触手と雪嶺 と 紅蓮と操糸
/千秋視点/
―― 夕暮れの裏路地 ――
傾きかけた夕陽が、街並みに長い影を落としていた。街を見渡せる広場では、今日も傑くんが絵を描いているはずだ。邪魔されたくないようなので、あまり急かさないよう、いつも頃合いを見計らって迎えに行く。
「やれやれ、迎えに行ってやるか」
近道を通るために、薄暗い裏路地へと足を踏み入れると、背筋に嫌な空気がまとわりついた。嫌な予感がした瞬間、足が自然と止まる。
そこに立っていたのは――
かつて、ボクを何度も殴り続けた男。
「おや。彩羽殿ではござらぬか」
アドリアン。
帝国の騎士団を引き連れた彼が、薄暗がりの中で不気味な笑みを浮かべている。
「まだ居たのか、君」
「それはこちらのセリフなのである」
「その節はどうも」
アドリアンは鼻を鳴らすと。
「今は1人であるか?」
「君には関係のない話だ」
「で、あるな」
「随分仲が良さそうだね」
ボクは後ろの騎士団に目をやる。
嫌な気配がした。
「懇意にはさせて頂いているのである」
「あっそ」
連邦出身の人間が?
今は落ち着いているが、帝国は仮想敵国だぞ?
「ところで、彩羽殿。この後、時間はあるのであるか?」
「は?」
「どうであるか? 食事でも」
ギョロついた目がボクを値踏みするように捉える。
「キモッ。ナンパかよ。そんな暇ないね」
「で、あるか」
ボクは大きくため息をつく。
「ボクはこれから傑くんを迎えに行くんだ。君をボコボコにした我がリーダーとご飯を食べる為にね」
「天内……殿」
アドリアンは嫌そうな顔をする。
それを見て、ボクは口角を上げる。
「いいねぇ。その顔」
「アドリアン殿。今夜は実験ですぞ」
アドリアンの横に佇む黒い甲冑を着た騎士が声を掛けた。
「おお。すまないのである。ハインケル殿。なに、被験体は多い方が良いであろう?」
アドリアンは、一度こちらを見る。
「既に準備が整まっておりますよ。それにここでは」
ハインケルは周囲を見回し、露店を開く商人や通行人に目をやった。
「で、あるか」
アドリアンはボクに向き直ると。
「自分は忙しいのである。またいずれ、彩羽殿を教育出来る日を楽しみにしているのである」
邪悪な笑みを浮かべていた。
「こっちこそ。今度こそボコボコにしてやる」
「さぁて。それはどうであるかな」
アドリアンの声が不気味に低く、じっとりとした響きに変わる。
「へぇー。どういう意味さ」
「近々、彩羽殿の子宮に虫を植えてあげるのである」
「キッモ! マジでキモイ発言だ。それに発想がキモすぎ!」
「ヌフフフフ。どうとでも言うがいいのである。きっと泣き叫びながら許しを乞う羽目になるのである」
「キッモ!」
アドリアンは不気味な笑みを浮かべながら、その場を去ろうとしたが、最後に一言残してきた。
「ヌルフフフ。最後に天内殿に言伝を一つ」
「なんだよ」
「借りは必ず返すと―――」
「また、傑くんに泣かされるだけさ」
アドリアンはその言葉を無視し、去り際に振り返って不敵に言い放つ。
「勿論、弱い兵である彩羽殿もである」
「やれるもんならね」
「ヌフフフフ」
アドリアンの笑い声が裏路地にこだまする。
夕陽が完全に沈む頃、ボクはアドリアンの背中を睨みつけた。
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/3人称視点/
―― 町はずれの神殿 ――
夜の闇に覆われた古びた神殿。
その静寂を切り裂くように、男の剣が閃いた。
「紅蓮」
ハインケルがそう呟くと同時に、空気を震わすような爆発音が辺り一面に響き渡った。空に瞬く閃光が連続して炸裂し、爆煙が上がる。
――― 爆撃が飛ぶ ―――
その閃光の中、アークスの諜報員たちは黒焦げになり、次々と倒れていった。焼けた肉の匂いが漂い、彼らの身体は破壊され、無惨にも爆殺された。
鉄板で肉を焼いたような嫌な音が黒焦げの死体から上がる。
「ここにもいたか……連邦の薄汚い犬どもが、コソコソと嗅ぎ回ってやがる。なぁ、臆病者ども?」
ハインケルの声が冷たく響く。
闇に浮かぶ彼の不敵な笑みは、殺意に満ちていた。
その時、暗がりに潜んでいたジュードが瞬時に動く。
指先から鋭く放たれた細い糸、
身を隠していたジュードは間髪入れずに切断する蜘蛛の糸を飛ばす。
無音で夜の闇を切り裂き、ハインケルに向かって飛び交う。
「なっ!?」
ハインケルは避ける暇もなく、糸に触れた瞬間。
体が木端微塵に切断された。
「悪いね。見つかった以上……ここで始末させてもらう」
ジュードは冷静に告げると、黒焦げとなった仲間の遺体に静かに布をかけ、一言だけ呟いた。
「すまない……守れなかった」
ジュードは目を伏せ、仲間を悼むように短く息をつく。
しかし、感情に流される暇はない。
彼は証拠集めを再開し、周囲に目を配る。
「エクスプロージョン・マインド」
突然、ハインケルの声が再び響き渡る。
周囲の空間全てが爆発の標的として感知され、ジュードの背筋に寒気が走った。
「馬鹿な!?」
振り返ったジュードの目に飛び込んできたのは、肉片から再生したハインケルの姿だった。
「おいおい。まさか……貴様、魔物になっているのか」
ジュードは困惑の顔を浮かべた。
「驚いたか? この程度のまやかしで私が死ぬとでも思っているとはなぁ? 連邦最優の騎士!」
「……」
ジュードは次弾を用意し、無言で糸を垂らした。
しかし、ハインケルはその一瞬の隙を見逃さない。
「遅い!」
ハインケルが猛スピードで駆け出し、片手剣を振り上げた。
ジュードは鋭い目つきで応戦を開始した。
「操糸絶影」
極限まで細く、視認が不可能な糸を巧みに操り、斬撃を張り巡らせる。糸が空中を舞い、ハインケルを切り刻もうとするが。
彼は不敵な笑みを浮かべながら剣を振り下ろす。
「タッチ・デトネーション!」
剣先が地面に触れた瞬間、周囲全てが地雷と化した。
そして、続けざまに彼は空中に向けて呪文を放つ。
「紅蓮!」
爆風が大気を震わせ、操糸の糸が次々と吹き飛ばされる。ジュードは必死に糸を操りながら爆撃を防ごうとするが、圧倒的な破壊力に徐々に追い詰められていく。
「くッ!?」
ジュードの額から汗が流れる。
彼は絶望的な状況に追い込まれ、次第に足元が崩れていくのを感じていた。糸を操り、何とか攻撃を凌ぐものの、爆発の連鎖は止まることを知らない。
「逃げられると思うなよ……お前もその仲間と同じように灰になれ!」
ハインケルの狂気に満ちた声が、夜闇に響き渡る。
空間が焼け、爆炎がジュードを包み込もうとしていた。
爆発の連鎖と糸の刃の、死闘を繰り広げられた。




