エンディング『エピローグ後のささやかな日常』
/天内視点/
ど、どうしよう。
時刻は12時半を指そうとしている。
空は明るく、雲一つない快晴だ。
だが、俺の胸の中には暗雲が立ち込めている。
問題が発生している。
千秋の奴が一向に帰ろうとしないのだ。
計画がガバガバ過ぎたかもしれない。俺の当初の計画はこうだった。
―――――――――――
9:00〜12:00:千秋とのデート編。
俺「千秋。はい。イルカショー」
千秋「わーい。たのしー!」
俺「じゃあ。もう時間だし帰るか。ばいばーい」
千秋「ばいばーい」
俺「ふ、チョロいな」
・ ・ ・ ・
13:00〜16:00:小町とのデート編。
俺「小町、はい。ペンギンショー」
小町「すごーい! さいこー!」
俺「じゃあ。もう時間だし帰るか。ばいばーい」
小町「ありがとーございまーす」
俺「ふ、コピペ乙」
・ ・ ・ ・
17:00〜20:00:マリアとのデート編。
俺「マリアさん、はい。アザラシショー」
マリア「わんだほー!」
俺「じゃあ。もう時間だし帰りましょう。さよーならー」
マリア「ごきげんよー」
俺「ふう。なんとかなった」
―――――――――――
と、まぁ、こんな風に計画は完璧なはずだったのに。
「あ、あのさ」
恐る恐る後ろから千秋に声を掛けた。
彼女は白いワンピースをふわりと風に揺らしながら、鮮やかな笑顔を俺に向けてきた。
「なにぃ~?」
彼女の声は無邪気そのものだ。
「もうこんな時間だし、ほら帰らない?」
「何言ってるのさ。さっき来たばっかだよ! 『もうこんな時間』って、まだお昼じゃんか」
正論過ぎた。
時間を理由にするのは意味不明過ぎた。
まだお昼の12時過ぎ。
滞在時間3時間程度。
俺としてはお腹一杯だが、まだ居たいらしいのだ。
だが俺は食い下がる。
「いや、もう十分楽しんだだろ。な? 帰ろう」
「他のとこで遊びに行くって事?」
千秋は少し頬を膨らませた。
場所を移しても、まだまだ楽しむ気満々だ。
「いや、今日はこれでお開き」
この後、13時からは小町がここに来るのだ。
なんなら既に、来ているかもしれない。
早く、コイツを帰宅させねばならないのに!
「意味わかんないよ! さぁ! 馬鹿な事言ってないで。お昼食べに行くよ」
千秋は、俺の言葉を軽くいなし、風に揺れるワンピースをひらりと翻しながら前に歩き出した。
彼女はそそくさとレストラン街の方へ足を運ぶ。
「おい! 待てって」
―――千秋がそこから食事処を探して行列に並ぶのに、時間は掛からなかった。
「ここにしよっか!」
千秋の笑顔は弾けるようで、昼下がりの光に照らされてキラキラ輝いている。
ふと立ち止まって、彼女が指差した。
白いワンピースのフリルが風に揺れ。
淡い水色のショルダーバッグが軽やかに空を舞う。
千秋の指先には海鮮丼の店。
「え……っと」
俺の額に汗がじわりと滲む。
どうしよう。本格的に帰りそうにないぞ。
そんな雰囲気を微塵も感じない。
昼時の食事処というのはどこも混んでいる。
一向に帰らない千秋は俺の言葉を無視して並んでいるのだ。
間もなく、13時になってしまう。
「ちょ、ちょっとトイレ」
「え? うん。行ってきなよ」
「お、おう……」
俺はなんとかその場を逃れるように言い訳し。
そそくさと施設の出入り口へ駆け出した。
小町との約束の場所に急ぐ。
「や、ヤバいヤバいヤバい――――!!!」
・
・
・
俺は、シーパラダイスの入り口に立ち、あたかも今来たかのように空を仰いだ。青空は澄み渡り、海風が潮の香りを乗せて軽やかに吹き抜ける。
時計を見ると、12時55分。
心の中で焦りながらも、表情だけは何食わぬ顔を装う。
「あ、先輩! こんにちは!」
小町の明るい声が響いた。
彼女は無邪気に俺へ駆け寄ってきて、笑顔を浮かべたまま深く頭を下げる。
「本日は、こんな素敵な所に招いて頂いてありがとうございます!」
「お、おう」
俺はぎこちなく返事をする。
小町はカジュアルな淡い青色のチェック柄のシャツワンピースを着ていて、足元は真っ白なスニーカー。彼女の服装はどこか青春らしい無垢な雰囲気を漂わせていた。
風がワンピースの裾をふわりと揺らし、彼女の綺麗な黒髪も軽やかに踊る。
「えへへ」
と、突然可愛らしい仕草で小町が笑う。
「な、なんだよ」
「いえ。なんでもないです!」
小町は目がキラキラしていて、ご機嫌であった。
「そ、そうか」
「この後、どうします。私、ご飯まだなんですよ」
め、めしぃ!?
