そして鐘の音は鳴った⑬
/3人称視点/
小町は血に染まった口元を震える手で拭いながら。
「次の相手はこの私です」
アドリアンに決意を込めた声で宣言した。
「おや。刀少女ではないか」
「彩羽先輩は既に戦闘不能です」
小町はよろつく足を無理やり支え、鋭い目つきでアドリアンを睨みつけた。
アドリアンは目を細める。
「お見事なのである。アレを切り抜けるとは」
「……」
小町は荒い呼吸をしながら、何も答えなかった。
今にも倒れそうな身体を奮い立たせる。
彼女の頭の中には必死に戦う事で精一杯だった。
「あっぱれなのである。凄いのである。ダンジョンの深奥に潜む魔物と同程度までに改造を施したというのに」
饒舌な声音であった。
自身の研究成果に対する誇りと狂気が入り混じっていた。
「いいから!」
小町は堪らず叫んだ。
「なんであるか?」
恐怖を押し殺し、震える声で。
「その手を……離して貰ってもいいですか?」
「その手?」
「お前の! 貴方が掴んでいる手! 離して頂いてもよろしいですか?」
アドリアンの左手には髪の毛を掴まれた千秋の姿があった。彼女の顔は血に染まり、体には無数の打撲痕が痛々しく浮かんでいた。
「ああ、この弱い兵の事であるか」
「強いとか弱いとかどうでもいい!」
「で、あるな。弱い兵は淘汰されるべきなのである」
微動だにしないアドリアンは無表情のまま。
彼は冷徹な瞳で千秋を見下ろすと。
何の感情もなく、彼女の腹部を思い切り蹴り飛ばす。
革靴が千秋の腹部に食い込み、彼女は無防備なまま地に転がった。
千秋は呻き声を上げ、瀕死の状態であった。
彼女の意識はまだ朦朧としていたが、必死に立ち上がろうとする。
しかし、足は思うように動かず。
力なく、その場に崩れ落ちる。
「無様なのである」
「なぜ!」
小町は怒りと恐怖が渦巻いていた。
「ん?」
「なんで。さっさと退場させないんですか?」
震える声で、問いかけた。
「なぜとはどういう事であるか?」
「そんな風に、執拗に殴り続ける必要なんてない!」
アドリアンは無感動に答えた。
「ああ。これは……教育である」
「は?」
「弱い兵には教育が必要なのである」
「貴方は……お前は一体なんなんだ」
「自分? 自分はアドリアン・ウォルバクである」
小町は心底恐怖した。
彼の狂気に満ちた目を前に。
「話に……ならない……」
その時、静けさを切り裂くようにセリーナ・アリエルが現れた。
「アドリアン様。お戯れもその辺で、被検体が出来上がりました」
「ほう。エリック殿が遂に?」
「最後まで足掻きましたが……最後は無理矢理、飲ませましたわ」
「で、あるか。良いデータを期待したいのである」
「では、参りましょう」
「その前に……」
アドリアンは小町を見つめ、嗤いを浮かべる。
「どうされました?」
セリーナが問いかける。
ニチァァァァァ。
アドリアンは不気味な笑みを浮かべ。
「この刀少女を教育してからである」
「お時間はよろしいので?」
「自分は優しいのである。教育も非常に重要な事なのである」
「おや、そのお心は?」
「弱い兵を訓練する事が先達の役目なのである」
「まぁ。なんとお優しい。私、感心致しました」
「彩羽殿より弱い兵である刀少女は、もう少し厳しい教育を行うのである」
セリーナは優しく妖艶に微笑むと。
「私もお手伝い致しますわ」
小町の心の中が絶望に覆われていく。
「2対1……」
嫌な予感がした。
蹂躙される未来が視えた。
刀を握る手が震えた。
アドリアンの冷たい目。
セリーナの不気味な笑み。
その二つが小町の心に重くのしかかる。
「参る」
小町は自分に言い聞かせるように小さく呟いた。
覚悟を決めた者の眼。
震える脚を何とか一歩一歩動かす。
(怖い。でも……逃げる気なんてない。ここで逃げたら。彩羽先輩がもっと酷い目に遭うかもしれない)
「私は戦うと決めた」
ジリジリと距離を測る。
間合いを意識する。
瞬間――――
一陣の風が吹き荒れた。
「助けが必要か?」
小町にとって、よく知った青年の声が響いた。
その声の主はアドリアンとセリーナに向かって。
落ち着いた口調で。
「そろそろ止めて貰っていいか? 今は敵だが、そいつら二人は俺の仲間なんだよ」
天内傑の姿があった。
小町の前に一歩前に出た青年の背中。
それは余りにも大きく感じられた。
彼女は涙がこぼれそうになるのを必死で堪える。
なんとか声を絞り出して。
「おせぇんだよ。薄らハゲ」
いつものように軽口を叩いた。
天内は軽く笑うと。
「うるせぇな。助けてやんねぇぞ」
その声音には温かさがあった。
「助けろ」
「へいへい。最初からそう言えよな」
「うるさいなぁ! 遅いんですよ! 禿げてるくせに!」
天内は苦笑しながら肩をすくめる。
「ハゲは関係ないだろ。あと、禿げてないし……まぁいいや」
天内は『やれやれ』とため息をつくと。
「お前は下がってろ。俺一人で十分だ」
確固たる自信が籠っていた。
「天内殿がお一人で? 不可能なのである」
アドリアンは目を丸くした。
セリーナは微笑を蓄えたまま。
「ヘッジメイズの色男。大言壮語は良くありませんわよ」
しかし、天内はそんな2人の言葉を無視して。
「蹂躙の始まりだぜ!」
最近、天内の気に入っている決め台詞を呟いた。




