋がり』がある。それは守るべきものだ。尊いんだよ」
狂乱者は再び鼻で笑う。
「くだらんな。皆死すれば、そのような事を感じる事もない。生きる苦しみなど感じない」
「じゃあ、やっぱりアンタと俺は一生相容れないな」
「意見の相違か……」
「俺はワガママだから。どうしようもないほど強欲だから。全部まとめて救うって決めたんだ。俺は今生では『前世では何も残せなかったが、誰かを守りたい。人と人との繋がりを大切にしよう』と思ったんだよ。思わせてくれた」
「なぜそのように思った? なぜだ?」
「俺はさ。偏屈で傲慢で、自己中心的で、馬鹿なんだよ」
「人らしい不完全さだ」
「ああ。そうだ。俺はお前のように完璧な存在じゃない。でも、人なんてそんなもんだろ?」
終末の騎士は一言。
「人類は不良品だ。不完全だ。だからダメなのだ」
「そうだな。そうかもな。人は完全無欠じゃないよ。少なくとも俺は不良品だ。俺ってさ。どうしようもないぐらいダメダメなんだよ。呆れちゃうぐらい。でも……そんな俺に手を差し伸べてくれる人が居たから。諦めずに何度も手を差し伸べてくれる人達が居たから……それが答えだ」
窓が開くと突風が舞った。
俺と彼とを分かつように爽やかな潮風が吹き荒れる。
「だからお前の提案には乗らない。それに、俺の未来は俺の手で勝ち取るよ」
狂乱者は天を仰ぎ、少しだけ思案する。
「もう一度、よく考えたまえ。それは愚かな決断だぞ? そんなものは手に入らない。必ず後悔する」
「何度訊かれても……答えは変えない。後悔もしない」
終末の騎士は、深い失望をその顔に浮かべた。
「非常に残念だよ天内くん。君には、終末の騎士の空席、『我らと並び立つ権利』を用意していたんだがな。神の如き権能もだ」
「いらないよ。そんなの。俺は生粋のモブキャラだぜ。そこら辺を歩いている一般人Aだ。それがいい。それになりたいんだ。そんな大層な役はまっぴらごめんだね」
狂乱者は少し寂しげな表情を浮かべた。
「それが君の結論か。私の用意した結末は、これ以上ない良い提案なのだがな。全く君という男は理解出来ない」
「勝手に予約席を取ってたみたいだが、その空席はキャンセルしといてくれ」
俺はにこやかな笑みを浮かべ。
きっぱりと、『魅力的な提案』と『終末の騎士』になる事を断った。
「……いいだろう。もう後には戻れなくなるぞ」
それは神が如き存在からの最期の忠告であった。
「ああ。わかってる。だって俺はただ……『普通の日常』が送りたいだけなんだ」
俺は『ウソのあとがき』の象徴であるカフェの出口に向かう。
もうこの場に用はないから。
この夢の世界に、二度と帰って来る事はないから。
もう迷わないから。
「殊勝な心掛けだ。人類らしい些末で下らない。実に理知を感じない解答だ」
「ああ。いいよそれで。俺は元からくだらない奴だから」
「残念だよ」
俺は手を振りながら、ドアに手をかける。
振り返らず―――
再び『物語』に戻る決意をする。
「俺は俺なりに、人らしく精々足掻いてみるよ」
―――すると、後ろから。
「そうか……悪くない解答だ」
狂乱者は、一言そう告げたような気がした。
俺は、『フェイクエンディング』を後にした。
次の章名『余談』とフェイククレジットになっています。
狂乱者の罠に嵌らなかった鋭い洞察を持った読者の方のみ、真実のエンディングに到達出来ます。