それはマズい。
「ペンギンショーが13時半からあるんだけど……」
半ば強引に話を逸らす。
「え!? 見たい見たい!」
彼女は年相応の少女のようにピョンピョンと飛び跳ねた。
「だから。その……」
俺は言い淀む。
彼女は笑みを浮かべたまま。
「私の為に調べてくれてたんですか。そうですね。ご飯は後でもいいですし、露店で何か買いましょう」
「お、おう」
なんか良い感じに解釈してくれているようだ。
「もう! どうしたんですか! 元気ないですねぇ。何かお困り事なんですか?」
彼女が俺の顔を覗き込んでくる。
「え、あ、うぅ」
「あ! そっか。お金か。お金なら心配しないで下さい。先輩がこんな所に誘ってくれたんです。何かご馳走しますよ」
彼女は胸を張って言う。
「そ、そうなの?」
すると、スマホのバイブレーションが震える。
「ちょ、ちょっといいか?」
「どうぞ、どうぞ」
彼女は相当機嫌がいいのか、スキップしながら園内を歩き出す。
小町には視えないようにスマホの画面を見ると。
千秋からメッセージが飛んで来ていた。
『もう先入ってるけど、いつになったら来るの? お腹ペコちゃんなんだけど」
―――との事。
「くっそ! もう滅茶苦茶だ!」
俺は小町に気づかれぬように頭を掻きむしった。
俺はスキップする小町の背に向かって。
「こ、小町」
「なんですか?」
振り返る彼女の顔には、依然として無邪気な笑みが浮かんでいる。
「先にショーの席の確保、お願いしてもいいか?」
「え? どうしたんです?」
「その……飲み物! そう。飲み物を買って来てやるよ。あと、飯をなんか買って来るよ。お腹空いてるだろ?」
無理矢理言い訳をひねり出す。
「じゃあ! 一緒に行きますよ!」
小町が明るく提案するが、俺は即座に否定する。
「ここは俺が奢ってやるから先行ってろ。な? 席の確保もあるし、むしろそれが大事だ。ここは俺に任せろ! いや、任せて欲しい! 頼む!」
「え? いいんですか!? ホントに!? 珍しい。奢ってくれるなんて……」
彼女は目を輝かせ、再びピョンピョンと跳ねた。
「おう。いいぞ。でも今は混んでるから、少し時間がかかるかも。だから、な?」
「そう言う事ですね。わかりました! 先輩の席は、この不肖の弟子、小町にお任せ下さい!」
「頼んだぞ!」
俺は背を向け、千秋の下に向かって駆け出した。
人込みを掻き分け。
「くそぉう。忙しすぎる!」
俺はひとりごちた。
・
・
・
俺は海鮮丼屋の扉を勢いよく開け、中に入ると急いで千秋の座る席に滑り込んだ。店内は磯の香りが漂い、厨房から聞こえる軽やかな包丁の音が耳に心地よく響く。
「遅いよ~」
千秋は頬を膨らませて俺を迎える。
少し拗ねた表情が、まるで子猫のようであった。
「悪い。悪い。お腹が痛くて、つい長居してしまった」
真っ赤な嘘である。
「大丈夫? ちょっと待ってね。整腸剤持ってきてるんだ」
千秋は淡い水色のショルダーバッグを漁り始め、すぐに錠剤を取り出して、俺に差し出す。
俺はそれを受け取り。
「悪いな」
千秋は俺の顔を心配そうに覗き込む。
「大丈夫? 食べれそう? 無理しないでね」
「お、おう。問題ない。俺の胃袋は宇宙だ!」
「もう。何言ってんだよ!」
彼女はクスクスと笑いながらツッコんでくる。
「は、ハハハ」
俺もつられて空笑いを浮かべるしかない。
「ボクは、もうメニュー決まってるから。はい、これ」
千秋はメニュー表を俺に渡してくる。
「あ、ああ。サンキュー。じゃあ……」
俺はザッとメニュー表を見て、適当に一番安いやつを指差し。
「これにしとくわ」
と品物を決めた。
すぐに店員を呼び、千秋と俺はメニューを指さして注文を済ませる。
