ダンジョン⑤ 人との繋がり
/3人称視点/
「なんですか?」
マリアはそっぽを向いた。
天内はマリアに声を掛けた。
「なんで残ったんですか? 今日帰国のはずでしょう?」
それは純粋な疑問だったからだ。
「……」
マリアは一瞬、答えをためらい、視線をそらす。
沈黙が二人の間を支配する。
天内は肩をすくめ。
「小町の奴が言ってましたよ。マリア先輩に引き留められたって」
彼女は、その問いには答えなかった。
マリアの胸中は複雑であった。
彼女は天を仰ぐと。
「少々言い過ぎました」
「え?」
「よくよく考えてみれば……あれは貴方なりの優しさなんですものね」
「……」
その言葉に、天内は答えずにただ前を見つめる。
「なんて不器用な人なんでしょう。生き方も性格も不器用で仕方がありませんわ」
「そうかもしれませんね」
彼は軽く笑った。
「私には貴方のような生き方は出来ません。理解も出来ません」
天内は苦笑いした。
「破綻しているのはわかっていますよ。それでも……やり切ると決めたんだ」
「なぜ、そこまでこだわるのか、聞いても?」
「美しいから」
「え?」
突然の返答に、マリアは振り返る。
天内の言葉が理解できず、彼女はじっと彼を見つめた。
「俺はね。マリアさんがおっしゃる通り、寂しく孤独な人間なんですよ」
「……」
マリアは自分が以前言ってしまった言葉を反芻した。
「以前はもっと悲観的で、世の中なんてクソだ。そんな厭世的な考えでこの世界を見ていました」
「貴方らしくもない……ですね」
天内は目を細め、遠くを見つめるようにして続ける。
「元からこんな奴ですよ。多くの戦場を超えて。多くの人と出会って、多くの人生を垣間見ました」
彼は今までの思い出を思い出すように手の平を覗き込んだ。
「元から世界は汚いと知っていた。人の愚かさを知っていた。人生の不平等も不条理も知っていた。人間の悪性を垣間見て。所詮こんなもんか。正直そう思ったんだ。いや、思っていた」
「思っていた……ですか?」
天内は静かに頷いた。
「でも、それだけじゃなかった」
天内はマリアの顔を見据える。
「世の中にはまだ見るべきものがあった。残したいと思えるものが出来た。絶対に負けられないという信念に変わった。俺の命を賭けてもいいと思えるほどに」
マリアは思わず目を見開く。
「英雄のような思考ですね。いえ、ホンモノの英雄でしたね。貴方は」
彼女の称賛に、彼は首を横に振った。
「そんな大層な役ではないですよ。俺は英雄なんて称号は要らないんだから。ただ……普通の日常を送りたいだけなんですよ。それは俺だけに限った話じゃない。みんなにそうであって欲しいと思っている」
「普通の日常ですか?」
マリアはその言葉を繰り返す。
彼女には、その「普通」の意味がまだ掴めない。
「普通に青春を謳歌して。普通に学び、普通に働き、普通に結婚をして、普通に子供を授かり、普通に余生を過ごして欲しいと。押し付けがましいけど、そんな風に思っている」
彼は頬を掻いた。
「そんな事、皆さん当たり前のようにやっているではありませんか?」
マリアは真意を掴みかねる。
「なんて言うのかな。その当たり前で普通の事が。俺には手に入らなかったものなんですよ」
「どういう意味ですか?」
天内は一瞬、過去の自分を思い浮かべる。不条理で、不平等で、不公平に生き、最後には孤独に死んだ前世の記憶がよぎった。
「普通は普通に難しいって事ですよ。俺はね。不器用だから。みんなが普通にしている事が出来なかった。当たり前に持っている物を持っていなくて。羨ましくて仕方なかった」
「貴方は何でも持っているじゃないですか」
「いいや持ってないよ。でも、今は違う。今はほんの少しだけ持っているかもしれない」
「今は……ですか?」
マリアは眉をひそめる。
天内は、頭を押さえ苦悶の表情を浮かべる。
(第四の壁の制約のせいで上手く説明出来ない)
「難しいな。なんて言うのかな……普通を知って。みんなが持っているものを手の平の上に置いて。理解したんですよ。その当たり前が、なんて尊いだろうって。そんな美しいものを失うのは、惜しいと思った。その為に戦おうと決めたんです」
「貴方だけが背負う必要はないと、思いますが」
「ええ。だから陰ながら託した者も居ますよ」
「?」
「でも、旗振り役は俺じゃなきゃいけない。俺にしか出来ないから」
「なぜ、そんな風に考えるのですか。その結果がご自身の……死なのに」
彼は、冷や汗を流し始める。
「説明が難しいんだけど。結末を知っているから……」
息を切らせ、なんとかその言葉を吐くと膝を地に付ける。
「大丈夫ですか? 顔色が……血が」
マリアは天内を気に掛ける。
彼は鼻血が流れていた。
手で制し一言。
「問題ありません……」
天内は息を整えると続けた。
「正直嬉しかったんだ」
「へ?」
マリアは突然そんな言葉を聞き呆気に取られる。
「千秋が仲間だと呼んでくれた。小町は一緒に写真を撮ってくれた。マリアさんは不器用な俺に対して怒ってくれた。それで十分だ。それだけでお釣りが来る」
マリアは思わず目を見開いた。
そして、言葉が自然と口をついた。
「それは皆さん貴方の事が……」
と、彼女は言いかける。
フラフラとした足取りで彼は立ちあがると、袖で血を拭った。
「ダメだな。頭がおかしくなりそうだ……」
「お加減が……」
マリアが心配そうに近づくが、天内はかぶりを振った。
「そんなお釣りだけで十分に命を賭ける理由になる。本当に満足したんだ。金銀財宝なんかよりも、ずっと価値があった。もう俺は、欲しいと願ったモノを手に入れている。だから」
その言葉に、マリアは堪え切れず声を張り上げた。
「だからもう死んでしまってもいいと!? それは違います。それはきっと違うのです。貴方1人の自己犠牲など私は望んでいない。だから! 私は考えました」
「……何をですか?」
「まだ。未来は決まっていない!」
マリアは意を決したように宣言した。
「え?」
「貴方が望まなくても、貴方が生きられる。生きていきたいと思える。そんな『未来』を、『現在』から探すと、私は『選択』したんです」
「そうしたいのは山々だが、それはムリだ」
(俺には、主人公補正がない。奇跡は起こらない)
「無理ではありません。貴方が『未来』を切り開かんとするように。私は『現在』を変える為に立ち向かう」
「なぜ、そこまで」
「貴方が好きだからに決まっているでしょう! 生きていて欲しいと望むのは当然でしょう! なぜそれがわからないんですか!?」
「参ったなぁ……」
「貴方が生き残れる方法は私が必ず探し出します。だから約束してください!」
「何をです?」
「これから絶対に死なないと。死んでもいいと思わないと。貴方が他人に、私達に『普通』を押し付けるなら。私は貴方に生きていて欲しいという『願い』を押し付けます!」
彼女は涙を堪え真剣な顔をしていた。
その顔を見て天内は天に向かって大きく息を吐いた。
遂に根負けした彼は。
「わかったよ。じゃあ、頼みました。……俺を助けてくれ」
彼女は頷くと。
「本当にようやくですね。ようやくその言葉を聞けました。良かったです……本当に」
マリアは、ほっと胸を撫で下ろした。
彼は彼女の顔を盗み見て、手を天にあげると。
「……これが『人との繋がり』か。すげぇな。人ってやつは」




