こんな結末は間違っている。この世界で唯一のプレイヤーだからできる事
古びた喫茶店の中、静寂が支配していた。
俺の息が、かすかに響く。
「はぁ……はぁ……」
息を切らせた。
俺はその場に立ち尽くしていた。頭がぐるぐると回る。
頭を振るう。頭がおかしくなりそうだった。
作中最強―――伊達じゃない。
まじでイカレてやがる。
狂乱者の力は、まさに尋常ではない。
もし、夢の中で押し入れにしまってある『極光』を捨てていたら、完全に詰んでいた。
こいつは、ただ戦っているわけではない。
嘘の虚構と嘘の『あとがき』まで、しっかりと準備してやがったのだ。
脳内に流れた。
エンドロール。意味不明な『あとがき』。
本当の意味で『終わり』を痛感させられる所だった。
「戻って来たという事は、決まったのかね?」
狂乱者は微笑んでいた。
「お前……」
頭が割れそうだ。
「天内くん。話の続きだったね。で、だ」
狂乱者は、いつの間に手元にあった目の前のパソコンを閉じる。
続けて―――
上品な所作で机の上のティーカップを手に取り、口を付け静かに話を続ける。
「私の提案はシンプルだ。君の今までの功績に免じて、これから私の行う絶滅から好きな人間を見逃してあげよう」
「なにを……」
「幾人か選びたまえ。君と君の選ぶ者の命だけは、私が助けてあげよう」
「何を……言ってやがる!」
「君が望む未来を与えよう。そう言っているのだ。その代わり、私の虐殺に目を瞑るのだよ」
「意味不明だな。そんな事は……できない」
何とか声を振り絞った。
頭の中では、無数のエンディングがフラッシュバックする。
「話は続いているよ」
冷徹な目が俺を捉える。
「私からの提案はこうだ。私から君への報酬として。君の残り少ない寿命を好きなだけ伸ばしてあげよう」
「え?」
頭がおかしくなりそうだった。
その言葉が、まるで祝福の鐘の音のように響いたのだ。
「愛する者と仲間と友人と家族と好きなだけ生きるがいい。終末の騎士たる私の名において、君の永遠の幸福、永劫の幸せを保証しよう」
神の如き権能を有する狂乱者は俺に信じられない選択肢を提案しているのだ。
「俺は……お前を殺せるんだぞ」
吐き気が込み上げる。
先程の幻覚に酔っているのだ。
まだ頭の中で渦巻いている。
あの『ささやかな日常』が。
「だろうな。君は間違いなく私を殺せるだろうよ。しかし、それをしても、君の望む未来は手に入らない。この世界は平和になどならんよ」
「わかってる。言われなくても」
彼は「そうか」と一言頷くと続けた。
「この世界には、もはや秩序も平等もない。ただ混沌なだけだ。もうダメだ。救いようがない」
「まだ終わっていない。人はやり直せる」
「いいや。星は不要だと判断した。だからこそ、私が人類に裁きを与える。人の悪しき欲望は際限がない。偽善と欺瞞、虚飾に満ちた卑しい世界を壊し、新たに作り直す為に」
「言い掛かりだ」
「では見て見たまえ。戦争、差別、飢餓、貧困、永遠に続いているではないか。お前達人類はいつ学ぶのだ? 一体いつになったら、この下らぬ呪いの連鎖を止められる?」
狂乱者は窓の外を指差す。
先ほどまでの美しい青空と青い海はなく。
ただ、戦場が広がっていた。
差別と飢えと殺し合い。
ただの『絶望』が広がっていた。
「ッ」
俺は唇を噛んだ。
「人が生き続ける限り。人から生まれ出る呪いの連鎖はこの惑星を食い尽くす。負の感情がこの星を覆う。蓄積され続ける『痛み』はいつになったら癒える?」
「それは……」
返す言葉がなかった。
コイツは、コイツなりの『正義』を持っている。
既存の秩序や世界を保つ事。
それは悲劇の連鎖の根本的な解決にならないと――――
その延命の先には苦しみしかないと冷静に断じている。
彼は破壊と再生を通じて、新たな未来を作り出そうとしているのだ。
アプローチが過激なだけで。
それは神のような存在からすれば正解とも言える。
「争いは続く。憎しみは増し続ける。君が死んだ後もだ。人類が終わるその日まで、永劫に悲劇は繰り返される」
「ああ。そうかもな」
コイツの言ってる事は全部正論だった。