すると―――
千秋は店内をきょろきょろと見回して。
「美味しそうだよねぇ~」
他の客に配膳された色鮮やかな料理を眺めて感嘆の声を漏らした。
彼女の目はキラキラと輝いている。
「お、おう。そうだな」
「ボクねぇ。貝とウニが一杯乗ってるやつだよ。いいだろ? 羨ましい? ねぇ?」
彼女はハニカミながら意地悪そうな顔をする。
「おう。羨ましい羨ましい。しかし、随分豪勢だな」
「そうだよ。今日は特別な日だからね。ちょっと贅沢しようかなって」
彼女は屈託のない笑顔を向けてきた。
その言葉に、店内の明るい雰囲気と彼女の無邪気さが混ざり合い、何とも言えない青春の空気が漂う。
「そうなんだな」
整腸剤を飲んだにも関わらず胃がキリキリし始める。
「そうだよ~。ねぇ。この後はどうする? まだまだ回ってないとこあるしさ。今度は一緒に写真でも撮ろうよ。映えだよ映え!」
千秋は期待に満ちた瞳。
「え……まだ帰らないのか?」
「なんだよ! そんなに帰りたいのかよ! 酷くないかな?」
千秋の顔が曇り、眉間に皺が寄っている。
非難の声音であった。
「う……そ」
「え? なに?」
「嘘だって。まだもう少し居るかぁ~」
俺は誤魔化すように大きく伸びをした。
「なんだよぉ~。嘘なのか。びっくりしたじゃん! うん! もう少し見て行こう! 楽しいよねココ」
「お、おう」
くっそ。注文はまだなのか?
時間が惜しい。
早う来い!
・
・
・
俺は千秋との食事を慌ただしく終えると。
足早に千秋との会食の場を離れ。
彼女に『アトラクションの列に並んでくれ』と頼んだ。
まだ千秋は楽しそうに海鮮丼を食べているだろう。
小町の方では、既にショーが始まっていた。
既に13時半を回っている。
自販機で冷たいお茶を買ってから、急いで小町の元へ向かう
空は晴れ渡り、日差しがやけに強く感じる。
ショーの会場は賑やかな音楽が辺りに響き、観客たちの楽しげな声が混ざり合う。
「こっちです! こっち!」
彼女は手を振った。
ようやく小町の姿を見つけると、俺は軽く手を振りながら近づいた。
焦るあまり、汗が背中を流れ落ちるのが分かる。
「どうしたんですか? 随分遅かったですが、あと凄い汗ですね」
彼女は淡いピンク色のハンドバッグからハンカチを取り出し、俺に差し出してきた。
「どうぞ。これで汗を拭いて下さい」
「お、おう。悪いな」
俺はハンカチで額の汗を拭う。
柔らかい香りが鼻をくすぐり、少し気まずさがこみ上げる。
「あれ? そういやご飯は?」
小町は不思議そうな顔をして首をかしげた。
あ、忘れてた。
急ぎ過ぎて偽装工作をするのを忘れていたのだ。
「す、すまん。つい急いでたら落としてしまって……長蛇の列を並んでいたんだが、間に合わないかもと思って、その……悪い」
全くのデタラメである。
そんなものには並んでいない。
もはや、口から適当な事を吐き出すマシーンになっていた。俺の詭弁術を頼るしかないが、脳みそが酸欠で良い言い訳が思い浮かばない。
―――小町は怒るかと思いきや。
「そんなに私の為に必死になってくれてたんですね。感心しました。気にしないで下さい。ほら、一緒に見ましょう」
小町は俺の腕を軽く引く。
「お、おう。悪いな」
俺は彼女に感謝しつつも。
内心焦りが増していた。
これは、大変な事になったぞ。
千秋と小町。
どちらとも一緒に過ごしているだけでも手一杯なのに。
マリアがここに加わったら。
2人でこれなんだ……
3人も相手にしていたら。
俺の身も心もズタボロになるかもしれない。
背筋が凍り始めた。
小町の笑顔は眩しく、対照的に俺の顔は曇った。




