ダンジョン② メイド道
腕時計を確認すると、10時を少し回っていた。
雲一つない青空が広がる。
朝の光が柔らかく街を照らしている。
街路には通勤途中の人々が行き交い、いつもの平和な朝の風景が広がっていた。
俺はハイタカとミミズクとの会談を終え、フランとともにダンジョンに向かう準備を進めていた。
「そろそろアイツらは帰国した頃合いだ。これで、大手を振って歩ける場所も増えるが、フィリスの野郎はまだ残ってるらしい」
俺は周囲を警戒しながら、通りの人々に溶け込むように歩き出す。
「そうなのですね」
「見つかると厄介だ。こっちの道を使うぞ」
俺は近くのヘッジメイズの宿舎を避けて、少し遠回りになる通りを選んだ。
「かしこまりました」
フランは丁寧に頷き、俺の後ろをついてくる。
「ところでさ」
「なんでしょう?」
俺は振り返る。
彼女は巨大な風呂敷に山のような荷物を詰め込んで背負っていた。成人男性が数人入りそうなサイズの風呂敷を、優雅なメイド服姿のフランが担いでいる。
「なんでそんなに荷物があるんだ?」
フランは真剣な表情で。
「メイド道において、必要な道具ですから」
「俺みたいなことを言い出して……フライパンが見えるけど。一応、なぜか聞いても?」
フランは微笑を浮かべ。
「ご慧眼ですね。調理をするために必要だからです」
「必要ないねぇ」
「ご主人様ともあろうお方が、真意を見抜けないとは……意外ですね」
「どういう意味だ? あと、『ご主人様』って俺以外がいる時は使わないでね」
フランは微笑を浮かべたまま頷き、続けた。
「これは必要なんです。侍で例えるなら、刀のようなものです」
「えぇ?」
すごい詭弁が出てきたな。
「ご主人様、いついかなる時もメイドの務めはなんでしょう?」
「知らないよ」
「完璧な食事、お茶の提供、寝床の確保、湯あみの準備、そして夜のお供です」
「それは漫画の読みすぎだ。しかも後半は青年向けのやつだぞ。通常のメイドはやらないんだよ、そういうの」
「むしろ後半の方が重要なのでは?」
「フランの知識は偏りが激しいんだよな。一体どこからそんな知識を……」
フランは突然、スカートの中から数冊の本を取り出した。
「メイド道の知識はこれを参考にしてます」
「なになに?」
俺はタイトルを覗き込む。
―――――――――
『背徳のメイド ~ご主人様と淫らな夜~』
『ご奉仕の刻 禁断メイド教育』
『絶対緊縛! 僕だけの主従関係』
―――――――――
「ちょっと貸して」
「どうぞ。私のコレクションの中でも至極の一品になっております。聖書です」
俺はフランから本を受け取り、少し読み進めてみる。
「ほう……」
「特に『ご奉仕の刻』の72ページがおススメです。一晩中ハードな調教をされた上に、主人公のメイドが三角木馬に乗せられるシーンが最高です。貴族の見世物にされて、嘲笑われる彼女。屈辱と快感の狭間で、理性が崩壊する様子が、ゾクゾクしますわ」
「そうかそうか」
「次にお気に入りなのが、『背徳メイド』です。これは貴族令嬢が没落して、下級貴族に買われる展開ですが……」
「燃えろ」
俺はフランの読書感想を聞く前に、火の魔術を発動して本を焼却した。
「ヒョゲェェェェェ!?」
フランが奇声を上げ、両手を振り回す。
「これは誤った知識だ。アダルトサイト:ファンザの図書は酷く歪んでる知識が流布されている。忘れろ」
「ひ、ひどいです! いえ……むしろ、これは高度なプレイ?」
フランは涙目になりながらうっとりとした表情を浮かべた。
「おかしなことを言ってないで、行くぞ」
というか……俺にちょいちょいリアクションの影響を受けてるんだよなコイツ。
見た目はスーパー美女だし。
底なしの妖しい瞳の持ち主だ。
実力もこの世界のメイン勢に引けを取らない。
それどころか一部を凌駕しうる潜在能力を秘めている。
でも……
「馬鹿なんだよなぁ」
と、俺は小声で呟く。
涙目になりながら恍惚な表情を浮かべるという器用な事をしているフランに。
「他にも持ってないよな?」
と、確認を入れた。
「教えません!」
俺はオホンと咳払いし。
「ご主人様の命令だぞ!」
「おっほ!?」
フランは奇妙な声を上げる。
「で? どうなんだ?」
フランは項垂れるように地面に伏せ。
「お、おし、おしししし……おし、教えません」
唇を噛み締め、苦悶の表情になりながら、ワナワナと身体を震えさせる彼女。
「ご主人様に逆らおうってのか!?」
俺は声を荒げた。
すると―――
後ろから聞き慣れない声が響いた。
「ねぇ。ママー、あの人たち何やってるの?」
俺は振り返り、路上で母子がこちらを見ているのを発見した。
「ダメよ! 見ちゃいけません」
母親は慌てて子どもの手を引き、足早にその場を去る。
――――。
俺は心底うんざりしながら通行人に睨みを利かせ、数メートル離れた。
「おい、フラン。お前のせいで、超テンプレの『お約束』が発生したじゃねーか」
「ヒィィィィ」
フランは許しを乞うように頭を下げた。
「死ぬ前に一度は味わってみたい。『見ちゃいけませんよ!』のくだりが発生したじゃねーか。どう責任取ってくれるんだ!? ご主人様に恥かかせやがって!」
「ひ、ひぃ。申し訳ございません、ご主人様ァァァァ」
フランはそんな言葉を吐きながら。
はぁはぁと息を荒げ、涎を垂らしながら。
喜んでいた。
「おい、ゴミ。何やってんだ?」
「へ?」
振り返ると、見知った顔が冷めた目で俺を睨んでいた。
「な、なぜお前がこんなところに……」