長い間―――
きっと気の遠くなるほど人類を見守ってきたんだ。
我慢し続けてきた。
そして、もう救いようがないと。
そう判断した。
神の如き視点から根本的解決は破壊しかないと思うほどに。
人間社会の問題に対する厳しい批判。
その中には、どうしようもないほど『愛』を感じられたんだ。
でも、それでも――『人はやり直せる』と。
俺は思うんだ。
「人類は、今一度太古に戻る事で救済される。人は過ちを犯し過ぎた。星は泣いているのだ。もはや看過できない。この星に悪しき人類は不要だ。そこで提案なのだ」
「……提案」
「見たのだろう? 君の望む未来を」
フラッシュバックする『他愛ない平和な日常』。
「なんでそんな事を、俺に」
狂乱者は付け加えるように。
「天内くん。君がどれだけこの世界に尽くそうとも。決して賞賛はされない。決して報われる事はない。しかし、私は君を認めている」
「認めている……だと?」
「そうだ。君は私と同じ席に座る終末の騎士を打倒した」
「……」
俺は圧倒され始める。
目の前の騎士のその圧倒的なまでのカリスマ性に。
「私と対等な目線で語らう事が出来る権利を与えよう。その資格がある。だから言っているのだ。君の力と功績を称え、君には『永遠の若さ』と『愛する者の安寧と平和』を約束しようではないか」
「愛する者の安寧と平和……」
ダメだ。押されるな。流されるな。
「故に、私が行う絶滅の邪魔をしないで貰えるか?」
終末の騎士はそう宣言した。
深淵の瞳が俺を捉えて離さない。
「……」
黙る事しか出来なかった。
心が揺れる。
生唾を飲んだ。
あまりにも魅力的な提案で頭がおかしくなりそうだった。
あの日常は。
あのエンディングは一個のシナリオとして完成されている。
―――だからこそ揺らぎそうになる。
「私が提供できる最善のシナリオ。君が体験した夢は、今、ここで『本物の現実』となる」
「ふ、ざけるな」
甘言が、心に染みてくる。
心が揺らぎそうになる。
それは俺が欲する望んだ『結末』だった。
「このままでは間もなく死ぬのだろう? 怖いのだろう? 天内くん。さぁ、君の望む未来はすぐそこだ。選びたまえ」
いくつもの、みんなの笑顔がフラッシュバックする。
こいつはそれを俺にくれると言っているのだ。
命だって助けてくれると。
目を瞑る。そして頭を振った。
思い出せ。思い出せ。思い出せ。
俺は何の為にここまで来た?
何の為に戦っている!?
お前は何の為に戦っている!?
負けちゃいけない。
こんな下らない茶番に惑わされてはいけない。
俺は大きく息を吸い込んだ。
「だからなんだ!? お前の提案は……全部却下だ! 俺はお前を倒すよ。一瞬迷った俺がバカみたいだ」
精神世界で―――
クラシックの旋律が俺が思い描くものに変わる。
「ほう……塗り替えるのか」
狂乱者は大きく目を見開いた。
―――
ホルストより―― 組曲『惑星』:『木星』
イギリスの愛国歌『我は汝に誓う、我が祖国よ』
『惑星』―『木星』の第4楽章の中間部、深遠で壮大な旋律が空間に響き渡る。
―――
前世の世界の『終戦の日』―――
戦没者追悼式で必ず奏でられる音色が店内に響き渡る。
それは『希望』の象徴。
絶望の中に埋もれた人々の魂に向けた、深い慰めのようなもの。
戦争の悲劇を、過ちを繰り返さないように――
ほんの一歩、でも確かな前進を象徴する音。
そんな力強い音色がこの場を『支配』したんだ。
その旋律に込められた『希望』の輝きが、俺の信じる人類の未来を、たとえどんな闇の中にあっても、照らし出しているようだった。
目の前の狂乱者は、その『人の希望』を理解しない。
否定し続けるだろう。
だが、俺は知っている。
どんなに絶望的な状況にあっても。
希望は絶対に消えることはないと――
それが、『人間が持つ力』の証だと。
狂乱者が語る『絶望』。
彼の瞳の奥に、これまでの数千年を超える人類の悲劇と無慈悲な冷徹さが凝縮されている。
これは単純な話だ。
希望と絶望。
その二つの対立でしかない。
この二つの戦いに決着をつける為に――――
俺と終末の騎士は静かに対峙した。




